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2015年4月29日水曜日

「残酷な20年後の世界を見据えて働くということ」岩崎 日出俊

 これからの20年間は、人口も減り、しかも老人が増え、戦後の高度成長のような状況は見込めない(日本を飛び出せば別だが)。そうした状況での働き方について著者の経験的なことからある指針を示そうとするのが本書だ。

 会社に就職するならば、その会社が今後期待できるような勝ち組企業となるかを見分けることが重要であり、そのためには「投資家の視点を持つ」ことだという。そのためにはフィリップ・フィッシャーの「フィッシャーの15原則」が使えると述べている(p68)。その原則は以下の通りだ。

1.その企業は十分な潜在力をもっているか。少なくとも数年間にわたって、売上を大きく伸ばす製品・サービスがあるか
2.業績を牽引する製品・サービスの次に向けた一手を打っているか
3.研究開発が成果をあげているか
4.強い販売網・営業体制があるか
5.利益率が高いか
6.利益率の上昇・維持に対する取り組みができているか
7.労使関係は良好か
8.幹部社員が能力を発揮できる環境か
9.幹部社員は優秀な人材が多いか
10.コスト分析や、財務分析を重要視しているか
11.競合他社に優る、業界で通用する特徴があるか
12.短期的および長期的な収益見通しをたてているか
13.既存株主の利益を損ってしまうような増資が行われてしまうおそれはないか
14.経営者は問題発生時に積極的に説明しているか
15.経営者は誠実であるか


 転職のタイミングについては、自分のキャリアが上り坂が下り坂かをよく考えることが必要で、その状況がよくわからない場合には転職しないほうが無難というのが著者の考えである。
また、仕事に激しく追われる状況が続く場合には、全力疾走するよりも立ち止まって違う道を行くことを考えたほうがよいといっており、その判断の基準として次の4つを挙げている(p.191)。
1.この経験は自分自身を成長させるのに役立つか
2.自分のやっていることは意味のあることか
3.このハードワークはいつまで続くか予想がつくか
4.きちんとした年収なり将来の約束(社会的地位、天下りなど)で処遇されているか

 当然のごとく、英語の必要性についても触れている。ポイントは「短期間に集中してやる」ことと、「とにかく使う」ことの2つを挙げている。例えば、毎日1時間を100日でやるよりも、毎日4時間を25日でやるほうを勧めている。使うことに関しては最近のスカイプ英会話でもよいといっている。確かに英語学習を取り巻く環境もここ数年で大きく変わったものである。ただし、著者はESS出身なので、学生時代にすでに相当英語をやり込んでいたことが想像され、万人に最適なやり方であるかはわからない。
「短期集中」と「とにかく使う」の組み合わせと聞いて「ダイエット」の方法との類似性を思い当たった。すなわち、初期の体重を落とす時期と、それを維持する時期の2つがあり、維持する時期の食事や運動に気をつけないと元に戻る。同様に英語(に限らず語学)も維持期の管理が不十分であれば、やる前にリバウンドする危険性をもつのだろう。



20年後に老人となる世代よりかは、20年後に日本を支える若い世代に読んでほしい本だ。

2015年4月20日月曜日

「ネイティブなら6歳児でも持っている英語のコアの育て方」内海克泰

英語の勉強法の本だ。

世間にはいろんな勉強法があるが、なんといってもその「核」をまずつくることが大切で、その道は楽ではないと指摘している(たいていの人はわかっていることだが。)この本で示されている方法とは、まず「核本」を見つけそれをひたすら繰り返して「完全に」マスターしろという具体的なものだ。「完全に」とはすなわち、5~100回(注:5~10回の間違いではありません)は繰り返して最終的には暗誦できるようになれと、それから次の部分に進めというものだ。「核本」として、「アメリカ口語教本」や、高校あるいは中学の英語の教科書を挙げている。

ここでは「核」と呼んでいるが、要するに「基礎」のないところにはその先がないということだろう。武道であっても、また、音楽や絵画のような芸術の世界でも、最初は「基本」があってそこから発展がある。そして大抵は基礎の繰り返しは単調で面白くないだろうが、その基礎がなければ独自性を生み出すことはできないだろう(「守破離」といわれるように、はじめから「破」や「離」があるわけではない。)

著者の方法は相当なスパルタ式だが、最終的には同時通訳レベルを目指すには適用できるだろう。英語「で」メシを食べていこうとする人には大いに役立つはずだ。それ以外の人であれば、自分の持ち時間の配分をよく考えてやり方を決めればよいだろう。

さすがに繰り返しは飽きそうだが、気が乗らないときには音楽を聴きながら音読するといった具体的な方法を勧めている。

2015年4月5日日曜日

「インターネット的」糸井重里

 「インターネット」と「インターネット的」では違う。それは、「自動車」と「モータリゼーション」との違いの関係のようなものだということのようだ。他の例として、インターネットが「皿」ならば、インターネット的とは「その皿にのせる何か」であり、そのお皿自体は著者には興味ないものだという。よく言われるように、ハードが重要ではなくソフト(コンテンツ)が重要だということであろう。

