2015年4月29日水曜日

「残酷な20年後の世界を見据えて働くということ」岩崎 日出俊

 これからの20年間は、人口も減り、しかも老人が増え、戦後の高度成長のような状況は見込めない(日本を飛び出せば別だが)。そうした状況での働き方について著者の経験的なことからある指針を示そうとするのが本書だ。

 会社に就職するならば、その会社が今後期待できるような勝ち組企業となるかを見分けることが重要であり、そのためには「投資家の視点を持つ」ことだという。そのためにはフィリップ・フィッシャーの「フィッシャーの15原則」が使えると述べている(p68)。その原則は以下の通りだ。

1.その企業は十分な潜在力をもっているか。少なくとも数年間にわたって、売上を大きく伸ばす製品・サービスがあるか
2.業績を牽引する製品・サービスの次に向けた一手を打っているか
3.研究開発が成果をあげているか
4.強い販売網・営業体制があるか
5.利益率が高いか
6.利益率の上昇・維持に対する取り組みができているか
7.労使関係は良好か
8.幹部社員が能力を発揮できる環境か
9.幹部社員は優秀な人材が多いか
10.コスト分析や、財務分析を重要視しているか
11.競合他社に優る、業界で通用する特徴があるか
12.短期的および長期的な収益見通しをたてているか
13.既存株主の利益を損ってしまうような増資が行われてしまうおそれはないか
14.経営者は問題発生時に積極的に説明しているか
15.経営者は誠実であるか


 転職のタイミングについては、自分のキャリアが上り坂が下り坂かをよく考えることが必要で、その状況がよくわからない場合には転職しないほうが無難というのが著者の考えである。
また、仕事に激しく追われる状況が続く場合には、全力疾走するよりも立ち止まって違う道を行くことを考えたほうがよいといっており、その判断の基準として次の4つを挙げている(p.191)。
1.この経験は自分自身を成長させるのに役立つか
2.自分のやっていることは意味のあることか
3.このハードワークはいつまで続くか予想がつくか
4.きちんとした年収なり将来の約束(社会的地位、天下りなど)で処遇されているか

 当然のごとく、英語の必要性についても触れている。ポイントは「短期間に集中してやる」ことと、「とにかく使う」ことの2つを挙げている。例えば、毎日1時間を100日でやるよりも、毎日4時間を25日でやるほうを勧めている。使うことに関しては最近のスカイプ英会話でもよいといっている。確かに英語学習を取り巻く環境もここ数年で大きく変わったものである。ただし、著者はESS出身なので、学生時代にすでに相当英語をやり込んでいたことが想像され、万人に最適なやり方であるかはわからない。
「短期集中」と「とにかく使う」の組み合わせと聞いて「ダイエット」の方法との類似性を思い当たった。すなわち、初期の体重を落とす時期と、それを維持する時期の2つがあり、維持する時期の食事や運動に気をつけないと元に戻る。同様に英語(に限らず語学)も維持期の管理が不十分であれば、やる前にリバウンドする危険性をもつのだろう。



20年後に老人となる世代よりかは、20年後に日本を支える若い世代に読んでほしい本だ。

2015年4月26日日曜日

「Liar's Fire」 Dee Burks

 主人公SerenaとTylerのオトナのラブストーリーだが、そこには二人のそれぞれの過去がからんでいる。Serenaは大学に入る前の年頃の息子を持つシングルマザーであり、その経歴は後半で明らかになる。一方、Tylerはレストランシェフであるがその兄弟は弁護士などの社会的な地位の高いとみなされる職業についており、兄弟のなかでは少し変わった存在である。また、親友を自分の過失で失った過去持っている。

二人の出会いは、勝手に出された恋人募集のブラインドデートの類であり、両者とも全くその気がなかった。しかし、恋人同士の「ふり」をしなければいけなくなったところから、恋が始まるという、悪く言えばベタな展開である。しかし、二人の心情の変遷の描写はなかなかである。

終盤でタイトルのにFireは関係あるとしても、なぜ「Liar's」なのかはわからずじまいであった。



‐‐‐単語、表現メモ‐‐‐
([ ]内のNoはキンドルでのページ)
■He made a face.[424]
「顔をしかめた」ですが、日常でも使うかは?です。

■She'd been a good sport, jumped in and helped him out of a tight spot with the restaurant, too.[1586]
「カラッとした人」という訳が検索されます。sportsと複数形には馴染みがありますが、単数形の用法は実際のところ使用頻度は高くないと思いますが。

