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2019年1月3日木曜日

「自分らしく働くパラレルキャリアのつくり方」三原菜央

勇気、助走、戻れる場所の3つを大切な点として挙げているが、お金に不自由していない人を除いて、「戻れる場所」がもっとも大切であると考える。パラレルキャリアであるにせよ、新しいキャリアであることには変わりなく、そこに100%乗っかっていくには危険が大きい。リスクヘッジの上でも戻れる場所が必要で、だからこそ、失敗に対して寛容になれるといえるだろう。ここでは副業ではなく複業といってはいるが、戻れる場所を考えるとはじめは副業から開始するのがいいのではないだろうか。

「学習性無力感」の説明にカマス理論を使っているが、他の1匹をいれると無力感が解消される点を除いて、ノミ(ダニだったか?)のジャンプが制約される例と同じだなと思った。無力さを学習する事例は他の動物実験でもよく引用されている。何度やってもダメであれば、ダメな要因が排除されたあとも「ダメだろう」と思い込み無力になるヒトでも同じである。

たいていの場合、個人で起業ということになるが、個人だから強みを発揮できる点がフットワークの軽い点だと言う点は同意できる。組織が大きくなるに従い意思決定の過程が煩雑になり、動きが遅くなるものだ。

やりたいことが見えない場合には「セカンド・クリエイター」からはじめよう=お手伝いから始める方法、は、弟子入りと似ているが、著者は「セカンド・クリエイター」と命名している。その道のプロにくっついて教えをこうあるいはその技を盗むというのは今に始まったことではないが、ネットの時代では弟子入りもそれほど難しくはない。本書で紹介されている副業・複業支援サービスから可能であろう。
副業・複業支援サービス
ココナラ
ビザスク
SCOUTER
ストリートアカデミー
Teamlancer
yenta
「雨降り族はなぜ必ず雨を降らせることができるのか?」雨が降るまで踊っているからというオチ(!)であるが、継続の重要性のたとえとしてはおもしろい。つづけることが大事なのはわかるが、それが難しいこともあるだろう。だからこそ、続けることが苦にならないことを複業として選ぶべきであるといえる。

2018年7月16日月曜日

「半年だけ働く。」村上アシシ

表紙にも書いてある通り、労働時間を半減にするキモは「単価を2倍にする」点にある。著者自身はそのライフスタイルで10年以上生きてきたわけだが、現在、長い休みをとるのが難しいサラリーマンすべてに可能な方法が書かれているわけではない。もっとも適しているのがITコンサルで、フリーランスとしての生き方に親和性が高い業種である。従って、現在サラリーマンで、その業務内容がフリーランスとして通用するのでなければ、「半年だけ働く」スタイルに移行するのは難しいであろう。

「まずはサラリーマンで地頭をつける」の項で、「1万時間の法則」が書かれている。これは物事を習熟するのに要する時間で、「石の上にも3年」を裏付けるものらしい。学校をでていきなりフリーランスを目指すよりかは、まずはサラリーマンで修行するのが得策であろう。事実、会社勤めは、長く休めないなどの制約があるが、種々の教育を受けられる(しかもお金をもらいながら)ことや、社会的な身分を保証してくれるメリットもある。会社にいるか、フリーランスになるかの長所短所は本書の別のところでも紹介されている。

タイトルの「半年だけ働く」の目的は何かといえば、著者の「旅とサッカー観戦」の時間(と資金)を捻出するためである。ここで興味深く感じたのは、フリーランスで、かつ旅をすることから、その生活が「ミニマルに生きる」こととつながっている点である(第4章)。捨てるものとして、名誉欲、人間関係、紙の本、手帳があげられており、ハード面の保管や記録に関してはGoogleの利用を推している(私もGoogle派)。
「やめる」ことで「年賀状」がでていたが、これをやめようといっている人は他にもいた(多分「お金じゃ買えない」に書かれていた)。個人的には年賀状をやめることには賛成だが、やめ方はきちんとしたほうがよいと思う。返事をしなければそのままフェードアウトするだろうが、やはり意思表示をしたい。つまり、年賀状書き最後の年には、きちんと「今後の年賀状はやめます」の旨、一筆添えるべきであろう。

「半年だけ働く」ライフスタイルのためには、それなりの実力(=会社をやめても生きていける力)が必要であることは否定できない。では実力のないヒトはとうすればよいのか?実力をつけるか、難しそうであれば、支出を減らして可処分所得を増やす生き方もありだろう。「時間を生み出す」ために他の時間を減らす(あるいは切り捨てる)考え方は後者に近いといえる。

2018年5月6日日曜日

「一流の人は上手にパクる」俣野 成敏

 ビジネスセンスに富む提案ができるための事前のネタ仕込み、それが人真似によるということらしい。それを「大人のカンニング」と呼んでいる。
要点は、①情報収集力、②情報変換力、③情報応用力、が必要ということで、①では、ちょっとした感情の動きに着目することが収集力に磨きがかかるといっている。具体例の中で、「タウリン1000mg」を挙げている。単位をgではなくmgとしていることで含有量を多く見せている(当然ながら1000mg=1g)。
「なんでだろう?」という見方が大切であり、著者はウォールマートのグリーターを挙げている。これは、入り口にいる挨拶係なのだが、万引きの監視員を兼ねており、目立たないように配置するためらしい。ここを読んで思い出したのが近所のショッピングモールのなかにある本屋の「椅子」である。そこでは店の奥の方の本棚の脇に椅子が配列されており、客はそこに座って本を読める(立ち読みならぬ座り読みだ)。これは客に対するサービスというよりは、万引き防止に客を利用しているのではと思える。
グリーターの例とは反対に、近所のスーパーでは制服巡回員が配置されており、この場合は、あえて目立たせることにより、万引きの抑止効果を狙っているのだろう。まじめな客としては、あまり良い印象を受けないが、そこまで万引きの被害が大きいということか?

