2013年1月27日日曜日

「感情労働シンドローム」 岸本 裕紀子

「感情労働」の概念は1970年代にアメリカで生まれ、当初は、客室乗務員など外の顧客を相手にした仕事に対する概念だったようです。著者はこの「感情労働」が、一つには、職場の上司や部下の「内向きな」顧客以外に対しても必要とされてきた点、また、従来感情労働に無縁であるとされていきた教師などの専門職にも必要とされてきた点を指摘し、それらに伴った問題が生じ広がっている現象を「感情労働シンドローム」と名付けています。

この感情労働の広がりのなかで、職場における世代の違いと感情労働の影響の違いが生まれた時代的的背景として、日本の景気減速、そして、日本における成果主義の導入、そしてこれらに関係する雇用形態の変化を挙げています。

この本で知って驚いたのは、経済産業省が2006年に、社会が求める「学んだ知識を実践に活用するために必要な力」として「社会人基礎力」を打ち出している事実です。それは、
 前に踏み出す力、
 考え抜く力、
 チームで働く力
の3つの能力そしてそれらがさらに具体的な12の要素からなっています。
いよいよ国家が社会人を育成する時代になったのでしょうか? 社会人として求められる能力は入社後にOJTでやればよいと思うのですが、終身雇用の形態がなくなり、即戦力が求められる今では、OJTなどと言ってられないのかもしれません。
しかし、いかに就活を通じて準備をしてきても、社会人となった後での何らかのギャップは避けられませんから、それが感情的なひずみを引き起こすのでしょう。社会でもマニュアルに沿ってすべてが片付けば楽なのでしょうが、そうはいかないことも多いです。(すべてマニュアルで対応できる仕事を選べば別ですが。)

本書の内容は、読むヒトの年代によって感じ方が違うかもしれませんが、昨今の「気持ちの病んでる」ヒトが増加している原因を考察するうえでの参考になるでしょう。











2013年1月26日土曜日

洋画にみる名セリフをまとめてみた

前回のエントリーで、映画の翻訳(邦題)のつけ方に触れました。そのことがきっかけで、映画に由来する有名なセリフがあることを知りました。日本語のブログでも扱われてますが、その出典がはっきりしてなかったので本当に有名なセリフはどんなものがあるかをざっと調べてみました。


■2012年9月の「Sydney Morning Helald」では記憶に残る映画のセリフ10として以下が挙げられています。
Top 10 Most Memorable Movie Quotes


1. "I'll be back." The Terminator
2. "Frankly, my dear, I don't give a damn." Gone With The Wind
3. "Houston, we have a problem." Apollo 13
4. "May the force be with you." Star Wars Episode IV A New Hope
5. "My mamma always said, 'Life was like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.'" - Forrest Gump
6. "Nobody puts Baby in a corner." Dirty Dancing
7. "Of all the gin joints, in all the towns, in all the world, she walks into mine." Casablanca
8. "There's no place like home." The Wizard Of Oz
9. "Here's Johnny." The Shining
10. "No, Mr Bond. I expect you to die." Goldfinger


■2010年4月の「movifone」では、「使い古された映画のキャッチフレーズ10」として以下が挙げられています。
The 10 Most Over-Used Movie Catchphrases

1. "I'll be back." ('The Terminator')
2. "... Bond. James Bond." (James Bond)
3. "Houston, we have a problem." ('Apollo 13')
4. "May the force be with you." ('Star Wars')
5. "You can't handle the truth!" ('A Few Good Men')
6. "Show me the money!" ('Jerry Maguire')
7. "Run Forrest, run!" ('Forrest Gump')
8. "Say hello to my little friend!" ('Scarface')
9. "I'm the king of the world!" ('Titanic')
10. "You had me at hello." ('Jerry Maguire')



■2005年6月のAFIでの100のセリフでは以下のようになっています。
AFI's 100 YEARS...100 MOVIE QUOTES


1. Frankly, my dear, I don’t give a damn. GONE WITH THE WIND 1939
2. I'm going to make him an offer he can't refuse. GODFATHER, THE 1972
3. You don't understand!  I coulda had class. I coulda been a contender. I could've been somebody, instead of a bum, which is what I am.
ON THE WATERFRONT 1954
4. Toto, I've got a feeling we're not in Kansas anymore. WIZARD OF OZ, THE 1939
5. Here's looking at you, kid. CASABLANCA 1942
6. Go ahead, make my day. SUDDEN IMPACT 1983
7.All right, Mr. DeMille, I'm ready for my closeup. SUNSET BLVD. 1950
8. May the Force be with you. STAR WARS 1977
9. Fasten your seatbelts. It's going to be a bumpy night. ALL ABOUT EVE 1950
10. You talking to me? TAXI DRIVER 1976

