当ブログに訪問いただきありがとうございます。 自分の読んだ本のレビュー(メモ程度ですが)、語学学習の経験、そして猫についてつれづれなるままに書いています。なお、本に関しては、原則、『「タイトル」-著者』の見出しにしています。
2013年1月6日日曜日
「新版 福翁自伝」 福沢諭吉
以前のエントリーで紹介したように、福沢諭吉の生き方に興味をもち、この本を読んだ。
いまや一万円札にも載っている諭吉さんだが、彼のお金に対する考えかたは興味深い。
「私の流儀にすれば金が無ければ使わない、あっても無駄に使わない、多く使うも、少なく使う も、いっさい世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、・・・」[p314]。
100年以上も前の話であるにもかかわらず、この考え方は現代においても通用するのではないか。事業をはじめるために借金する場合なら分かるが、個人の生活レベルであれば自分の賄える範囲で消費をする姿勢に賛成である。
彼の生きた時代は江戸末期から明治の日本が西洋の文化を受け入れた時代であった。そして、当初は知識を入れるためにオランダ語が必要な外国語であったが、その後に英語が必要とされて導入に苦労した経緯も記述されている。ネット時代の現代に彼が生きていたならば、一体何倍の仕事をこなすことが可能であったであろうか。
諭吉の考え方を知ることができるとともに、彼の歴史を知る自伝としてもよくできた小説のごとく面白い内容である(「自伝」なので、すべてが客観的に語られているかは疑問ですが)。ただし、解説でも述べられているように、この自伝の構成のもと本であると思われるのが、ベンジャミンフランクリンの自伝である。読んでみると時代がさらに遡りますが、確かに全体のtasteはフランクリン自伝を模倣している感がある。版が重なっているため、読みにくさは否めませんが、フランクリン自伝も読み物として面白いです。
「福翁自伝」には、何種類か出版されているが、この新版が読みやすく、おすすめ。
2013年1月4日金曜日
「世界一退屈な授業」 適菜収
つまらなくて退屈なものと見られがちな「古典」(の一部)を現代語と脚注付きで紹介しているのが本書である。内村鑑三、新渡戸稲造、福沢諭吉、柳田国男、西田幾多郎の各著作の一部が紹介されている。いわば、各先生方の著作のポータルサイト的本である。
各先生方は、江戸末期~昭和初期の日本が西洋との関係を持ち始め、欧米に追い付こうとする時代に生きている。必ずしも欧米が、日本(や東洋)よりも優れているわけではないことを述べていると感じられる。
■内村鑑三の「読書と人生」からの章では、読書法に関して具体的な方法が書かれている。
○1933年の時点ですでに「本の出版数は莫大なので、精選を要する」といっており、西洋であれば、クラシックなものとして、聖書、バーゼル、ダンテ、シェークスピア、ゲーテを挙げている。また、プルターク英雄伝やプラトンを入れるひともいるとしている。残念ながら、これらの本を私はまともに読んだことがない。プルターク英雄伝については、この時に初めて知った。
○本の読み方について、
「文章がいいと思ったところには赤線を、思想がいいと思ったところには青線を引き、パラグラフごとにそのパラグラフの趣旨は何であるかを書く[p48]」方法が示されている。
この方法に緑線を引くを加えるとまさに、「三色ボールペン読書術」の元祖である。本に書きこむのが嫌なひとがいるかもしれないが、内容を読み込むのであればむしろ、書きこみながら進めたほうが、後で読み直すときに内容を思い出しやすくなると思う。(この点では、電子書籍のほうが、メモやハイライト機能がある点でいろいろと便利であろう)。
○「本を有効に使うためには、「リーディング」ではだめで、スタディという考えで読書せよ、ただ読んでいるのは眠っているのと同じである」といっている。すなわち受動的ではなく、内容を批判的に読む、あるいは疑ってかかるといった「能動的」な読書がためになるという主張である。
■お金に対する考え方として、「福翁自伝」の一部が紹介されていた。この本は、その後に読んだのでまた別の機会に紹介したい。
江戸末期や昭和初期においても、日本人はここまで「すごかった」のかと感じさせる本である。編者が「過去から未来への価値の本質を扱っている」と書いているように、古典であっても普遍的なものは昔も今もその良さは変わらないと感じさせる1冊である。ネット時代に生きる我々が、先人を超えられないようであれば、何だか情けないような、、、
各先生方は、江戸末期~昭和初期の日本が西洋との関係を持ち始め、欧米に追い付こうとする時代に生きている。必ずしも欧米が、日本(や東洋)よりも優れているわけではないことを述べていると感じられる。
■内村鑑三の「読書と人生」からの章では、読書法に関して具体的な方法が書かれている。
○1933年の時点ですでに「本の出版数は莫大なので、精選を要する」といっており、西洋であれば、クラシックなものとして、聖書、バーゼル、ダンテ、シェークスピア、ゲーテを挙げている。また、プルターク英雄伝やプラトンを入れるひともいるとしている。残念ながら、これらの本を私はまともに読んだことがない。プルターク英雄伝については、この時に初めて知った。
○本の読み方について、
「文章がいいと思ったところには赤線を、思想がいいと思ったところには青線を引き、パラグラフごとにそのパラグラフの趣旨は何であるかを書く[p48]」方法が示されている。
この方法に緑線を引くを加えるとまさに、「三色ボールペン読書術」の元祖である。本に書きこむのが嫌なひとがいるかもしれないが、内容を読み込むのであればむしろ、書きこみながら進めたほうが、後で読み直すときに内容を思い出しやすくなると思う。(この点では、電子書籍のほうが、メモやハイライト機能がある点でいろいろと便利であろう)。
○「本を有効に使うためには、「リーディング」ではだめで、スタディという考えで読書せよ、ただ読んでいるのは眠っているのと同じである」といっている。すなわち受動的ではなく、内容を批判的に読む、あるいは疑ってかかるといった「能動的」な読書がためになるという主張である。
■お金に対する考え方として、「福翁自伝」の一部が紹介されていた。この本は、その後に読んだのでまた別の機会に紹介したい。
江戸末期や昭和初期においても、日本人はここまで「すごかった」のかと感じさせる本である。編者が「過去から未来への価値の本質を扱っている」と書いているように、古典であっても普遍的なものは昔も今もその良さは変わらないと感じさせる1冊である。ネット時代に生きる我々が、先人を超えられないようであれば、何だか情けないような、、、
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