好奇心が乏しくても好奇心をもつ機会を増やすために、「好奇心をルール化する」という提案はおもしろい。著者は具体的には「街頭で配られているものは拒否しない」ルールを作っている。興味のない対象に対してもオープンであれということだろう。他の本では「あえて読むことのない婦人向け雑誌を読もう」というのがあった(女性では男性誌か?)。なお、尊敬していた昔の上司のルールは「小さいことでも毎週一つは新しいことをする」で、行ったことのないレストランに行くとかを実践していたようだ。これも見習えることだろう。

②「情報変換力」については、その下ごしらえの方法の一つとして「勝手にコンサル」を勧めている。具体的には、何らかのサービスに不満や疑問があれば、「自分だったらこうする(させる)のに」という考える習慣を身につけることだ。

③「情報応用力」では、掛ける、引く、割り切るで新しいアイデアが生まれるといい、QBハウスやブックオフの例を挙げている。応用としての足したり引いたり掛けたりの手法は、見渡してみるとそれほど目新しくもなく、特許明細書を書く場合にも新規性や進歩性を出すために既知技術✕既知技術で考えたりする。

各章にまとめがあるのでそれを参照いただきたい。自分なりに要約すると、「常にアンテナを張って、好き嫌いに関係なく情報をストックし、そのストックからいろんな組み合わせで新しいことを生み出せる」「引っかかった情報に対しては、なぜそうなのかを問う」ということだろう。

2016年5月8日日曜日

「一生モノの超・自己啓発」鎌田 浩毅

世の中にあふれるビジネス書や自己啓発本は、実のところ役に立つのだろうか?この疑問に対してひとつの答えを提示しているのが本書であろう。
「ビジネス書」が「ドクサ化」しているという指摘は的を得ている。「ドクサ」とは、ギリシャ哲学の用語で、「人間を絶えず惹きつけるものだが、必ずしも幸福にしないもの」らしい。また、これらのドグサ化したビジネス書のなかで謳われていることのマイナスな点は、そのハウツーができない場合、それができない本人に責任がある風に書かれている点だといっている点は新しい。つまり、うまくいかないことを見せつけられることで、本人の「無力感」が増大される可能性があるというのだ(それが出版社の思惑かもしれないが。)

「成功本はムチャをいう」という本でも、「書いてある通りできれば苦労はないよ」といった感じだった。本書でも同様に、「自己啓発本に書いてあることをすべてやろうとすると24時間では足りないのではないか?」と指摘している。
それでどうすればよいのか?という問い対する答えは、端的にいって「いいとこどりしよう」だ。「こうすればよいです」と書いてあることは、本によっても違うし、また、一番重要なことは、誰かの言っている黄金律は、「普遍的にだれにも適用できるわけではない」という点だろう。これは、健康法にも通じる点だ。例えば、「朝は早起きが健康に良い」といわれても、「すべての人に対して」この習慣がベストとは限らないだろう。食事にしても「肉食はよくない」といわれる一方で、「肉は長寿によい」と言われたりする。おそらく、このどちらも嘘ではない。嘘ではないが万人に適応できないだろう。なぜなら、同じ人間でも、それぞれの体質は同じではないからである(個人的には早起きで肉少なめな習慣がほとんどの人によいことだと思うが。)

ストックからフロー型の生き方、つまり、ため込まない生き方を勧めている。これはまさにミニマリズムに通じる点だろう。ため込まないのは物理的なものだけではなく、人間関係について「友達は3人いれば十分」や「SNSを休んでみては」などソフト面でも言及している。(浅い人間関係をひきずるのはやめようと言っている人は「お金じゃ買えない」の藤原和博氏も同様だった気がする。)

面白いと思ったのは「頭で考える」ことのほかに、「体の反応(体からのメッセージ)」に注目している点だ。例えば5月病についても無気力を体からのサインとし、休んでいればそのうちエネルギーがたまって何らかの方向で元気になるから心配ないという意見である。体の感覚の重要性は「無学問のすすめ」でも触れられていた。


自己啓発オタクやビジネス書オタクが読んでみるべき本であろう。著者のオタク経験に裏付けされているので説得力のある内容だ。

2015年7月12日日曜日

「ビジネスマンのための「幸福論」」 江上剛

 「ビジネスマン」と言われたとき、イメージされやすいのは理系よりも文系で、いわゆる「銀行マン」(*1)を例としてあげることができるだろう。ちょいちょいテレビで著者をみたことがあるが、その元銀行マンであり現在は作家である。したがって、タイトルの「ビジネスマン」とは一般的なものというよりは「銀行マン」であり、銀行で長く勤めた経験から、どのようにそこで生き延びていくかを説いた内容と言えるだろう。

各章で書いていることはかなり具体的である。上司としての心得の一つとして、
人を活かして使うためにはまずほめること、そして長所をみつけることだ。(p76、第2章人間関係(上司と部下))
と述べている。ひとの悪いところをみつけるのは簡単だが、よいところを見つけるのは相対的に難しくなる。上下関係に限らずに役立つ指摘であろう。


社内の派閥に属するかどうか?に対して、自身が銀行時代に無派閥であったことの経験から、派閥に属すべきで、しかも徹底して属せよという「毒皿路線」(=毒を食らえば皿までも)を勧めている。(p98第3章人間関係(社内と社外)。派閥が沈めばそれとともにする覚悟が必要だが、どこかの局面では引っ張りあげてもらう必要もあるので、妥当な考えかもしれない。


「第4章 出世と左遷」の「左遷された時に…」で、そのときは「本を読んでろ」ということを著者は言われたようだ。(p117)。要は、時間があるならば勉強でもしていろということだろう(今ならばネットで何かできるかもしれない)。「左遷こそチャンスだ」と締めくくっており、ある局面では左遷だと思えても最終的には偉くなった人の例を挙げている。「人間万事塞翁が馬」どおりだと述べている。


結婚について、
結婚とは最初は情熱だが、途中からは忍耐になる。(中略) いい結婚、いい結婚相手とは、この忍耐に見合うか、だと思う。(p165、第6章結婚と家庭)
と、おおよそ一般的な意見だ。経験者ならば同感なのではないか。


管理職の憂鬱については、なぜ管理職になると鬱病になることがみられるかについて触れ、そのように病んでしまうことを防ぐためには、
管理か営業か、どちらかを選択しよう。そして選択したら、片方の手を抜こう。(p193、第7章ビジネスマンのゴール)
と自己の経験から提案している。もちろん「手を抜く」のは力の入れようを調節する意味合いだろう。要はどっちも全力で取り組むと破綻するというわけだ。管理と営業の双方で力を発揮するのは通常の人には難しいので、極めて現実的な提案といえるだろう。
 世間を見渡すと、以前は管理職にならなければ昇給が見込めなかったが、専門的な分野で管理的な職務でなくても昇給できる制度がソニーでは導入されたらしい(*2)。そういう意味では管理と実務の板ばさみ的な状況は以前よりも少なくなる環境に変わってきたのかもしれない。

現在の銀行マンを取り巻く状況がここ10~20年でどの程度変貌したかわからないが、これから銀行マンとしてのキャリアを目指す人にいろいろなことを教えてくれる本である。



(*1)銀行マンに対応する、ジェンダーフリーの言葉ってあるのでしょうかねえ。ビジネスマンとは言わずにビジネスパーソンが男女平等を考慮すると適切なんでしょうね。
(*2)ソニーのジョブグレード制度。しかし、リンク先の内容(「大幅降格、給与ダウン…ソニーの「課長」に起こっていること」)をみると固定費削減が目的のようで、職場の士気が上がるのかは疑問です。