'Jerry Maguire'の"Show me the money!"や"You had me at hello."は、英語の世界ではよく知られたセリフであることがよくわかりました(ただ、私が知らなかっただけでしょうが)。

"Go ahead, make my day."が印象に残っています。それにしても、邦題の「ダーティーハリー4」がオリジナルなタイトルかと思ってましたが、原題はSUDDEN IMPACTだったとは。

「風と共に去りぬ」や「カサブランカ」は、やはり必見でしょうかねえ。





2013年1月25日金曜日

「翻訳者はウソをつく!」 福光 潤

翻訳にまつわる「小ネタ(=豆知識、トリビア)」で構成されているのが本書です。

面白いとおもったのは「翻訳スタイル」について記述されている部分です。
スタイルとして以下が挙げられています。
「逐語訳、直訳、意訳、改訳・新訳、翻案、豪傑訳、超訳、抄訳・完訳、ローカライゼーション」。
「豪傑訳」は、翻案(ストーリー展開を借りて、人物や場面を日本らしいものに置き換えた改作)をさらに「改ざん」に近く変更した、明治期に見られたスタイルだそうです。翻案までは訳としてよいとしても、これほどすごい時代があったのですね(まさにトリビア)。
一方で「超訳」は翻訳を超えた訳で、「アカデミー出版」の登録商標らしいです。意訳と翻案の合体のイメージでしょうか。最近、哲学書で「超訳…」な本を見かけますが、同じカテゴリーなのか確認してません。

「ウソをつかれて」いるわけでもないですが、日本で呼ばれている映画や小説のタイトルがそのまま結びつかない場合があるので、洋物についてネイティブと話題をともにする際には、原題と邦題のギャップを知っておく必要がありそうです。最近、「Jerry Maguire」という映画についての話題が出たのですが、まったく心当たりがありませんでした。調べてみると邦題は「ザ・エージェント」だったのですね(知らなかった…)。
洋画の場合に、原題をみて邦題をみて、そのギャップから翻訳者(あるいは映画配給会社の担当者)の発想に思いをめぐらすのも楽しいかもしれません。



*残念ながら新品では入手できない(絶版)ようです。

2013年1月20日日曜日

「百匹目の猿」 船井幸雄

「ある行為をする個体の数が一定量に達すると、その行動はその集団だけにとどまらず、距離や空間を超えて広がっていく現象」が「百匹目の猿現象」と呼ばれています。ここで「百匹目」はその一定量を便宜的に数値化した比喩的表現です。

著者は「どこかでだれかが何かいいことをはじめると、それは必ず集団内でマネされ、そのマネの数が一定数に達すると遠く離れた場所でも同じ現象がはじまり、社会全体に浸透していく」と主張しています。だから、各自が自覚をもって生きることを心がければ、それが共鳴して社会全体が良くなり地球環境や人類の将来のためになると考えています。その共鳴が「波動によって」起こる点については、少し理解できませんが、世の中には科学で説明できないこともありますから「何か」があることは否定できないでしょう。

「人相と生き方」については以下のように述べています。
人相は生き方そのものを反映しており、笑顔と感謝を絶やさない正しい生き方をすればおのずとよい人相になる。そしてその生き方は、
人から奪うのではなく人により多く与えること。
他からもらうより多く与える生き方を心がけること。
心を楽に保ち、ストレスをためないこと。
明るいプラス発想で、良心にそって生きること。
何にでもやさしく、我欲を押さえ、バランス感覚にすぐれ、本物をよく見聞きすること。
自然に反する生き方をやめること。
人の悪口や欠点を口にしないこと。
何かの宗教の戒律っぽいです。これらの生き方を実践できれば「悟りの境地」でしょう。日常これらを心がけていれば将来悪い人相にはならないでしょうね。。
私の場合、できるだけ否定的な言葉を他人に対しても自分に対しても発しないように気をつけています。自分に否定的な言葉では、自己の潜在的な意識がダメージを受けると考えているからです。笑顔を絶やさないのは難しいですが、心が沈んでいても、あえて外面を変えてみることで心も変わることは可能だと思います。「カラ元気」も案外、その効果はバカにできないと思います。