 軸となる発想として、リンク、シェア、フラット化を挙げている。「フラット化」に関しての面白い指摘は、価値観のフラット化によって価値が多様化したのではなく、価値の「順位付け」が多様化するという点だ。
「多様化」に関しては、モノの生産者が多様化に対応するために困ったことになっているといわれることに対して、それは売り手の論理であると切り捨てている。そこにうまく対応できたハシリはamazonであろうが、この本が最初に出版された時点ではamazonが拡大する以前であったことから、著者の見方に先見の明があったといえるだろう。

 「インターネット的思考法」(第4章)で、『選択問題の答えを求められて「どっちでもいいんじゃないか」と、この頃は本当に思うのです』と述べており、だいたいはどっちでもいいを貫いている。選択を失敗したか成功したかは後になってみないとわからないし、振り返る時点がいつかによっても変わる場合のであながち間違いではないかもしれない。古人が「塞翁が馬」とはよくいったものである。

 筆者の考え方で面白い点は、「消費」に対して肯定的で「消費のクリエイティビティー」とまでいっている点だ。急に大金を手にした人がこぞって超高価な高級車を買う傾向がある(他に買うものを思いつかない)のを、「欲望の貧困」と表現している。だから、消費のクリエイティビティーが育てばいいなと。『人間はもっと遊んだり消費したりすることに熱心な生き物だったんじゃないか』『消費や遊びを軽蔑して、蓄積や生産に狂奔してきたことが、人間のエネルギーをすっかり疲弊させ「つまらない動物」に変えてしまった』とのべている。個人的には消費によって人間が生き生きするのは近代化が起こした変化であり、別になくても何とかなるのではと思うのだが。

 「問題発見」に関して「寝返り理論」を紹介している。つまり、何かを続けていて、それに不快感を感じ始めたらそこに問題があり何かを変える時期なのだという。寝ていて同じ姿勢で辛くなると無意識にでも寝返りを打つのと同じだということだ。まあ、ある程度同じことを続けて違和感を感じれば変化を起こす時期の知らせなのかもしれない。が、寝返りしすぎると全く寝付けないので、不快感のサインの読み違えに注意が必要だろう。

 
 本書の最後に「続・インターネット的」が追加されているが、その部分以外の本文はほぼ執筆された2001年のままということで10年以上の古さを全く感じさせないのは驚きだ。著者のクリエーターとしての能力の高さのなせる業だろう。

2015年3月29日日曜日

「執着の捨て方」アルボムッレ・スマナサーラ

 執着に関しては、モノに対して執着するなといわれれば、それはよく理解できる。この本でも執着とそれとの断ち切り方にふれているが、初めて知ったものは「言語執着」という概念である。日本人は日本語に対する執着を捨てることができれば、外国語がスッと頭に入ってくるのだといっている(かなりツッコミどころがありそうだが、、、)。

仏教の考える執着の種類は次の4つを示している。
1. 欲への執着
2. 見解への執着
3. 儀式・儀礼への執着
4. 我論への執着

 宗教で懸命にお祈りしてあの世のことを考えたり、また、来世の幸福のために時間を費やすことは、それこそが「執着」以外の何者でもないとの見解だ。宗教をめぐって殺し合いが起こるほどなので、信仰の外にいる立場から見ると「宗教が生んだ執着の帰結」かとも思える。

 執着の種類で最も衝撃を受けたのは、4つめの「我論への執着」である。「自分である」「自我である」とは、「錯覚」であり「私」は無常で変化し続ける実体のないものだと。「自我を捨てろ」というのではなく、「自我が錯覚であることを発見(=解脱に達する)しなさい」というのが仏教が諭していることのようだ。「我論の執着」までに及ぶと、その執着が何かを実感としてつかむことが難しく、だからこと仏陀は偉大であったのかと思う。

 ページの活字は大きめで、かつ、各章にはまとめもあるので読みやすい。上述のごとく、この本は単なるハウツー本とは呼べない。解脱の境地には程遠い自分としては「自我は錯覚にすぎない」という指摘には考えさせられた。


2015年3月22日日曜日

「本の力」高井昌史

本書の副題は「われら、いま何をなすべきか」だが、ここでいうところの「われら」とは、「書店関係者」を指しているのだろうなと思う。なぜなら、著者は紀伊国屋書店の社長だからだ。

出版市場が縮小している状況のを引き起こした原因として4点を挙げている。
  1. 少子化
  2. 読書離れ
  3. ネット・スマホの普及
  4. 公共図書館の貸出し増加
4番目は、書店業界人ならではの分析といえるだろう。これを原因としている根拠は、かつては公共図書館に置かれていなかった新刊や人気作が現在では貸出しされるようになったためだとしている。
図書館ユーザーとして言わせてもらえるならば、本を買っても置き場に困る個人的な事情があり、日本の住宅事情にも問題があるといいたいところだ。

電子書籍については、特にamazonの寡占化戦略に著者は否定的だ。その態度は同じ業界の競合という視点だろう。ユーザーの視点に立てば、amazonは至極便利であり、むしろ出版業界がこれまでの業態にこだわることこそが問題だろう。

出版のコンテンツとして日本のマンガ(ポップカルチャー)を、映画配給のように「世界同時発売」といった形態で売り出すべきだという提案をしている。が、これぞ正ににネットを使った方式そのものであり、「出版を活性化できるのか!」とツッコミを入れたくなった。