2015年4月29日水曜日

「残酷な20年後の世界を見据えて働くということ」岩崎 日出俊

 これからの20年間は、人口も減り、しかも老人が増え、戦後の高度成長のような状況は見込めない(日本を飛び出せば別だが)。そうした状況での働き方について著者の経験的なことからある指針を示そうとするのが本書だ。

 会社に就職するならば、その会社が今後期待できるような勝ち組企業となるかを見分けることが重要であり、そのためには「投資家の視点を持つ」ことだという。そのためにはフィリップ・フィッシャーの「フィッシャーの15原則」が使えると述べている(p68)。その原則は以下の通りだ。

1.その企業は十分な潜在力をもっているか。少なくとも数年間にわたって、売上を大きく伸ばす製品・サービスがあるか
2.業績を牽引する製品・サービスの次に向けた一手を打っているか
3.研究開発が成果をあげているか
4.強い販売網・営業体制があるか
5.利益率が高いか
6.利益率の上昇・維持に対する取り組みができているか
7.労使関係は良好か
8.幹部社員が能力を発揮できる環境か
9.幹部社員は優秀な人材が多いか
10.コスト分析や、財務分析を重要視しているか
11.競合他社に優る、業界で通用する特徴があるか
12.短期的および長期的な収益見通しをたてているか
13.既存株主の利益を損ってしまうような増資が行われてしまうおそれはないか
14.経営者は問題発生時に積極的に説明しているか
15.経営者は誠実であるか


 転職のタイミングについては、自分のキャリアが上り坂が下り坂かをよく考えることが必要で、その状況がよくわからない場合には転職しないほうが無難というのが著者の考えである。
また、仕事に激しく追われる状況が続く場合には、全力疾走するよりも立ち止まって違う道を行くことを考えたほうがよいといっており、その判断の基準として次の4つを挙げている(p.191)。
1.この経験は自分自身を成長させるのに役立つか
2.自分のやっていることは意味のあることか
3.このハードワークはいつまで続くか予想がつくか
4.きちんとした年収なり将来の約束(社会的地位、天下りなど)で処遇されているか

 当然のごとく、英語の必要性についても触れている。ポイントは「短期間に集中してやる」ことと、「とにかく使う」ことの2つを挙げている。例えば、毎日1時間を100日でやるよりも、毎日4時間を25日でやるほうを勧めている。使うことに関しては最近のスカイプ英会話でもよいといっている。確かに英語学習を取り巻く環境もここ数年で大きく変わったものである。ただし、著者はESS出身なので、学生時代にすでに相当英語をやり込んでいたことが想像され、万人に最適なやり方であるかはわからない。
「短期集中」と「とにかく使う」の組み合わせと聞いて「ダイエット」の方法との類似性を思い当たった。すなわち、初期の体重を落とす時期と、それを維持する時期の2つがあり、維持する時期の食事や運動に気をつけないと元に戻る。同様に英語(に限らず語学)も維持期の管理が不十分であれば、やる前にリバウンドする危険性をもつのだろう。



20年後に老人となる世代よりかは、20年後に日本を支える若い世代に読んでほしい本だ。

2015年2月1日日曜日

「世界最強の商人」 オグ・マンディーノ

原著は1968年に出版された、いわゆる自己啓発本の一種である。もっといえば、セールスマンとしての成功ノウハウ本の一種ともいえるだろう。

単なるマニュアル本ではなく、ものを売るための秘訣が巻物10巻に書いてあり、それに従っていくという物語的な体裁をとっている。「ユダヤ人大富豪の教え」と似てるかもと思ったが、時系列でみるとこちらの出版が早いのはいうまでもない。

各巻には、それぞれの教えと説明がある。

第6巻では、「今日、私は自分の感情の主人になる」で、感情のコントロールの重要性を説いている。感情の支配に関して、
弱者とは、自分の感情が行動を支配するのを許す人のことである。
強者とは、自分の行動によって感情を支配する人のことである。
といっている(p.130)。例え大人であっても、自分の感情によって行動が大きく影響されるヒトを見かけるのは実はそれほど珍しくはない。まるで、子供のように。そうならないためには、常に自分の感情の様子を客観的に見ることが必要だろう。


第7巻では、「私は世間を笑おう」といっているが、これはそのままでは誤解を招くかもしれない。要はいつも笑っていればよい影響があるということだ。(マック赤坂氏のイメージか。)でも、笑いを保てない困難な状況に遭遇することもあるだろう。そうした状況に対しては「これもまた過ぎ去っていく」と言い聞かせようといっている。「感情の主人になる」に通じるところがあると思う。




物語として、キリスト生誕前後のころの設定としている。そういった背景からもキリスト教の多い欧米ではこの本がさらに受け入れやすかった素地があったかもしれない。また、50年近く前の状況を考えると、それほど出版物があふれていたわけではなく、ましてやネットもなかった時代であったので、この本が爆発的なヒットとなったのかもしれない。
ほぼ、これまでに読んだ類似の啓発本と近いことが多いと感じた。この本から影響を受けているのかもしれないし、あるいは、成功に関しての原理原則はそう変わるものではない証であるかもしれない。

2015年1月12日月曜日

「ブラジル人の処世術 ジェイチーニョの秘密」武田千香

日本で感じる常識が、海外ではそうでないこともある。その常識はモラルや社会的な規範とも呼べるだろう。ブラジルでも日本の常識に照らし合わせると「?」と感じることがあり、その疑問に対して彼らの世渡り術である「ジェイチーニョ」を理解するのは有効であろう。

「ジェイチーニョ」の定義としては(p16からの引用)
なにかやろうとして、それを阻むような問題や困難が起こったり、それを禁止する法律や制度にぶちあたったりした場合に、多少ルールや法律に抵触しようとも、なにか要領よく特別な方法を編みだして、不可能を可能にしてしまう変則的解決策
としている。それでは、「違法」なのかといえば、違法でも合法でもない「グレーゾーン」の行為であり、秩序を度外視した領域に位置すると述べている。「ズルイやり方」とも呼んでいるが、ある意味「裏技」とも呼べるだろう。
アンケートの結果として、「銀行に勤務する人が急いでいる知り合いに、列の順番が先になるよう便宜を図る」ことに56%が「ジェイチーニョ」に該当すると回答した例を紹介している。日本でも融通を効かせることで起こりうるが、「例外的な」扱いにとどまるため違うのではないかと述べている。

価値基準についてはブラジルでは絶対的ではなく相対的だといっている。つまり、価値基準が人間に基づいているために、人が違えば価値基準も異なる。だからこそ、平気で約束を破るとか、言っていることがころころ変わることはブラジルの価値基準では何らおかしなことではないという考察は腑に落ちるものだ。



ビジネスをするには大変かもしれないが、ある意味「適当さ」や「いい加減さ」を許容することができないと海外で生きていくのは難しいかもしれない。タイであれば「マイペンライ」をどこまで「マイペンライ」で許容できるかに似ている状況だろう。

2014年11月10日月曜日

ネットの記事より - "あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」"

ネットで以下の記事が目に留まった。
オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった


コンピュータ化や自動化が進むにしたがって雇用がどのように影響を受けるか? というのが元になっている論文だ。ヤフージャパンの記事を見た時には最近の発表かと思われたが、調べてみると元論文は2013年9月に発表されていた。
The Future of Employment: How susceptible are jobs to computerisation?