教育については、自分のためには「師」となる人物をもつこと(今風に言えばメンターでしょうね)、また人を教育するには盆栽方式ではなく野菜方式をと、言っています。つまり、形を整えて型にはめるのではなく、いろんな形のままでそれぞれを大切に育てる姿勢が大切だと述べています。また、この考えから、「短所に目をつぶり、長所をほめる」方法がずっと効率のよいことを述べています。自分自身を変えたいと考えるときでも、欠点を修正して長所にしようとするよりも、欠点はそこそこ平均点にまで上げるようにがんばって、長所を伸ばしていくほうが効率的でしょう。「選択と集中」という経営の考え方にも似ています。

部分的には、内容に関しては少し宗教的な感じがするのは否めません。しかし著者は経営コンサルタント会社の偉い人であり、いい加減な内容ではないと思います。生き方のヒントになる一冊。



百匹目の猿 「思い」が世界を変える

2013年1月19日土曜日

「IT時代の実務日本語スタイルブック」 山本ゆうじ

ネットあるいはパソコンの時代となって文書の書き方も変わってきました。電子文書では、文書を共有あるいは再利用したり検索したりできるための工夫が必要であり、そのための表現や記号使用のための表記基準の必要性を著者は指摘しています。

文書、特に実務文書を書く上での要点も述べており、「百半ルール」「重先ルール」という具体例が示されています。
「長すぎる文章は短くする」ことは一般的な注意として知られていますが、本書では「百半ルール」と呼ばれる基準を提案しています。このルールでは「1文が百字を超えた場合、文を二つに分けましょう」という具体的な、どの程度で文を分割するかの目安が示されています。また、百字を少し超える場合に、少し減らすよりはこのルールに従って分割したほうが容易であるというメリットもあります。
「重先ルール」では、「文あるいは段落では、重要なことを先にもってくるほうがよい」と述べています。特に日本語の文では大事なことが文の最後のほうに来る可能性があるので、注意が必要だと思います。「段落」でキーセンテンスを先に持ってくるのは、こちらで触れたように英語の構成であれば当然でしょうが、日本語では見過ごしがちな点です。

著者は実務翻訳者の観点から、「わかりやすく」「実用的な」日本語文書の書き方を論じています。英語との対比に基づいている点は内容が理解しやすいです。
日本語には主語がなくても文の構成が可能である特徴がありますが、極度に英語に訳しにくい文は論理的な構成となっていないことが多いことは私も経験しています。特に論理性を求められる場合には、英語に訳しやすい日本語の構成を心掛ければ、実用文書としても通用しやすいのではないでしょうか。



2013年1月14日月曜日

「英語で話すヒント」 小松達也

本書では通訳者として必要な技術を、英語学習者に役立てるための方法が紹介されています。

日本人に求められる英語力を、「日本のことをよく知り、社会や世界の動きなどについて自分自身の意見を持ち、それを外国のヒトに分かるように発言できる能力」と言っています。(だからこそ、タイトル[英語」ではなく「英語」としてるのでしょう。)
自身の意見を発言する際には、「まず日本語で考え整理してから英語で表現するほうが特に初心者にはよい」と述べています。確かに、日本語でうまく表現できない自分の意見を、まして英語で表現できるわけがなく、納得できます。よく言われるように、まずは日本語(母国語)を正しく使いこなせることが、外国語をうまく使うための前提といえるでしょう。

聞き取りでは、「すべての単語を聞き取る必要はなく、聞き取れた単語の前後関係から何を言わんとするのかを類推する態度こそが大切」で、逆に、話すときには、「発音が多少悪くても(たとえばLとRの区別ができていなくても)、話の脈略のなかから聞き手が理解するのでそれほど問題ではない」と述べています。これは英語に限らず、日本語で会話するときも同じだと思います。聞き手は相手の発言の「音」をすべて聞き取った上で相手の話の内容を理解しているとは限らないからです。会話において、話し手の不正確な発音の単語を聞き手が勝手に(無意識の推測で)判断して解釈することで「誤解」の起こる状況は、日本語でも同じです。


通訳者の視点として、英文法的な解説もなされています。

「パラグラフ、 メインアイデア」の重要性に関して、
「パラグラフはメインアイデアを中心として話が展開される。メインアイデアは、センテンス(マスターセンテンス)で表される。そのセンテンスは通常、パラグラフの冒頭にくるので、最初を注意して聞くことで大意をつかむことができる。」と述べています。この点は、日本語で話したり書いたりする際にも「論理的な構成」であるためには重要なポイントだと思います。