本書の終章では「私を形作ってくれた本たち」として、著者のおすすめ本を紹介している。読書の意義として「読書は忘れた頃に知恵となる」といっている。そうかもしれない。だったら、電子書籍でもかまわないんじゃないか? コンテンツこそが重要で、媒体にこだわりがない立ち位置は、ブックディレクターに近いだろう。


そうはいっても紙媒体の本のほうが好きだ。ただし、生まれたときからネットやタブレットのある世代は紙媒体にどの程度親近感をもっているかは興味あるところだ。

2015年3月15日日曜日

「アイスランド 絶景と幸福の国へ」 椎名誠

 アイスランドは人口約33万人で、「火と氷の国」と呼ばれている。しかし、著者が訪れた感覚では、火山のマグマのように水が噴出している島で、水も多い島だと感想を述べている。
いかにも寒くて住みにくそうな印象があるにもかかわらず、アイスランドは数年前に「幸福度指数」が世界9位になっている。その実態や理由を探るのも、この旅のテーマだったとのことで、著者の旅行記のなかでは比較的マジメな部類に入る。

 物価がやけに高い(例えば500mlのペットボトルのコーラが600円)が、やはりアイスランドの幸福度が高いというのが結論である。
アイスランドとの対比で、東京を引き合いに出している。街に無秩序な広告があふれてキタナイという見方は同意見だ。みんな同じような服を着て通勤の電車に乗り込み、みんな同じようにスマホをいじるのは著者の言うとおり異様とはいえるだろう。自殺者が年間3万人あまりという事実は、幸福でない日本を売裏付けるデータの一つだが、街がごちゃごちゃしていたり、電車が殺人的に混んでいたりすると「幸福でない」と言い切れるのかは疑問だ。なぜならば、そういった混沌とした環境が好きな人もいるに違いないからだ。

 著者の写真もあるが、ナショナルジオグラフィック提供のカラー写真も掲載されている。アイスランドの景色は地球にありながらどこかの惑星っぽいともいわれる。旅行先としては相当にマイナーではあるが、資金に余裕があれば紹介された絶景を見に行きたくさせるような本だ。


2015年3月8日日曜日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹

「村上春樹」といえば、ノーベル賞受賞者発表の時期になると盛り上がるというのが、個人的印象である。世界的にも有名な作家だが、実は読んだことがなかった。前回の本(「本なんて読まなくたっていいのだけれど、」)のなかで、この本の紹介を見かけ、面白そうなので読んだ次第だ。

高校時代に名古屋で仲のよかった5人組のうちで、主人公のつくるだけが、名古屋から東京に進学し、その後、20歳のときに突然の絶交を宣言される。それはつくるにとってショッキングなことであったが、本人も理由を詮索することなく、わからないままで10年以上が経過した。その後、真剣に付き合いだした沙羅から、その理由を明らかにすることを勧められて、4人の消息と理由を確認する旅に出るという展開だ。

解釈の難しい部分があるとはいえ、話の展開としてはわかりやすい(つまりは「旧友を探し出して、グループからはじかれた真相を明らかにする」)。ただし、青年期の心理的状態にどれだけ入り込めるかは、読者の属性に依存するだろう。つくるの年齢以降の男性であれば、自分の過去と照らし合わせて移入しやすいに違いない。一方で15歳の少年が読んだ場合にはあまり状況が理解できないかもしれない。また、女性読者からであれば、自分(中年男性ですが)とは違った印象を受けるのであろう。


基本的には「エンターテイメント」な読み物であるが、人生に関する言葉について、いくつか心に残ったものを以下に引用する。

■p23 つくるが、東京の大学に出て駅舎建築を学ぼうとした理由を聞いた沙羅の言葉
「限定された目的は人生を簡潔にする」

■p53 灰田がつくるに言った言葉
 「・・・、限定して興味をもてる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」

■p206 つくるとアカの会話中に、アカの言葉

「おれたちは人生の過程で真の自分を少しずつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく。」  

世の中には目的がぼんやりしていたりよくわからないこともあるので、人生だって目的がはっきりしていなくてもよいかと思ったりする。作中の登場人物の言葉から、その意味深さを想像するのもまた小説の醍醐味だろう。


2015年3月1日日曜日

「本なんて読まなくたっていいのだけれど、」幅 允孝

 基本は、本の紹介本だが、著者は「ブックディレクター」という仕事だけあって本に対する愛情がひしひしと感じ取られる内容だ。一冊の本を紹介するのではなく、その本とつながりのある本を関連付けて紹介しており、相当量の本を読んでいなければこうしたことはできないだろう。

 その場所にふさわしい本をどう選んで、どう配置するかが著者の仕事であるが、「紙の本」に強くこだわっているのではない点は興味深い。すなわち、紙の本であれE-ペーパーであれ道具に過ぎず、「何に載っているテキストを読むかではない。読んだ情報を活かし、日々の生活のどこかの側面を一ミリでも上に向かせること。」と述べている。
 それでも紙の本が電子書籍に勝る点として、「読み戻る操作」と「情報量(特に日本語に関して)」を挙げている。