「オックスフォード大学が認定」というのはちょっと語弊がある。正しくは、オックスフォード大の中の研究プログラムOxford Martin Programme on the Impacts of Future Technologyで発表された論文というべきであろう。

単純労働が置き換わり可能で、創造的な仕事や、対人的に高度な処理を必要とする仕事が置き換わりにくいだろうとの予測は、これまでも言われている予想の範囲である。ただし、ちょっと複雑なサービス業、例えばタクシーの運転手も自動化の可能性があるとみているのは新しいだろう。

ただし、ここでの予測に対して以下のような限界(=平たく言えば予想が当たらない場合のいい訳ともとれますが)も論文の中で注記している。
■安い労働力が不足している状態や、投資できるお金が十分な時には起こりうることである。
■規制や政治的な動向で、機械化の動きが減速される可能性がある。
(例として、カリフォルニアやネバダ州では無人運転車に対しての法規制を整備する動きに言及)
■未来の技術予測は大変に難しい。

上記のニュース記事では触れられていないが、元の論文では、アメリカの2010年時点での雇用者数の47%がコンピュータや機械に置き換わる危険にさらされているとみている。また、「賃金」と「置き換わる可能性」、および「教育水準(大卒以上かどうか)」と「置き換わる可能性」の相関性を見ると逆の相関がみられると分析している。つまり、今の雇用で賃金が安ければ安いほどその雇用がなくなる(=機械等に置き換わる)可能性が高く、また、労働者の教育水準が低ければ低いほどその雇用がなくなる可能性が上がるということだ。

 月並みな結論だが、将来、職を失い路頭に迷わないためには、最終的には「教育」が重要なのだと思う。

2014年9月28日日曜日

「怒らない選択法、怒る技術」 苫米地英人

本書のいう、怒るに値するための条件は以下の2つである。
1.相手に過失がありその過失によって自分に不利益が生じたとき
2.その過失が予想外だったとき
だから、買った株が下がったからとか、腹黒い上司が(予想通りに)手柄を横取りしようとしたとかいった場合には怒ることはないと述べている(いずれも予想できる事態だから)。
以前に紹介した「怒る技術」では、怒りの定量化(スコア化)や可視化、そしていかに怒りを静める(コントロールする)かが述べられていた。一方、苫米地先生は「怒るときは怒れ」と言っている。しかし、その怒りは単純な感情の爆発ではなく「目的を達成するため」の手段である。

怒るための作法についていくつかが紹介されている。
そのひとつは丁寧な言葉を使うこと。また、相手の発した激しい言葉に反応するのではなく、その裏にある思考を考えることが大切だと述べている。これについては、外交における相手の意図を読み取ることの重要性にも触れている。それは、中国や韓国の最近の動きが日本の怒りを買っている向きがあるが、それらの国の意図は国内の経済問題を外向きに転嫁することだというのだ。

怒りの場面における「それは常識だから」という常套句には疑ってかかれというのは、他の場面でもいえるだろう。例えば「みんなそうしています」という場合、「みんな」とは誰なのかとか、「通常はこのやり方です」の「通常」とはどんな状態かといったことだ。常識と関連して規定の「ルール」に対しても、それ自身が正しいものかをよく考える姿勢が必要であると述べている。オリンピックの種目で欧米がメダルを取れないとそのルール自体を変更したことが例示されている。

怒る上司に対しては疑問を呈している。
ビジネスの人間関係において、それは契約に基づく関係なので、そもそも「怒りに値する条件」を満たす状況は生じえないと。やることをやらないとか、十分なパーフォーマンスが得られなければそれは「契約」に基づき処遇をすればよいと述べている。ただ、そこに怒りの条件が整う背景としては、ビジネスにおける人間関係がプライベートに寄りすぎた場合に起こりうるのだと。日本では契約関係もあやふやであることが多く、確かに起こりがちなことだろう。
「怒られるうちが花」とも言われるように、怒られるうちはまだ相手の期待度が高いと前向きに捉えることはあながち間違いではないかもしれない。


怒りも、喜びや悲しみといった感情の一つで、例えば映画を見ていていろんな感情が表出したからといってもそれは「観客」としての間だけで映画館を出れば日常に戻る、だから、その感情を楽しめばよいというのはわかる。しかし、感情を引きずるから大変なんじゃないか? 自分の感情をモニターして客観的になることが感情に引きずられないためのコツなのではないかと思う。
ところで、「観客」と「客観」で文字の並びが逆なのは偶然?

2014年9月14日日曜日

「サラリーマンだけが知らない好きなことだけして食っていくための29の方法」立花岳志

サラリーマンだけがとは、一概には言えない点もあるかと思うのだが、会社勤めから離れて自由に生きるためのポイントみたいなものを紹介している本だ。

サラリーマンとして働くのではなく自由に働くのを目指すのもわかるし、いつかは独立するのならば会社のなかで空気を読める必要がないという主張もわかる。しかし、大半の人間は会社からはみ出して自立するほどの能力がないと個人的には考えている。「人間努力すれば必ず報われる」とか、「人間は生まれながらに平等」であるというのは嘘っぱちであることくらい、二十歳を超えたオトナならば誰でも知っているはずだ。無理に周囲に迎合する必要はないが、「空気を読む」ことはフツーの人々にとっては大切な技術であると言いたい。

この本にも書かれていることに従えば、すべてのヒトが独立してうまくか?そうとは限らないだろう。それは本人の努力であり、才能であり、あるいは運や時代の流れの要素も大きいあろう。
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本書では29項目が紹介されている。

「14 仕事帰りの飲み会は「あとに続くものか」を考える」では、
飲み会を「投資的飲み会」「消費的飲み会」「浪費的飲み会」の3つに分類し、「浪費的飲み会」はやめるべきで、飲み会のあとにも続くような「投資的飲み会」で新たなネットワークを築くことが大切だと述べている。