ボキャブラリーを増やす方法に関しては、
「意図的な習得(受験勉強のように単語だけを切り離して記憶しようとする方法)は語彙の25%を超えるべきではないく、本を読む過程で身につくような付随的な習得が望ましく、多読は効果的である」と述べており、具体的にはミステリーを多く読むこと挙げられています。
自分も付随的学習方法には賛成です。何よりも、意図的習得の過程は楽しめないし、本を読む際に出てくる単語を覚えるほうが自然だからです。(最近読んでいる小説に、何度も"grin"という単語が出てきて、覚えることができました)。ただ、意図的な習得でも25%以下であれば悪くないということであれば、地道に単語を暗記して語彙を増やす努力も一方では必要かもしれません。

コローケーションに関しては、
「正しいコロケーションを知っていれば、きれいで自然な英語が話せる。ただし、コロケーションのつながりは理屈ではなく慣用的に決まったものなので、出会った際に地道に覚えていくしかない。」として、「強い雨」は"heavy rain"で、"strong rain"と言うのは不自然だという例を挙げています。ある意味、文法的にはすっきりと説明できないこうした部分は、地道に覚えるとともに、多読なりの経験でより多くの英語に触れることによって自然さや不自然さを体得するしかないのでしょう。

「英語学習には持続性が大切であり、学習は生涯続くものだから楽しんで学習する」ことがすすめられており、「進歩を目指すのは楽しいこと」だと述べています。だから、どれだけ進歩したかを実感できる仕組みを取り入れることが持続性の維持に必要なのでしょうね。




2013年1月13日日曜日

英語学習で「突然わかる瞬間」を迎えるために

何かの本で読んだ気がするのですが、日本に来て日本語を学んだ人の話です。
それまで何を言っているの聞き取れなかった電車の中のアナウンスがある日突然その人は、聞き取れたそうです。
残念ながら、英語学習の過程で、この「突然わかる瞬間」を迎えた記憶が私にはありません。(それでも、かつての状況と比較すると、リスニングは向上したかもしれません。)

しかし、語学の学習過程で、この「突然わかる瞬間」を感じたことがあります。
ここ数年の英語学習の集中に戻る前に、一時期、タイ語をほぼ独学で学んでいました。タイ文字はアルファベットではない、くにゃくにゃ文字(例えばこんな感じ:คุณต้องระวังรักษาสุขภาพด้วยนะ)で、書いて覚えようとしてましたが、全く読めるようになる気配がありませんでした。しかし、あるとき、単語と音がつながり読めたのです。ただ、「文章が読めた」というよりは、文章のなかの7-8割の理解と、自分の知っているフレーズを一致させることで読むことができたのではないかと思ってます。

下の図1の左のように語学においては学習時間に比例してその成果が見えるのではなく、図2のように、ある時間学習すると階段を一段上るがごとく学習成果が見えてくるのではないかと感じています。



で、自分の場合、英語学習で今後、「突然わかる瞬間」を体験できるか確証はありません。その時期がなかなか来ないかもしれないけど、モチベーションを維持して地道に継続して学習するしかないのでしょうね。
"There is no royal road to learning."
「王道(?)」を発見したら、ここで紹介したいと思います(ないだろうなあ)。

2013年1月12日土曜日

「悩める人の戦略的人生論」 中野 明

 本書では、経営学で用いられる理論を、自分の仕事が向いているのか、あるいは人生をどう生きるか(主に働き方の観点から)といった悩みに応用する試みがなされている。戦略策定の重要性、環境の分析手法(SWOT分析など)、差別化の必要性など、ビジネス書で語られている理論についての概要が述べられている。
ビジネス理論を人生設計に応用しようとしている点が特徴的であり、経営理論の概略を知る上でも役立つであろう。