 著者の子供のころのエピソードも紹介されている。近所の本屋で本をツケで買えるといった環境で育ったようだ。本の紹介だけではなく、著者の生い立ちや背景を知る上でも面白い。また、本の地産地消である「地産地読」の、城崎温泉での取り組みについてこの本で初めて知った。その地域ならではの小説と、さらにその小説がそこでしか読めないという形態は、巨大なビジネスには結びつかないかもしれないが、ユニークな着眼点である。

2015年2月15日日曜日

「人生には「まさか」の坂がある」 安里賢次

著者の金言とその解説で構成される本。前回紹介の本田健とは異なり、ちょっと生き方が破天荒であるだけに、人生論としては感じが異なっている。

「がんばりや努力はいらない。ただ波に乗ればいい。」
ここでいうがんばりや努力は、無理を伴うもので、要は「無理をするな」ということだ。
無理を伴う努力とは、その結果、健康を害してしまったり、人間関係にヒビが入るような努力のことだから、「努力はする必要ない」という意味ではないだろう。無理しない程度のがんばりや努力が必要なのはいうまでもない。
「波」は人の助けや運のことをいっている。生きていくうえでは、好不調があり、「何をやってもダメ」な不調期はある。そんなときは、潮流に逆らわずに流されてみることも必要だ。常にがんばり続けることは通常の人にとっては無理なので、いわゆる「勝負どころ」を見極めてそこで全力で集中することが肝要だろう。

「生きている意味はない。誰かのために生きてはじめて意味がある。」
さらに「人生に意味はない」と言い切っている。人生に意味を持たせるために生きるのだという意見もあったかと記憶しているが、思い切った意見である。でも
「あなたの人生が徹底的に無意味ならば、他人のために活用すればいい」
といっている。結局、他人からの承認に対する欲求があるのが人間なので、他の人に役立つように考えるのは人生に意味をもたらすのだろう。


生きていくうえで経験を積むことで学習できることは多いが、一朝一夕には経験値を上げることはできない。こうした本から他人の経験を自分の経験値として上乗せすることができるのではないか。

2015年2月9日月曜日

「これから、どう生きるのか」本田健

著者については説明するまでもなく、これまでに生き方に関しての著作が多い。本書では、「生き方」に関していくつかの項目にわけ、さらにそれらを細分化して見開き程度で読める体裁としている。

「2.お金」では、お金に感謝することを説いている。通常考えるとバカらしく思えるが、他でも同様のことを勧めている本はある(例えば、お金を大切に扱いましょうなど)。科学的に説明できないことは好まないのだが、お金を大切にする姿勢や態度が潜在意識に働きかけてお金を呼び込む作用をするのではないかと想像してしまう。

「7.健康」の項では、「健康法は自分の体質で選ぶ」といっており、これはまさに「養生法は人それぞれ」で取り上げたことと同じである。「バランスのよい食事」はほとんどの人にとってよいが、「すべて」の人に対してではなく、あくまでも「一般的」「平均的」な人の場合である。最近、禁煙治療を勧める広告で「禁煙により○年間寿命が延びます」といっているのを耳にするが、それは統計的に正しいことであり、例外は存在するのだ。なので、最終的には、自分にとっての「健康法」を見出すしかない(基本的な方法はあるとは思いますけど)。

「8.運と運命」では、「人生は不平等だが公平にできている」と、時間は1日24時間であり公平に分配されているといっている。「運命」については、「宿命」を引き合いにだしており、「宿命」は宿る命で生まれたときには決まっているもの、一方で、「運命」は運ぶ命で自分で変えられるものと区別しており、だから自分の力で何とかなる部分もあるのだといっている。「人生は筋書きのないドラマ」とも例えられるが、著者の見方からすると、大まかな筋書きは決まっているが、アドリブを入れる余地が十分にあるといったところか。


生き方に対する考え方は十人十色である。最終的に決めるのは自分しかないが、こうした本は何らかのヒントを与えてくれるだろう。

2015年2月1日日曜日

「世界最強の商人」 オグ・マンディーノ

原著は1968年に出版された、いわゆる自己啓発本の一種である。もっといえば、セールスマンとしての成功ノウハウ本の一種ともいえるだろう。

単なるマニュアル本ではなく、ものを売るための秘訣が巻物10巻に書いてあり、それに従っていくという物語的な体裁をとっている。「ユダヤ人大富豪の教え」と似てるかもと思ったが、時系列でみるとこちらの出版が早いのはいうまでもない。

各巻には、それぞれの教えと説明がある。

第6巻では、「今日、私は自分の感情の主人になる」で、感情のコントロールの重要性を説いている。感情の支配に関して、
弱者とは、自分の感情が行動を支配するのを許す人のことである。
強者とは、自分の行動によって感情を支配する人のことである。
といっている(p.130)。例え大人であっても、自分の感情によって行動が大きく影響されるヒトを見かけるのは実はそれほど珍しくはない。まるで、子供のように。そうならないためには、常に自分の感情の様子を客観的に見ることが必要だろう。