「26 すばらしい出会いをとことん楽しむ」では、
投資的な飲み会でできるネットワークは、人脈作りというよりは、パートナーシップであり、そのパートナーもメンター、同志、サポーターの3つでそれぞれが重要だと述べている。他の本でもよく出てくるが、「メンター」の存在は重要であろう。なるべき自分をイメージするのは難しいが、そのイメージに近いひとをメンターとすると具現化しやすいからである。
その師匠のイメージに近づくために「TTP」を勧めている。本書から引用すると以下のようである。
憧れる人のライフスタイルを自分のライフスタイルに採り入れて、TTP(徹底的にパクる)をしてみるのです。
ようするに、その理想とするヒトになりきるくらいの真似(パクリ)をしてみようというわけだ。目に見えない考え方の部分を真似るために、ライフスタイルを真似るのは意外と効果的だと思う。


「23 人生を楽しみ続けるために、慣れを捨てる」では、
現在のコンフォートゾーンから抜け出して、理想のコンフォートゾーンを設定してそこに向かえといっている。例えば、貧乏から金持ちになれないのは、貧乏であることが「快適」であるためで、そこを抜け出すためには金持ちの状態を新たなコンフォートゾーンに設定する必要があるというのである。そのためには、例えば、安い居酒屋に行かずに、高級レストランに行き、「本来、自分はこういった高級店が似合っているのだ」という、一種の刷り込みが有効だとしている。他にも、きちんとした身なりをすることも高い位置へコンフォートゾーンを設定するためには有効であろう。外見や生活様式といった表面上のことをランクアップするだけで、潜在意識への刷り込みが起こるのではないかと思うからである。


「21 やりたいことがあるなら、やらないことも決めなさい」では、
一日は24時間しかなく、1時間にできることはかなり限られているので、何か新しいことを始めたいならば、何かやめることを一つ決めるしかないと述べている。上述の「浪費的飲み会を減らせ」も時間を生み出すための一つだろう。「やらないことを決める重要性」に関しては、以前に紹介した「悩める人の戦略的人生論」でも触れられている。
しかし、もしもお金があれば、いま自分でやっていることの一部をアウトソーシングすることも可能である。つまり、お金さえあれば、ある程度は「時間を買う」こともできるのであり、やりたいことを増やすことが容易となるだろう。お金があれば必ず幸せになれるわけではないが、お金があればそれと引き換えにできるモノは大きい。


フリーランス指向でなくとも、使える本といえる。

2014年8月10日日曜日

「働かないオジサンになる人、ならない人」楠木新

「働かないオジサン」と言われて、想像するオジサン像は人それぞれかもしれない。ここでは、サラリーマンの職場における「働かないオジサン」の分析と、そうならないためはどうすればよいかを示している。(なお、同じ著者の「人事部は見ている」を以前に紹介した。そちらは「会社の歩き方」とも呼べる内容だった。)

面白いのは、「働かないオジサン」の特徴として、「いい顔で働いていない」ことを指摘している点である。本書で類型化されているタイプでいえば「無気力タイプ」を想像するとわかりやすいだろう。

働かないオジサンを生み出す構造的問題が日本で特有なものだとし、その理由として「新卒一括採用」と「ピラミッド構造」の2点を挙げている。一般的に日本では、まとめて採用し、しかもその際にみんなが「同期」としてスタートすることになる。引き合いに出されていた銀行の例を考えるとわかりやすいだろう(ドラマ「半沢直樹」の感じですね)。また、そのなかではピラミッド構造のためすべての人が、課長や部長や社長になれるわけではなく、そうならなかった人は「働かないオジサン」化する可能性がある。この仕組みはサラリーマンの世界特有というよりは、官僚の世界のほうが顕著であろう。だからこそ、上位のポジションに登れなかった時点で関係省庁や関係団体に「天下る」システムができたのだろう。

日本的雇用の慣習の特徴として「メンバーシップ契約」を指摘している。会社と従業員は所詮「契約関係」でつながっているが、日本では被雇用者間でも、あたかもクラブのメンバーのごとく相互に協力することが前提となっている。これは「契約」とは文面化されてはいないが、入社面接では「みんなとうまくやっていけること」が前提となっている点を考えると理解できる。だから、定時になってもみんなが帰る時間でないと帰らないとか、飲み会には参加するとかいう傾向を招くのだろう(今の20代の世代では変わっているかもしれませんが、私の世代ではそうでした)。

これらの考察で、少し残念な点は日本以外の雇用状況との比較が十分でないと感じられる点である。もしも著者が外資系あるいは海外企業での経験があれば、さらなる考察ができたのではないかと思う。


40歳で遭遇する、組織で働くことの意味に悩む状態を「こころの定年」と呼び、人生の定年(死ぬとき)、就業規則上の定年と分けていることは興味深い。この「こころの定年」に正面から向き合っていない状態が働かないオジサンを生み出していると考察している。

最終章では「働かないオジサンにならないための7カ条」が示されている。第4条の「師匠を探せ」、第5条の「お金との関わり方を変える」は、他の本でもよく言われることだ。つまり、よいメンターを見つけろとか、仕事に直接関係しない飲み会では経費を使わずに身銭を切ろとかいうことである。


想定される読者は若いサラリーマンでしょうか。働かないオジサンへの対処法も記述してあるので、実用性はあるでしょう。
現在の20代が、働かないオジサンとなるかもしれない年代までサラリーマンとして勤めているかは疑問ですが、今、見られるそうしたオッサンを反面教師として学ぶ点もあると思います。

2014年7月21日月曜日

「逆境経営」 桜井博志

日本酒の「獺祭」を作っている、山口県の旭酒造社長が著者である。ほとんど廃業の危機にあった酒蔵を急逝した父親から引き継いで、そこからどのようにして持ち直したかという内容だ。

かつて日本酒は地域で消費されるのが通常であったが、東京を市場としたマーケッティングや、さらに、海外へと展開を図っている点が、これまでの地方酒造会社とは異なる点だろう。また、その方向性として、海外に合わせた品質(味)とするのではなく、あくまでも「日本酒」としての味は変えないとしている点が経営方針の特色だろう。世界展開している食品メーカーの例をみてみると、世界ブランドとして同じであってもその味をローカルにカスタマイズしていることが多い。(たとえば日本茶のペットボトル飲料で、甘味料が入っているものなど海外で見かける。)どういった戦略をとるかは経営として重要な点であるが、旭酒造のぶれない「日本酒」が世界で通用するのか、今後を見守っていきたいものである。