この本で、「ブルーオーシャン戦略」と「体系的廃棄」についてはじめて知った。

■ブルー・オーシャン戦略
激しい競争が繰り広げられている市場を「レッド・オーシャン」、ライバル企業のいない未開拓市場を「ブルー・オーシャン」と定義し、このブルー・オーシャンを創造すための戦略。
市場で重視されている価値に対しては
 「取り除く」
 「大胆に減らす」
市場で重視されていない価値に対しては、
 「付け加える」
 「大胆に増やす」
これらの4つのアクションを考える。この戦略に基づいた例として「iPad」が挙げられている。
これまでは、価値を高めるといえば「付加価値」と言われてきたように、「足す」ことが強調されてきたが、むしろ、除いたり減らすことによって価値を見出す点は興味深い。
(「大胆に減らす」ことを生き方に当てはめると、まさにミニマリズムに通じるものがある。)

■体系的廃棄
古くなったものを捨てる方法として体系的廃棄が紹介されている。
「まず、現在やっていることをやっていないと仮定する。その上で、今からでもそれを実行するかを考える。もし、答えがノーならば、その活動は即刻廃止する。」
例として禁煙が挙げられている。
結局は今持っているけれど、「ない」場合でもなんとかなるものが該当するだろうか?買ったはいいけれどいまや袖を通すことのない服を持ち続けることが該当するだろう。今持っているものや、やっていること(時間を費やしていること)が、本当に必要なことであるかどうかを見直せということであろう。


本書では、経営理論だけではなく個人の働き方に通じる点として、「何をやるか」を考えるとともに「何をやらないか(捨て去るか)」を考えることの重要性も示している。



「何をやらないか」を真剣に考えるのは、若い世代ではなく、残された時間の少ない「若くない」世代なのでしょうかね。

2013年1月6日日曜日

「新版 福翁自伝」 福沢諭吉


以前のエントリーで紹介したように、福沢諭吉の生き方に興味をもち、この本を読んだ。

 いまや一万円札にも載っている諭吉さんだが、彼のお金に対する考えかたは興味深い。
 「私の流儀にすれば金が無ければ使わない、あっても無駄に使わない、多く使うも、少なく使う も、いっさい世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、・・・」[p314]。
 100年以上も前の話であるにもかかわらず、この考え方は現代においても通用するのではないか。事業をはじめるために借金する場合なら分かるが、個人の生活レベルであれば自分の賄える範囲で消費をする姿勢に賛成である。

彼の生きた時代は江戸末期から明治の日本が西洋の文化を受け入れた時代であった。そして、当初は知識を入れるためにオランダ語が必要な外国語であったが、その後に英語が必要とされて導入に苦労した経緯も記述されている。ネット時代の現代に彼が生きていたならば、一体何倍の仕事をこなすことが可能であったであろうか。

諭吉の考え方を知ることができるとともに、彼の歴史を知る自伝としてもよくできた小説のごとく面白い内容である(「自伝」なので、すべてが客観的に語られているかは疑問ですが)。ただし、解説でも述べられているように、この自伝の構成のもと本であると思われるのが、ベンジャミンフランクリンの自伝である。読んでみると時代がさらに遡りますが、確かに全体のtasteはフランクリン自伝を模倣している感がある。版が重なっているため、読みにくさは否めませんが、フランクリン自伝も読み物として面白いです。

「福翁自伝」には、何種類か出版されているが、この新版が読みやすく、おすすめ。

2013年1月5日土曜日

「不都合な相手と話す技術」 北川達夫

人と話をしていて、「なんでこいつはこちらの話がわからないんだ!」という、イライラに悩まされた その時どうするか? 私の場合には、「できればもうかかわりたくない」という態度を選びたくなる。
「対話」を拒絶する状態である。しかし、対話の無くなった状態では、闘うこと=戦争しか残されておらず、その状態を避けるためには「対話」を続けていくことが必要なのだ、と著者は述べている。

基本的に「相手と自分は同じではない」という認識に基づく対話の重要性を説いているのが本書である。

対話の重要性は、相手と自分のバックグラウンドが違う場面、特に、外国人と話をする際に顕著となると思う。「国際的なコミュニケーションと英語の習得レベルに関しては、言葉にまつわるイメージが言語や文化によって異なることを知っている必要があるが、それ以上を知る必要はない」と述べている。むしろ、「その違いに対して平気でいられる鈍感さが必要で、生半可な知識のほうが危険である」と述べている[p49]。まさに、国際コミュニケーションの道具として英語を習得しようとするならば「金メダル英語」を目指す必要はなく「銅メダル英語」をめざせといった主張とも共通していると思う。英語学者になるならば別だが、英語は単なるツールでありほかに高める専門性を持つひとが多数派ではないだろうか。