第7巻では、「私は世間を笑おう」といっているが、これはそのままでは誤解を招くかもしれない。要はいつも笑っていればよい影響があるということだ。(マック赤坂氏のイメージか。)でも、笑いを保てない困難な状況に遭遇することもあるだろう。そうした状況に対しては「これもまた過ぎ去っていく」と言い聞かせようといっている。「感情の主人になる」に通じるところがあると思う。




物語として、キリスト生誕前後のころの設定としている。そういった背景からもキリスト教の多い欧米ではこの本がさらに受け入れやすかった素地があったかもしれない。また、50年近く前の状況を考えると、それほど出版物があふれていたわけではなく、ましてやネットもなかった時代であったので、この本が爆発的なヒットとなったのかもしれない。
ほぼ、これまでに読んだ類似の啓発本と近いことが多いと感じた。この本から影響を受けているのかもしれないし、あるいは、成功に関しての原理原則はそう変わるものではない証であるかもしれない。

2015年1月25日日曜日

「生と死をめぐる断想」岸本葉子

自分が幼いころ、死は遠いものと感じられていた。テレビのドラマの中の死や、ニュースで報じられる死は、自分には関係ないものと感じられていた。おそらく、死んだあとに、空からこの世を見守ることができるイメージが漠然とあったからだろう。

死んで火葬されれば肉体は灰となり、有機物は二酸化炭素となって大気に還元される。では、魂はどうなるのか?あの世があるとすれば「高いところ」にあるのか、あるいは地の果てにあるのか、それとも地底深くにあるのか、こうした疑問に宗教は答えてくれるのだろう。しかし、信仰のない者にとってはどうなのだろうか?

著者はガンを患い、その経験から生と死に関して、同様の経験者の著述などを紐解きこれらの点に対して考察している。ここでは、控えめに「断想」といっているが、死んだらどうなるかを考える上での一種の総説的な(ポータルサイト的な)内容となっている。だから、さらに深く知るためにはこの本から、引用元の各著作へと読み進めるべきだろう。


「時間」の概念について、自分の時間、自然の時間、地球の時間で考えたり、あるいは、輪廻転生について考察したりしている。時間の流れる方向が直線的ではなく、また、流れる速さも違うのを表すのに、ぐるりと輪を描いている概念図(表紙の絵だが)を示している。輪廻は別としても、よく表していると感じた。

2014年9月28日日曜日

「怒らない選択法、怒る技術」 苫米地英人

本書のいう、怒るに値するための条件は以下の2つである。
1.相手に過失がありその過失によって自分に不利益が生じたとき
2.その過失が予想外だったとき
だから、買った株が下がったからとか、腹黒い上司が(予想通りに)手柄を横取りしようとしたとかいった場合には怒ることはないと述べている(いずれも予想できる事態だから)。
以前に紹介した「怒る技術」では、怒りの定量化(スコア化)や可視化、そしていかに怒りを静める(コントロールする)かが述べられていた。一方、苫米地先生は「怒るときは怒れ」と言っている。しかし、その怒りは単純な感情の爆発ではなく「目的を達成するため」の手段である。

怒るための作法についていくつかが紹介されている。
そのひとつは丁寧な言葉を使うこと。また、相手の発した激しい言葉に反応するのではなく、その裏にある思考を考えることが大切だと述べている。これについては、外交における相手の意図を読み取ることの重要性にも触れている。それは、中国や韓国の最近の動きが日本の怒りを買っている向きがあるが、それらの国の意図は国内の経済問題を外向きに転嫁することだというのだ。

怒りの場面における「それは常識だから」という常套句には疑ってかかれというのは、他の場面でもいえるだろう。例えば「みんなそうしています」という場合、「みんな」とは誰なのかとか、「通常はこのやり方です」の「通常」とはどんな状態かといったことだ。常識と関連して規定の「ルール」に対しても、それ自身が正しいものかをよく考える姿勢が必要であると述べている。オリンピックの種目で欧米がメダルを取れないとそのルール自体を変更したことが例示されている。

怒る上司に対しては疑問を呈している。
ビジネスの人間関係において、それは契約に基づく関係なので、そもそも「怒りに値する条件」を満たす状況は生じえないと。やることをやらないとか、十分なパーフォーマンスが得られなければそれは「契約」に基づき処遇をすればよいと述べている。ただ、そこに怒りの条件が整う背景としては、ビジネスにおける人間関係がプライベートに寄りすぎた場合に起こりうるのだと。日本では契約関係もあやふやであることが多く、確かに起こりがちなことだろう。
「怒られるうちが花」とも言われるように、怒られるうちはまだ相手の期待度が高いと前向きに捉えることはあながち間違いではないかもしれない。


怒りも、喜びや悲しみといった感情の一つで、例えば映画を見ていていろんな感情が表出したからといってもそれは「観客」としての間だけで映画館を出れば日常に戻る、だから、その感情を楽しめばよいというのはわかる。しかし、感情を引きずるから大変なんじゃないか? 自分の感情をモニターして客観的になることが感情に引きずられないためのコツなのではないかと思う。
ところで、「観客」と「客観」で文字の並びが逆なのは偶然?