日本酒の製法に関しても、これまでの杜氏制度から、自社の社員が酒造りするシステムに変えたり、また、年間を通じて酒造りを可能なやり方を導入したのは、地方の酒蔵としては画期的だ。ただし、これも、経営の危機からの逆境から生み出されたことである。「杜氏がいないなら自分たちで、職人しかできないことであればマニュアル化し指標を明らかにし品質管理する」という路線は、まさに「だれでもできる」ための仕組みづくりといえるだろう。今後、製造規模を拡大するらしいが、これらの管理手法があってこそ「拡大路線」が可能だと思う。なぜなら、小スケールの生産で、管理を「経験と勘」に頼っている場合、同じ味をスケールアップで出すのは難しいからである。

「いいものをつくる」という理念に加えて、「どこで売っていくか」を考えている点(=地方ではなく、お東京や海外を販売先としている点)で、経営のセンスがあるのではないかと思う。

2014年5月18日日曜日

「「一体感」が会社を潰す」 秋山 進

副題として「異質と一流を排除する〈子ども病〉の正体」とある。著者は、個人、組織文化そしてマネジメントが「コドモ」であるか「オトナ」であるかで区分しており、従来の日本企業に見られた「コドモ」の状態ではダメなのだと言っている。その「コドモ」の組織とは、競争力の源泉は標準化力と同質性にあり、組織は一体感で結ばれており、個人間の関係は摩擦回避の上で成り立っている組織だとしている。それに対する「オトナ」の組織とは、競争力の源泉は専門技術力と異質性にあり、組織はビジョンや理念でつながり、個人間の摩擦が発展の糧になる組織だと特徴付けている。

企業に身を置く場合でも、「専門性の高いところで勝負しろ」といっていることは至極まともではあるのだが、現実的にそんなに能力の高い人はいるのか? 残念ながら、能力に恵まれ努力が報われる「プロフェッショナル」な企業人は一握りしかいないと思う。(誰もがイチローのように大リーグで活躍できるわけではないのです。)
すべての物事にはすべてよい点もあれば悪い点もあり、日向の部分があれば日陰の部分もできる。なので、著者は従来の日本的な企業のあり方を「コドモだ」として批判しているが、物事はそれほど単純化できない、というのが私の率直な感想である。

個人間の摩擦を恐れてはいけないし、その点については「電通鬼十則」からの引用もされている。ただ、摩擦が常にOKかといえば、そうではなく状況によるのではないか。なぜならば、論理の正しさと感情との関係を完全に断ち切ることは不可能だからである。たいてい場合、意見の対立が生じても、「正しさ」だけに基づくのではなく、うまいこと「落としどころ」を見つける能力も必要であるに違いない。他人のことを考えず全く摩擦を恐れる必要のない人間とは、ほんの一握りの卓越した人間だけであろう。

キャリアに対する考え方として、自立軸として、丁稚→一人前→一流、自律軸として、他律→自律→統合律のマトリクスでキャリアの段階をプロットできる方法が示されおり、今後のキャリアを積み重ねていこうと考える人にとっては役立つ本である。


「10年後に食える仕事食えない仕事」 でも書いてあったように、「無国籍ジャングル」で生きていけるのは極わずかの一流しかいない。超一流以外の人には、「無国籍ジャングル」で戦う以外の別の戦略があって当然だろう。

2014年5月6日火曜日

「僕がグーグルで成長できた理由」 上阪 徹

タイトルと著者を見て、この著者が「僕」(=グーグルの人)かと思ったが違った。この本は、著者がグーグル日本法人幹部の徳生(とくせい)氏へインタビューして構成されている。徳生氏の高校中退後から、その後のアメリカ生活とベンチャー企業での経験、そして、グーグルに入社してからのことが書かれている。ホリエモンの経歴と対比してもおもしろい。

高校3年で中退して渡米し、それからコーネル大を卒業後にスタンフォード大の大学院に進んだという徳生氏の経歴からみて、非凡な能力を感じる。一度だけの日本の大学受験制度に対して、アメリカではチャンスが多いし、総合的に判断されるから渡米を選んだと述べている。また、受験制度だけではなく、勝ち組負け組と固定されるのではなく何度もチャレンジできる文化がアメリカにはあると述べている。(結果がよくない場合であっても、英米ではその過程を評価する"Good try!"の言い回しがあることからもうかがえる。日本語では見当らない気がします。)


グーグルのすごい点はわざわざ言うまでもないだろうが、以下挙げてみる。
1. 会社としての目標が途方もなく大きい。
”ムーン・ショット”や”10x(テン・エックス)”といったキーワードがよく使われる。かつて行われたアポロ計画の月面着陸級の偉業や、今の10倍の価値を目指そうというビジョンを持つ。

2. 経営陣が世界の全社員に向けて毎週ライブミーティングを行っている。そしてライブで従業員の質問に対応する。(5万人規模の会社で、だ。)

3. 物事を徹底して数値で判断する。
その元となるデータから切り出して数値化し判断材料として示す。そしてそれをどう可視化してプレゼンし理解してもらうかも重視される。


リーダーシップに対しては、少ない情報でも決断を下し周囲を説得することができなければいけないと述べている。判断が正しくできるほどの情報を迅速に集められるほうがまれであることは容易に想像できるし、判断材料を十分にそろえようとすれば判断時期が遅れるだろう。
徳生氏がキャリアコーチに言われて心に残った言葉として、
"You don't always know if you are right. But you can work like hell to make it right."
「正しいかどうかは分からなくても、がむしゃらに努力して正しくすることはできる」 
を紹介している。結局は、どんなにすごい人であっても、がむしゃらになることが必要なのだろう。(余談ですが、「結婚相手の選択とその後の生活 」とも共通しているかもしれません。相手の選択がベストかは不確定ですが、ベストにすべく努力することは可能ですから。)



グーグルはすごいが、徳生氏もすごい。ただ、その裏には努力があり、ただ羨むだけでなくその姿勢には見習うべきものがある。

2014年5月3日土曜日

「ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく」 堀江 貴文

ゼロに何をかけてもゼロのままである。だからゼロの状態にまず必要なのは足し算(=自分の地力を底上げする)で、それは小さなイチでかまわない。小さなイチは自分への信用すなわち自信である。「成功へのショートカット」を求めて、掛け算(=他者の力を借りる)をしようとしても「ゼロ」では何も進まない。
 以上が本書のエッセンスである。

著者の幼少時代から世間で大きく注目されるまでが振り返られている(自伝と呼んでもいいだろう。)また、働き方やお金に対する考え方が書かれているが、「お金から自由になる」などの見方は他の本(たとえば本田健)と同様である。

著者が非凡であると感じられる話は、小学校時代の家庭環境である。家庭でまともにあった唯一の蔵書である百科事典全巻を、始めの「あ」の項から最終巻までをひとつの読み物として通読したと述べている。ネットのなかった当時から網羅的な情報を求めていたと振り返っている。この話が事実だとすれば、幼少から既に凡人でなかったといえるのではないだろうか? (ビル・ゲイツにも「10歳の誕生日を迎えるまでに、家にあった百科事典を最初から最後まで読破」の逸話があるようですが、偶然の一致なのでしょうかね?) 