「相手を攻撃する「闘うコミュニケーション」ではなく、まず、「相手の主張を聞き、そして「なぜそうなのか?」を訊くことで、相手の考え方の成り立ちを知り、そこに正当性が認められるかどうかを検証する、そして互いに歩み寄りを目指す「対話」こそが重要」と述べている[p56]。

「私の経験では~」と言ってみたところで必ずしも説得力はないという危険性[p100]や、価値観が多様化している状況では目標が同じだからといって、それに対する「思い」が同じとは限らない[p106]と論じており、ここでも自己と他者は同じではないことを認識する重要性がうかがい知れる。

相手の心理は決してわかるものでないから、相手の立場に立って相手がどう考えているかを「推論」するエンパシーが必要である[p174]が、「自分の基準で推測しない」(=自分の基準を持ち出すと、その基準が双方で共有されている前提にたってしまう)重要性を述べている。これは、自分と他人が違うと思っていても、自分の基準を持ち出してしまう危険性を指摘している。これは陥りがちな点であり、「絶対的だと思われていることを疑ってみる」態度が重要であることにも繋がっていると思う。

対話においては、「本当の自分」とは切り離したところに「自分」を設定し、その「自分」を演じるという意識が必要で[p181]、これを意識的に行うことがポイントとしている。さらに、対話では、相手がわからないのが前提であり、相手の素顔ではなく、状況によって変化する相手の「仮面」を見極めろといっている。しかし、それは本音と建前と呼んでは不正確で本音を語る際にも仮面をかぶっているとしている[p182]。「本当のところ」と切り出されたら、その意味することがどの程度がを判断する能力が必要であろう。

何かを隠すのが目的の場合、仮面を素顔のように装い、その隠していることが暴露されそうになると仮面が変化する[p188]。例として、臆病な人間が攻撃的な仮面をかぶっており、その臆病さがばれそうになると、異常なまでに攻撃的になることが挙げられている。まさに、弱い犬ほどよく吠えるという例えと共通していると思う。逆切れキャラの人間の本質を突いているかもしれない。
「仮面には仮面で応じ、相手と自分の関係を俯瞰的に眺めることで容易に相手の思うツボにはまることはない」と述べている。ここでは俯瞰的と表現されているが、自分を客観的に見ることと同じではないか? 自分を客体化するのは、例えば自分の感情をコントロールすることにも役立つ。

本から知識を得るための対話型の読書術も紹介されている[p237]。基本はヒト対ヒトの対話と同じである。その本の著者との知識や経験の比較を行うことにより、「著者のいう正しいこと」と「自分にとっての正しいこと」を比較する点が対話のプロセスと同じである。

「コミュニケーション力」と一言でいっても、いろいろな面があり、本書で論じられている「対話力」は欠かせない要素といえるだろう。

2013年1月4日金曜日

「世界一退屈な授業」 適菜収

つまらなくて退屈なものと見られがちな「古典」(の一部)を現代語と脚注付きで紹介しているのが本書である。内村鑑三、新渡戸稲造、福沢諭吉、柳田国男、西田幾多郎の各著作の一部が紹介されている。いわば、各先生方の著作のポータルサイト的本である。

各先生方は、江戸末期~昭和初期の日本が西洋との関係を持ち始め、欧米に追い付こうとする時代に生きている。必ずしも欧米が、日本(や東洋)よりも優れているわけではないことを述べていると感じられる。


■内村鑑三の「読書と人生」からの章では、読書法に関して具体的な方法が書かれている。
○1933年の時点ですでに「本の出版数は莫大なので、精選を要する」といっており、西洋であれば、クラシックなものとして、聖書、バーゼル、ダンテ、シェークスピア、ゲーテを挙げている。また、プルターク英雄伝やプラトンを入れるひともいるとしている。残念ながら、これらの本を私はまともに読んだことがない。プルターク英雄伝については、この時に初めて知った。

○本の読み方について、
「文章がいいと思ったところには赤線を、思想がいいと思ったところには青線を引き、パラグラフごとにそのパラグラフの趣旨は何であるかを書く[p48]」方法が示されている。
この方法に緑線を引くを加えるとまさに、「三色ボールペン読書術」の元祖である。本に書きこむのが嫌なひとがいるかもしれないが、内容を読み込むのであればむしろ、書きこみながら進めたほうが、後で読み直すときに内容を思い出しやすくなると思う。(この点では、電子書籍のほうが、メモやハイライト機能がある点でいろいろと便利であろう)。