2014年9月14日日曜日

「サラリーマンだけが知らない好きなことだけして食っていくための29の方法」立花岳志

サラリーマンだけがとは、一概には言えない点もあるかと思うのだが、会社勤めから離れて自由に生きるためのポイントみたいなものを紹介している本だ。

サラリーマンとして働くのではなく自由に働くのを目指すのもわかるし、いつかは独立するのならば会社のなかで空気を読める必要がないという主張もわかる。しかし、大半の人間は会社からはみ出して自立するほどの能力がないと個人的には考えている。「人間努力すれば必ず報われる」とか、「人間は生まれながらに平等」であるというのは嘘っぱちであることくらい、二十歳を超えたオトナならば誰でも知っているはずだ。無理に周囲に迎合する必要はないが、「空気を読む」ことはフツーの人々にとっては大切な技術であると言いたい。

この本にも書かれていることに従えば、すべてのヒトが独立してうまくか?そうとは限らないだろう。それは本人の努力であり、才能であり、あるいは運や時代の流れの要素も大きいあろう。
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本書では29項目が紹介されている。

「14 仕事帰りの飲み会は「あとに続くものか」を考える」では、
飲み会を「投資的飲み会」「消費的飲み会」「浪費的飲み会」の3つに分類し、「浪費的飲み会」はやめるべきで、飲み会のあとにも続くような「投資的飲み会」で新たなネットワークを築くことが大切だと述べている。


「26 すばらしい出会いをとことん楽しむ」では、
投資的な飲み会でできるネットワークは、人脈作りというよりは、パートナーシップであり、そのパートナーもメンター、同志、サポーターの3つでそれぞれが重要だと述べている。他の本でもよく出てくるが、「メンター」の存在は重要であろう。なるべき自分をイメージするのは難しいが、そのイメージに近いひとをメンターとすると具現化しやすいからである。
その師匠のイメージに近づくために「TTP」を勧めている。本書から引用すると以下のようである。
憧れる人のライフスタイルを自分のライフスタイルに採り入れて、TTP(徹底的にパクる)をしてみるのです。
ようするに、その理想とするヒトになりきるくらいの真似(パクリ)をしてみようというわけだ。目に見えない考え方の部分を真似るために、ライフスタイルを真似るのは意外と効果的だと思う。


「23 人生を楽しみ続けるために、慣れを捨てる」では、
現在のコンフォートゾーンから抜け出して、理想のコンフォートゾーンを設定してそこに向かえといっている。例えば、貧乏から金持ちになれないのは、貧乏であることが「快適」であるためで、そこを抜け出すためには金持ちの状態を新たなコンフォートゾーンに設定する必要があるというのである。そのためには、例えば、安い居酒屋に行かずに、高級レストランに行き、「本来、自分はこういった高級店が似合っているのだ」という、一種の刷り込みが有効だとしている。他にも、きちんとした身なりをすることも高い位置へコンフォートゾーンを設定するためには有効であろう。外見や生活様式といった表面上のことをランクアップするだけで、潜在意識への刷り込みが起こるのではないかと思うからである。


「21 やりたいことがあるなら、やらないことも決めなさい」では、
一日は24時間しかなく、1時間にできることはかなり限られているので、何か新しいことを始めたいならば、何かやめることを一つ決めるしかないと述べている。上述の「浪費的飲み会を減らせ」も時間を生み出すための一つだろう。「やらないことを決める重要性」に関しては、以前に紹介した「悩める人の戦略的人生論」でも触れられている。
しかし、もしもお金があれば、いま自分でやっていることの一部をアウトソーシングすることも可能である。つまり、お金さえあれば、ある程度は「時間を買う」こともできるのであり、やりたいことを増やすことが容易となるだろう。お金があれば必ず幸せになれるわけではないが、お金があればそれと引き換えにできるモノは大きい。


フリーランス指向でなくとも、使える本といえる。

2014年8月31日日曜日

「メディアの臨界-紙と電子のはざまで」 粉川哲夫

本のベースが紙媒体でなく電子媒体へ移行するのは必然的な流れであると考えられている。しかし、紙に印刷された本が消滅するかは疑わしい。タブレットPCで本が読めるにしても、紙のページめくりや、その時の音を模倣していることから、やはり「紙っぽさ」を残したいのではないかと思う。その一方で、今後、紙に印刷された本を知らない世代が登場するときには、状況は変わっているのではないか。生まれついたときからモニターで読む習慣のある世代にとって紙媒体はどう受け止められるかは興味のあるところである。

電子メディアで読書は可能か? これに対して著者は、可能ではあるが、書籍を読むのに比べてメモが飛躍的に増えたと述べている。その理由は電子メディアが「前向性健忘」(数分以上記憶が保てない)を昂進させるからだとしている。そしてこのメモの必要性は、書架に並ぶ本の背表紙によって軽減されてきたもので、書架は記憶装置の機能を果たすとも述べている。しかし、最近はバーチャルな書架に電子書籍を配置することもできるので、どうだろうかとも思う。
自分も物理的な制約から書籍を増えないように努力しているが、バーチャルな世界よりもリアルな書架から本をひっぱりだして参照するほうがやりやすいと感じるだろう。個人差もあるだろうが、これからの世代では書架を参照することに馴染みがなくなるのだろうか?