自分で自分の限界をつくっているのは意識の差であり、物事を「できない理由」から考えるのか、「できる理由」から考えるのかの違いだと述べている。同じことだが、「できない理由を考えずに、どうしたらできるのかを考えよ」というのを耳にしたことがある。できない理由を挙げることは簡単である。しかし、それでは限界をつくるだけである。できるための方策を考えることが重要であることは間違いない(大抵は難しいが。)

成長のためには小さな成功体験の積み重ねが必要で、成功へのステップを以下の3つに分けている。
①挑戦……リスクを選び、最初の一歩を踏み出す勇気
②努力……ゼロからイチへの地道な足し算
③成功……足し算の完了
興味深いのは、挑戦と努力をつなぐのは努力でありそれこそが重要なのだと強調している点だ。
努力のポイントとして、そのことに没頭することを挙げている。すなわち、受験勉強であっても、それを「ゲーム」のようにして没頭できれば、それは大した努力でもないと述べている。自分の経験と照らし合わせると、まったく同じことを感じた経験がある。それは、社会人になって一時テレビゲームをやるようになってからだった。あるソフトでステージをこなしていくためには、それなりにやりこむことが必要であった。で、やりこめばだんだんとうまくなっていき、達成感も味わえた。ふと思ったのが、「ゲーム」が「勉強」に置き換わってもそのプロセスが同じではないかということだった。ゲームがなかなかうまくならなければ嫌いになると同様に、勉強してもさっぱりいい点がとれなければ嫌いになる。

「チャンスがきたらそれに飛びつけ」の部分で「桃太郎」の例を挙げ、流れてきた桃に飛びついたからこそ話が始まったのであり、さらに、その時に躊躇する必要はないと述べている。実際には、「流れてきた桃」に気づくだけの感性が必要であろう。そのためには、常に頭を活性化させておく必要がある。「飛びつく」前に、気づくかどうかが、非凡かどうかの違いではないだろうか。

時間については、それはまさに命そのもので、他人の無駄話に命を削られたくないといっている。ただ、飲み会やゴルフはそれに集中する時間で時間の浪費ではないといっているのは面白い。自分の時間を生きればよいということであろうか。
その一方で睡眠時間を8時間確保し、起きている時間に集中して仕事の質を高めればよいといっている。もっと睡眠時間が短いかと思っていたので意外である。

あれほど精神的な強さを持っているように見受けえられた著者であるが、死に対する恐怖を語っている。仕事に熱中している限りは死について考える必要がないとすると、著者の努力の源泉は死の恐怖を紛らわすためなのかもしれない。

働き方を考える上で参考となる本である。

2014年4月26日土曜日

「日本の人事は社風で決まる」 渡部昭彦

「日本の」というよりは、「日本企業の」人事と言ったほうが正確であろう。実際、外資系企業との話は別のものとして論じている。
副題にもあるように、社風とはコトバでは表現できない暗黙知であるとしている。そして、社風を決める要因として、ビジネスモデルを規定する顧客との距離、資本形態(=株主は誰か)、会社の歴史の3つを挙げている。(なお、ここでは詳しくは言及されていないが、企業が合併していく過程で社風がどのように変化するかは興味のあるところだ。)

「社風と採用」の章は興味深い。なぜなら、新卒採用は人事部の面接では、最初の3分で決まるといっているからである。当然、そこまでには選別も行われるだろうが、結局は、会社の社風をよく反映する人事部が「暗黙知の」社風で決めるというのである。つまり社風に合いそうになければ採用されないといえる。
この事に関係して、以前にある会社の人事担当が「自分の上司は、とにかく人を見る目は間違いがない」といっていたことを思い出した。はっきりと規定できない判断基準(それは往々にして社風だったりする)を人事部長(級)の人は使うことのできる技量を備えているということだろう。

社風を知り、できるだけ社風にあわせることで出世できるが、大事なことはライフワークバランスと、社内の人間との距離での立ち位置にあると述べている。すなわちワーカホリックと私生活重視のどの辺とするのか、また、従来の日本企業でみられたウェットな人間関係なのかドライでいくのかの立ち位置である。また、自分のいるべき立ち位置を知っても社風に会わないと気づいたときには、他の会社に移ることも視野にいれてよいだろうと述べている。

この本は、外資系ではないことを前提としているので、スペシャリストとしてキャリア形成を考える人にとっては関係ないかもしれない。(外資系には「社風」はないと著者は言っている。)ただし、自らの技量ひとつで食っていける世界は相当厳しい。そんな仕事の世界は、「10年後に食える仕事食えない仕事」で示されたカテゴリーでは「無国籍ジャングル」の部類だろう。

終身雇用を選ばないにしても、生きていくうえでは、その場の空気を読み取る力がその人の人生を左右するとも言えるのではないだろうか。



2014年3月30日日曜日

「「ご指名社員」の仕事術」 柳内啓司

これからの時代、「ご指名」される社員じゃないとやっていけないと著者は言う。その根拠は、人間の仕事が容易に機械に取って代わられることと、世界がフラット化して同じ仕事であれば最も安いものを調達化となったからだとしている(『私たちは「amazonに並べられた商品」になる』という言い方をしている)。

「ご指名」に際して専門性のほかにコミュニケーション力(以下「コミュ力」)が必要で、しかも専門性をアップする前にコミュ力を向上させようと言っており、さらに、コミュ力のなかでも「気がきく」スキルが重要だと言っている。
私が思うに、「専門性」がズバ抜けていれば、コミュ力が乏しくてもなんとかなる場合もあるだろう。  しかし、大抵の場合、ずば抜けた専門性では他人と差別化できないために、コミュ力の差で「ご指名」されるかどうかが決まるのだろう。以前紹介した本(「うっかり一生年収300万円の会社に入ってしまった君へ」)も、専門性の高い職種でも、コミュ力が重要であると指摘していた。
著者の言うように「気がきく」ことは重要だと思う。しかし、それって相当難しくないか?少なくとも、会社のなかで「気がきく」といわれるためには、その対象となる相手に対して関心をもち、よく観察することが必要であろう。「気がきく」スキルはある程度磨くことができるかもしれないが、生まれ持った才能の一部なのかもしれない。