○「本を有効に使うためには、「リーディング」ではだめで、スタディという考えで読書せよ、ただ読んでいるのは眠っているのと同じである」といっている。すなわち受動的ではなく、内容を批判的に読む、あるいは疑ってかかるといった「能動的」な読書がためになるという主張である。


■お金に対する考え方として、「福翁自伝」の一部が紹介されていた。この本は、その後に読んだのでまた別の機会に紹介したい。

江戸末期や昭和初期においても、日本人はここまで「すごかった」のかと感じさせる本である。編者が「過去から未来への価値の本質を扱っている」と書いているように、古典であっても普遍的なものは昔も今もその良さは変わらないと感じさせる1冊である。ネット時代に生きる我々が、先人を超えられないようであれば、何だか情けないような、、、

2013年1月3日木曜日

オンライン英会話:O社のグループレッスン

オンラインの英語学習サイト、特にフィリピンをベースにしてスカイプを利用するサイトはここのところかなり増えています。
私も2-3社を試した結果、O社のサイトに落ち着きました。

基本は個人レッスンなのですが、無料でグループレッスン(GL)も提供しています(最近は会員限定になりましたが、以前は非会員も受講可能でした)。これまでGLに参加してきて感想を述べたいと思います。

① たいていは参加者は2-5名でした。参加者の中に(運が良ければ?)非常に達者な方がいます。その場合、その人の使う語彙や表現から新しいものを吸収できます。とりあえず、完全に聞き取れなくてもさっとメモしておいて、あとで調べればよいのです。

②個人的な感想かもしれませんが、他の参加者(non-nativeの日本人)の前で英語を話すので、度胸をつける練習になると思います。

③ 質問に対して、順次参加者が答える形式が多いので、自分の答えた内容が「ずれて」いないかどうかが他の参加者の返答でわかります。ただし、自分の言ったことがトンチンカンなことでも、先生からの修正はなく、こちらの勘違いをスルーする場合がほとんどです。
現実的にはいちいち修正されることは無理で(それは個人レッスンで対応されればよいことです)、仕方ないです。

④参加者が多い場合、あるいは一人の話す時間が長い場合には、その間の[待ち時間」が長くなるので、間延びしてしまいます。例えば参加者5名で一人1分間も連続で話してしまうと、最低でも自分の話す順番が回ってくるまでに「4分間」もあります。で、その間に、素直に話を聞いているほうがよいかどうかは状況しだいです。現状では図1のように先生と生徒の1対1の関係に基づいたレッスンなので仕方ないですが。



図2の方式もありますが、この場合には参加者のレベルが違いすぎると成り立たないので難しいでしょう。「参加者がスタバに集って会話をするごとくのやり方ができれば」と言っていた先生もいました(J先生だったかな?)。他の参加者に対する「ツッコミ」を許容するのが図2ですが、生徒間の会話を進めるのが目的でもないので、図1の形式しかないのでしょう。


■私自身、GLに参加した際に話すことにつっかえることが多いので、その際に他の参加者さんをイライラさせたかもしれません。
参加者3名以下で、似たようなレベルの参加者であれば各人の話す時間もある程度は確保され、理想的だと感じます。先生によって進行のリズムやテンポが違うので、(O社に入会済みであれば)いろいろな先生のGLを試してみることをお勧めします。


2013年1月2日水曜日

新年の抱負よりも毎月の抱負

新年と言えば、新年の抱負をどうするかを考えることが多いのではないだろうか。
昨年2012年の抱負は、「短くてもよいので英語でブログをつける」ことを無謀にも心に決めたが、結局はとぎれとぎれで続けていたものの、2月末で更新が途絶えた。
(恥ずかしながら、その放置サイトはこちら http://2012brabrabra.blogspot.jp/

英語nativeでない私にとっては英語でのブログはかなりハードルが高かった。短くても文章の推敲や文法のチェック、あるいはより自然な表現を選択しているかを見直すのはかなり骨の折れるものだった。すなわち、目標設定が高すぎたのが継続の途絶えた原因だと思う。

英語で日記を書くための本もいろいろ出ているが、以下の本を利用していた。


日記でどう書いたらよいかわからない文や表現が多く紹介されており、とても便利な本だ。学校生活や学校行事の章があり、学生にも使いよいであろう。ただし、索引がないのが難点で、ピンポイントで検索するのが容易でない。(したがって、該当する章のなかから表現に使いたい文例を探すスタイルとなる。)