紙の本をめくらなくなったように、お金に関してもカード化が進み、支払い時にお札を数える機会が少なくなった点を挙げているのは面白いと思った。本と違い、紙幣に関してはクレジットカードや電子マネーに分があるだろう。

本だけでなく、映画からテレビそしてインターネットの時代とメディアの変容について考察されている。随筆スタイルであるが、後半は哲学の素養がないとついていくのがしんどい。

2014年8月10日日曜日

「働かないオジサンになる人、ならない人」楠木新

「働かないオジサン」と言われて、想像するオジサン像は人それぞれかもしれない。ここでは、サラリーマンの職場における「働かないオジサン」の分析と、そうならないためはどうすればよいかを示している。(なお、同じ著者の「人事部は見ている」を以前に紹介した。そちらは「会社の歩き方」とも呼べる内容だった。)

面白いのは、「働かないオジサン」の特徴として、「いい顔で働いていない」ことを指摘している点である。本書で類型化されているタイプでいえば「無気力タイプ」を想像するとわかりやすいだろう。

働かないオジサンを生み出す構造的問題が日本で特有なものだとし、その理由として「新卒一括採用」と「ピラミッド構造」の2点を挙げている。一般的に日本では、まとめて採用し、しかもその際にみんなが「同期」としてスタートすることになる。引き合いに出されていた銀行の例を考えるとわかりやすいだろう(ドラマ「半沢直樹」の感じですね)。また、そのなかではピラミッド構造のためすべての人が、課長や部長や社長になれるわけではなく、そうならなかった人は「働かないオジサン」化する可能性がある。この仕組みはサラリーマンの世界特有というよりは、官僚の世界のほうが顕著であろう。だからこそ、上位のポジションに登れなかった時点で関係省庁や関係団体に「天下る」システムができたのだろう。

日本的雇用の慣習の特徴として「メンバーシップ契約」を指摘している。会社と従業員は所詮「契約関係」でつながっているが、日本では被雇用者間でも、あたかもクラブのメンバーのごとく相互に協力することが前提となっている。これは「契約」とは文面化されてはいないが、入社面接では「みんなとうまくやっていけること」が前提となっている点を考えると理解できる。だから、定時になってもみんなが帰る時間でないと帰らないとか、飲み会には参加するとかいう傾向を招くのだろう(今の20代の世代では変わっているかもしれませんが、私の世代ではそうでした)。

これらの考察で、少し残念な点は日本以外の雇用状況との比較が十分でないと感じられる点である。もしも著者が外資系あるいは海外企業での経験があれば、さらなる考察ができたのではないかと思う。


40歳で遭遇する、組織で働くことの意味に悩む状態を「こころの定年」と呼び、人生の定年(死ぬとき)、就業規則上の定年と分けていることは興味深い。この「こころの定年」に正面から向き合っていない状態が働かないオジサンを生み出していると考察している。

最終章では「働かないオジサンにならないための7カ条」が示されている。第4条の「師匠を探せ」、第5条の「お金との関わり方を変える」は、他の本でもよく言われることだ。つまり、よいメンターを見つけろとか、仕事に直接関係しない飲み会では経費を使わずに身銭を切ろとかいうことである。


想定される読者は若いサラリーマンでしょうか。働かないオジサンへの対処法も記述してあるので、実用性はあるでしょう。
現在の20代が、働かないオジサンとなるかもしれない年代までサラリーマンとして勤めているかは疑問ですが、今、見られるそうしたオッサンを反面教師として学ぶ点もあると思います。

2014年7月21日月曜日

「逆境経営」 桜井博志

日本酒の「獺祭」を作っている、山口県の旭酒造社長が著者である。ほとんど廃業の危機にあった酒蔵を急逝した父親から引き継いで、そこからどのようにして持ち直したかという内容だ。

かつて日本酒は地域で消費されるのが通常であったが、東京を市場としたマーケッティングや、さらに、海外へと展開を図っている点が、これまでの地方酒造会社とは異なる点だろう。また、その方向性として、海外に合わせた品質(味)とするのではなく、あくまでも「日本酒」としての味は変えないとしている点が経営方針の特色だろう。世界展開している食品メーカーの例をみてみると、世界ブランドとして同じであってもその味をローカルにカスタマイズしていることが多い。(たとえば日本茶のペットボトル飲料で、甘味料が入っているものなど海外で見かける。)どういった戦略をとるかは経営として重要な点であるが、旭酒造のぶれない「日本酒」が世界で通用するのか、今後を見守っていきたいものである。

日本酒の製法に関しても、これまでの杜氏制度から、自社の社員が酒造りするシステムに変えたり、また、年間を通じて酒造りを可能なやり方を導入したのは、地方の酒蔵としては画期的だ。ただし、これも、経営の危機からの逆境から生み出されたことである。「杜氏がいないなら自分たちで、職人しかできないことであればマニュアル化し指標を明らかにし品質管理する」という路線は、まさに「だれでもできる」ための仕組みづくりといえるだろう。今後、製造規模を拡大するらしいが、これらの管理手法があってこそ「拡大路線」が可能だと思う。なぜなら、小スケールの生産で、管理を「経験と勘」に頼っている場合、同じ味をスケールアップで出すのは難しいからである。