 先輩社員とは飲みに行くことを勧めており、そのメリットとして企画がダメな理由や本音を聞くことができるとしている(一昔前ならば、わざわざ本で書かれることもなかったのでしょうが)。また、普段から他の部署にぶらりと寄って話しをする(=著者は「社内パトロール」と呼んでいる)ことが、いざというときのご指名につながると述べている。接触の頻度が高いほどその関係は親密になるのは心理学的にも証明されている(はず)なので、本書では触れてはいなかったが、おそらくゴルフをすることも会社勤めのうえでは重要なことなのであろう。つまり、仕事を離れた関係が仕事の中の関係性に影響するので、これをうまく利用していくべきであろう。


社会人経験5年以上なら、あまり新鮮でないかもしれないですが、新入社員ならば読んでおくべき内容が多いです。

2014年1月12日日曜日

「うっかり一生年収300万円の会社に入ってしまった君へ」平康 慶浩

ざっと線引きすると、サラリーマンで年収300万円のラインが生活苦となるか否かの境界だろう。そうしたエリアのサラリーマン(非正規雇用者を含む)が現状を抜け出すために書かれた本であるが、それ以外のサラリーマンのためのビジネス書としても有用である。

■給与が増えなくなった理由として以下の2点を挙げている。
①人件費がもはや固定費ではなく変動費となりコストとして管理されるようになった。
②転職が普通になった結果、市場原理により給与の相場ができ、転職市場を利用して人材の取替えができるようになった。

■300万円を抜け出すための方法として、会社の状況にあった給与の増やし方が示されている。
「普通の企業」であれば「定期昇給で増やす」、「ブラック『型』企業」であれば「昇進で増やす」、「業績悪化型」であれば「配置転換で増やす」といった具合である。また、ブラック『型』かつ業績悪化型の「二重苦企業」であれば、普通の会社への「転職」をすすめている。


■業種別、職種別に具体的にどうすればよいのかを書いている点が本書の特質すべき点である。(ここでは「専門職」についてざっとまとめる。)
専門職は入れ替え可能であり、その給与水準も転職市場の相場で決まると述べている。(もろに専門職であれば、10年後に食える仕事食えない仕事の「無国籍ジャングル」であろう。)
専門職で給与を上げるヒントは欧米系のファーム(弁護士事務所や会計事務所など)にあるとし、具体的には以下の3つを挙げている。

1.コミュニケーション能力を伸ばす
これにより「太い客」をつかめといっている。言い換えれば「営業能力」ではないだろうか。例えば顧客と仕事以外の付き合いがあるほうが仕事が取りやすいことは自明であろう。

2.希少価値を得る
さらに専門分野に特化する、あるいは語学力を生かすなど。ただ、語学に関しては「英語」が希少価値かどうかは意見の分かれるところでしょう。

3.お客様のところへ行かない
「現場」を離れてマネージャーを目指せといっている。
「マネージャーとしての資質」の定義がかなり面白い。先進的な会社と古い体質の会社の2つの場合の定義をしている。
先進的な会社での資質は一般のビジネス書でいわれるようなことであり、すなわち、引用すると、
・過去を否定せず、新たな発想を提案している
・部下に、ではなく、自分を含めたチームとしての発言をしている
・会議では常に積極的に議題を提案している
で古い体質の会社でのマネージャーの資質を引用すると
・上司の考えに対して異論をはさまない
・部下にサービス残業を命じることができる
・会議で積極的に発言しない
となっている。(毎年の評価で標準以下になっていないことが前提としているが)。
会社の体質で求められる資質が変わる点を指摘しているのは興味深い。上記の例では資質は「変わる」というよりは、もはや「正反対」ともいえる。結局、状況や環境によって求められる資質は変わりうるものであり、特に具体的になればなるほどただ一つの法則として示すのは困難であろう。

さらに人事制度の理解と上司を巻き込むことの重要性にも言及している。
サラリーマン(雇われ人)として生きることを選んだ人には大いに役立つ本である。

繰り返しとなるが「具体的」にどうしたらよいかを業種別職種別に示している点が素晴らしい1冊である。

2013年12月28日土曜日

「ノマドと社畜」谷本真由美


「ノマド」はいわずと知れた「ノマドワーカー」のことで、例えば、プロのブロガーがよく知られた例である。彼らはパソコンとネット環境さえあれば、物理的に固定された場所(事務所)とは関係なく、遊牧民のごとくあちこちで仕事ができる。
こうしたノマドが人気となっている風潮に対して、著者は、「現実はそれほど甘いものではない」ことを述べている。

ノマドの基本となるのは、その人のプロとしての技量であり、あちこちで自由に働くという意味で、フリーランサー(自営業)となんら変わりがない指摘はもっともである。で、その世界は例えるならば宮大工や畳職人の世界と述べている。いわゆる「職人」である。

ノマドになりたい人がやるべきこととして、以下の4点が挙げられている。

  1. 実際にフリーランサーとして5年や10年働いているひとに話を聞いて実態を知る
  2. フリーランサーとして必要なスキルや技能を探して身につける
  3. フリーランサーとして働くための基礎知識を身につける
  4. 英語を身につける

「4.英語を身につける」ことを勧める理由(自分を差別化できる.サービスや商品を世界中に売り込むことができる.日本以外で働ける.)を挙げているが、これらの理由はいまさら言われるまでもないだろう。それだけ読者のレベルが低いと考えているのだろうか?あるいは著者がこれらの英語を身につける理由を説明しないとならないレベルの若者と接してきた経験からだろうか。


ノマドあるいはフリーランサーで生きて行く世界は、実力勝負の厳しい世界である。しかも、地球上のどこであっても闘える能力が必要である。以前に紹介した「10年後に食える仕事食えない仕事」の分類のなかの「無国籍ジャングル」と同じだ。

「社畜」については、特に日本特有の雇用形態と欧米(ここでは著者の詳しい英国の状況)と比較し、ノマドの対極にあるものとして挙げている。日本企業では、通常は職務の範囲の細かい契約がない(少なくとも自分の勤務先ではないし、大多数がそうだと思う)。だから、付き合いで残業したり、人の仕事を手伝うことが暗黙のうちに要求されたりし、なんとなく頑張ることが評価されていたりする。もちろん、こうした業務範囲の「あいまいさ」が、過去の日本経済の発展を支えてきたことも否めない。ただし、終身雇用や年功序列といった旧来の制度があったからこそ成り立っていたと思われる。
本書でも「ノマド的な社畜であれ」と言われるように、仮に現在が社畜的なサラリーマンであっても、いつでもノマドとして飛び出していける準備をするのは現実的な対応であろう。ブラック企業ではまずいが、会社で無茶苦茶なことがあったとしても、それで安い給料しかもらえないと考えずに、お金をもらって貴重な経験を得ているいう見方もできる。また、やり方によっては上述した「ノマドになりたい人がやるべきこと」の4つのうちの3つぐらいは社畜としてもできるかもしれない。