「新年の抱負がなぜ「挫折」するのか?」
途中のチェックがなく、また、いつまでに何をやるかのスパンが長すぎる(たいていは1年間で何かを成し遂げるパターン)から、達成するのが難しいと考えられる。したがって、大目標、中目標、小目標を決めて、さらに細かいマイルストーンを決めないと、達成できないだろう。


結局、新年の抱負がいるのか? 一年ではあまりにも長いので、「新月の抱負」として、毎月1日にnew month's resolutionを決めるほうが実用的な気がする。
今月1月は、「ブログエントリーを最低で週2」を抱負としたい(もちろん、日本語が基本)。

2013年1月1日火曜日

本:モチベーションで仕事はできない

「仕事をやるにはモチベーションが必須」という態度に対して、本書では「モチベーションだけではだめなのだ」と解析しており、経験から「モチベーションがたとえゼロでも仕事をできる仕組みをつくることが必要」と言っています。

第4章の「やる気が出ない自分を突き動かす方法」では、実践的な項目が具体的に挙げられています。そのなかでも、「区切りの悪いところで区切りをつける」はユニークだと思います。仕事の区切りをあえて悪いところで意図的につけることで、仕事の再開時のスピードを戻そうとする意図によるものです。書類を仕上げるときでも、通常であれば区切りのよいところまで進めて気分良く続きを翌日に取り掛かろうというのが通常でしょうが、区切りの悪いという「気持ち悪さ」をうまく利用する方法だと思います。

第5章では、成果を出し続ける人の8つの習慣として、以下が挙げられています。
1.個性を追求することをやめよう
2.心が折れる自分を肯定する
3.作業標準書をつくり、仕事の「工場化」を狙おう
4.パソコンソフトのショートカットを覚える
5.もうパソコンで疲れない
6.情熱がなくても情熱的に語れ!
7.つねにテンパるぐらいに仕事を入れておく
8.靴とメガネを替えてみる

2.については、仕事での壁にぶつかり心が折れることがあってそれに思い悩むことがあるにしても、その悩む自分をそのまま肯定することを勧めています。その問題を解決に丁寧に対応するか、時間の流れに任せるか、環境を変えるか、いずれを選ぶにしても、思い悩むことを否定しないことが説かれています。

3.については、仕事の流れをルーチン化して、モチベーションに関係なく、仕事をさっさとこなす流れをつくることを目指してます。やる気の有無にかかわりなく仕事をできるようにするという本書の一貫した趣旨を支持しています。
他の項目については、そのままの内容です。

6.についてはその通りだと思います。
情熱的に語る効能として①周りの人間を遠ざけることがない、②年長者から信じてもらえる、③情熱的に語るほど自分も勘違いしだすの3つを述べています。①と②に関しては、熱い人と冷めた人でどちらが周りにうけがよいかを想像すれば分かることだと思います。③については、気持ちが冷めた状態でも、情熱的なフリをすることで、だんだんと情熱的な状態になることしょう。内面の変化は外面からという点は、楽しくなくてもまずはスマイルするということが本書のほかでも述べられてます。

7.については、できるだけ仕事の負荷を増やすことで、逆に仕事の効率化が可能になり、その忙しさが身体化する(これを「荷重主義」と著者は呼んでいる)と言っています。「負荷をかける効果」は同意できますが、ただし、人によっては負荷がかかりすぎるとパニックになって逆効果になることも考えられますから、人によりけりでしょう。


「批評家よりもつくりだすひとへ」では、「赤えんぴつサラリーマン」と「黒えんぴつサラリーマン」という例えをしています。人の批評ができ、他人の文章を赤鉛筆で問題点や不足を指摘できる人間ではなく、自分の主張を述べたり作り上げたりする後者の人間をめざせと述べています。
建設的な批評家と呼べばよいのでしょうか。私の経験からも、「ダメだ」と批判するばかりで「どうすればよいのか」を言わない(言えない)ひとはなんだかなあと思います。結局は、批判とその代替案の提示は必須であり、言い放つのでよければ、それは政権をとれない某政党と同じなのではないでしょうか。


モチベーションはバブル崩壊後につくられたものと指摘しており、また、自己啓発本に関しては「哲学書を読みこなすことができれば不要だ」と論破しています。


仕事に対する考え方に加えて、きわめて実践的なテクニックまでも網羅している、即効性のあるビジネス本です。