「いいものをつくる」という理念に加えて、「どこで売っていくか」を考えている点(=地方ではなく、お東京や海外を販売先としている点)で、経営のセンスがあるのではないかと思う。

2014年6月9日月曜日

「猫は音楽を奏でる」 ねこ新聞監修

作家を含めた著名人のエッセイ集で、それぞれの長さは4ページ程度と短い。したがって、本当の細切れな時間に読むのには最適な構成だろう。もともとは「ねこ新聞」に掲載されたもののようだ(「ねこ新聞」なるものがあるとは知りませんでした。)

「猫好き」が読めば、大いに共感することが大いに違いない。また、「非猫好き」が読めば、猫バカとバカ猫の世界を理解する足がかりとなるだろう。

自分の過去を顧みると、飼い猫に影響されたことは否めなく、ひょっとすると人間のパートナー並の影響度があるんじゃないかと思うことがある。このエッセイ集を読むと、猫の影響力はやはりすごいと認めざるを得ない。


【余談】
英語タイトルの副題は、"The cat plays music."とつけられている。
英文法の本を参考にして解釈すると、
The cat plays music.[他の種と区別して、猫というものは~]
というニュアンスなのだろう。

ちなみに、他の可能性としては、
A cat plays music.[いかなる猫でも]
Cats play music.[一般的に猫は(口語的)]
The cats play music.[ある地域にいる、などある特定の猫が~]
があるが、なんとなく、「犬は奏でないけれど、猫は奏でる」意味であれば"The cat plays music"正確な訳なのだろう。

2014年6月1日日曜日

「開高 健 電子全集7 小説家の一生を決定づけたベトナム戦争」

開高健の「輝ける闇」は小説であるが、その元になっているのはベトナム戦争における従軍記者としての経験である。その従軍記者としての期間に書かれたルポルタージュや小説、エッセイを中心にまとめたのがこの電子全集7である。

個人的には映画や小説に対しては2種類の人間がいると思っている。すなわち、同じものを何回も見たり読んだりすることが好きな人間とそうでない人間だ。自分は後者に属するので、同じ映画を何度もみることはまずないし、小説でも同様である。全集のこの巻中のベトナム戦争ルポを凝縮したものとして「輝ける闇」が書かれたことを認識していなかったため、なんだか同じものを読んでいる感じがしたことは否めない。

今や、ベトナム戦争もはるかに昔のこととなってしまった。ルポ以外に、著者が新聞や雑誌に寄稿した記事も紹介されている。それらによって当時のベトナム戦争に対する日本国内の空気を感じることができるであろう。


やはり内容を詳しく読むためにはインドシナ半島の歴史とか、フランスの教養などが必要かもしれないと感じた。図書館にも開高の全集はあるが、同じテーマでまとまって読むにはこのシリーズはよいかもしれない。

2014年5月18日日曜日

「「一体感」が会社を潰す」 秋山 進

副題として「異質と一流を排除する〈子ども病〉の正体」とある。著者は、個人、組織文化そしてマネジメントが「コドモ」であるか「オトナ」であるかで区分しており、従来の日本企業に見られた「コドモ」の状態ではダメなのだと言っている。その「コドモ」の組織とは、競争力の源泉は標準化力と同質性にあり、組織は一体感で結ばれており、個人間の関係は摩擦回避の上で成り立っている組織だとしている。それに対する「オトナ」の組織とは、競争力の源泉は専門技術力と異質性にあり、組織はビジョンや理念でつながり、個人間の摩擦が発展の糧になる組織だと特徴付けている。

企業に身を置く場合でも、「専門性の高いところで勝負しろ」といっていることは至極まともではあるのだが、現実的にそんなに能力の高い人はいるのか? 残念ながら、能力に恵まれ努力が報われる「プロフェッショナル」な企業人は一握りしかいないと思う。(誰もがイチローのように大リーグで活躍できるわけではないのです。)
すべての物事にはすべてよい点もあれば悪い点もあり、日向の部分があれば日陰の部分もできる。なので、著者は従来の日本的な企業のあり方を「コドモだ」として批判しているが、物事はそれほど単純化できない、というのが私の率直な感想である。

個人間の摩擦を恐れてはいけないし、その点については「電通鬼十則」からの引用もされている。ただ、摩擦が常にOKかといえば、そうではなく状況によるのではないか。なぜならば、論理の正しさと感情との関係を完全に断ち切ることは不可能だからである。たいてい場合、意見の対立が生じても、「正しさ」だけに基づくのではなく、うまいこと「落としどころ」を見つける能力も必要であるに違いない。他人のことを考えず全く摩擦を恐れる必要のない人間とは、ほんの一握りの卓越した人間だけであろう。

キャリアに対する考え方として、自立軸として、丁稚→一人前→一流、自律軸として、他律→自律→統合律のマトリクスでキャリアの段階をプロットできる方法が示されおり、今後のキャリアを積み重ねていこうと考える人にとっては役立つ本である。


「10年後に食える仕事食えない仕事」 でも書いてあったように、「無国籍ジャングル」で生きていけるのは極わずかの一流しかいない。超一流以外の人には、「無国籍ジャングル」で戦う以外の別の戦略があって当然だろう。