■"Like a long shot of a long shot?".[2018]
繰り返されてますので「大穴中の大穴」という意味合いでしょう。

■"Don't fret over it."[4033]
fret over「ヤキモキする」「悩む」なので、「くよくよするな」となるようです。

2015年4月20日月曜日

「ネイティブなら6歳児でも持っている英語のコアの育て方」内海克泰

英語の勉強法の本だ。

世間にはいろんな勉強法があるが、なんといってもその「核」をまずつくることが大切で、その道は楽ではないと指摘している(たいていの人はわかっていることだが。)この本で示されている方法とは、まず「核本」を見つけそれをひたすら繰り返して「完全に」マスターしろという具体的なものだ。「完全に」とはすなわち、5~100回(注:5~10回の間違いではありません)は繰り返して最終的には暗誦できるようになれと、それから次の部分に進めというものだ。「核本」として、「アメリカ口語教本」や、高校あるいは中学の英語の教科書を挙げている。

ここでは「核」と呼んでいるが、要するに「基礎」のないところにはその先がないということだろう。武道であっても、また、音楽や絵画のような芸術の世界でも、最初は「基本」があってそこから発展がある。そして大抵は基礎の繰り返しは単調で面白くないだろうが、その基礎がなければ独自性を生み出すことはできないだろう(「守破離」といわれるように、はじめから「破」や「離」があるわけではない。)

著者の方法は相当なスパルタ式だが、最終的には同時通訳レベルを目指すには適用できるだろう。英語「で」メシを食べていこうとする人には大いに役立つはずだ。それ以外の人であれば、自分の持ち時間の配分をよく考えてやり方を決めればよいだろう。

さすがに繰り返しは飽きそうだが、気が乗らないときには音楽を聴きながら音読するといった具体的な方法を勧めている。

2015年4月5日日曜日

「インターネット的」糸井重里

 「インターネット」と「インターネット的」では違う。それは、「自動車」と「モータリゼーション」との違いの関係のようなものだということのようだ。他の例として、インターネットが「皿」ならば、インターネット的とは「その皿にのせる何か」であり、そのお皿自体は著者には興味ないものだという。よく言われるように、ハードが重要ではなくソフト(コンテンツ)が重要だということであろう。

 軸となる発想として、リンク、シェア、フラット化を挙げている。「フラット化」に関しての面白い指摘は、価値観のフラット化によって価値が多様化したのではなく、価値の「順位付け」が多様化するという点だ。
「多様化」に関しては、モノの生産者が多様化に対応するために困ったことになっているといわれることに対して、それは売り手の論理であると切り捨てている。そこにうまく対応できたハシリはamazonであろうが、この本が最初に出版された時点ではamazonが拡大する以前であったことから、著者の見方に先見の明があったといえるだろう。

 「インターネット的思考法」(第4章)で、『選択問題の答えを求められて「どっちでもいいんじゃないか」と、この頃は本当に思うのです』と述べており、だいたいはどっちでもいいを貫いている。選択を失敗したか成功したかは後になってみないとわからないし、振り返る時点がいつかによっても変わる場合のであながち間違いではないかもしれない。古人が「塞翁が馬」とはよくいったものである。

 筆者の考え方で面白い点は、「消費」に対して肯定的で「消費のクリエイティビティー」とまでいっている点だ。急に大金を手にした人がこぞって超高価な高級車を買う傾向がある(他に買うものを思いつかない)のを、「欲望の貧困」と表現している。だから、消費のクリエイティビティーが育てばいいなと。『人間はもっと遊んだり消費したりすることに熱心な生き物だったんじゃないか』『消費や遊びを軽蔑して、蓄積や生産に狂奔してきたことが、人間のエネルギーをすっかり疲弊させ「つまらない動物」に変えてしまった』とのべている。個人的には消費によって人間が生き生きするのは近代化が起こした変化であり、別になくても何とかなるのではと思うのだが。

 「問題発見」に関して「寝返り理論」を紹介している。つまり、何かを続けていて、それに不快感を感じ始めたらそこに問題があり何かを変える時期なのだという。寝ていて同じ姿勢で辛くなると無意識にでも寝返りを打つのと同じだということだ。まあ、ある程度同じことを続けて違和感を感じれば変化を起こす時期の知らせなのかもしれない。が、寝返りしすぎると全く寝付けないので、不快感のサインの読み違えに注意が必要だろう。

 
 本書の最後に「続・インターネット的」が追加されているが、その部分以外の本文はほぼ執筆された2001年のままということで10年以上の古さを全く感じさせないのは驚きだ。著者のクリエーターとしての能力の高さのなせる業だろう。