2014年8月31日日曜日

「メディアの臨界-紙と電子のはざまで」 粉川哲夫

本のベースが紙媒体でなく電子媒体へ移行するのは必然的な流れであると考えられている。しかし、紙に印刷された本が消滅するかは疑わしい。タブレットPCで本が読めるにしても、紙のページめくりや、その時の音を模倣していることから、やはり「紙っぽさ」を残したいのではないかと思う。その一方で、今後、紙に印刷された本を知らない世代が登場するときには、状況は変わっているのではないか。生まれついたときからモニターで読む習慣のある世代にとって紙媒体はどう受け止められるかは興味のあるところである。

電子メディアで読書は可能か? これに対して著者は、可能ではあるが、書籍を読むのに比べてメモが飛躍的に増えたと述べている。その理由は電子メディアが「前向性健忘」(数分以上記憶が保てない)を昂進させるからだとしている。そしてこのメモの必要性は、書架に並ぶ本の背表紙によって軽減されてきたもので、書架は記憶装置の機能を果たすとも述べている。しかし、最近はバーチャルな書架に電子書籍を配置することもできるので、どうだろうかとも思う。
自分も物理的な制約から書籍を増えないように努力しているが、バーチャルな世界よりもリアルな書架から本をひっぱりだして参照するほうがやりやすいと感じるだろう。個人差もあるだろうが、これからの世代では書架を参照することに馴染みがなくなるのだろうか?

紙の本をめくらなくなったように、お金に関してもカード化が進み、支払い時にお札を数える機会が少なくなった点を挙げているのは面白いと思った。本と違い、紙幣に関してはクレジットカードや電子マネーに分があるだろう。

本だけでなく、映画からテレビそしてインターネットの時代とメディアの変容について考察されている。随筆スタイルであるが、後半は哲学の素養がないとついていくのがしんどい。

2014年8月26日火曜日

飼い猫回想

7月26日から1ヶ月が過ぎた。うちの猫が死んでから1ヶ月である。猫の様子に変化が見られてから4ヶ月でこの世を去った。当初は、猫に対してもう少し距離を置いて付き合うつもりであったが、さすがに12年あまりも同居していたので、もはや家族同然であったと認める存在となった。

通常考えると、ネコのほうがヒトよりかは短命なわけで(15年生きれば長生きのほう)、ほぼ間違いなく飼い主よりも先立つのが早いことは明らかである(飼い主が「老人」であれば状況は違うでしょうが。事実、里親募集の条件で「60歳以下」を挙げているのもある。)つまり、飼い主は飼い猫を見送る覚悟が飼い始めた時点で必要なのだ。その覚悟が「あやふや」だったために、今、いろいろと後悔することも多い。常々、「やらないで後悔するよりはやって後悔することを選びたい」と言っておきながら、判断が遅れてしまっては「やっても結局、後悔の念は大きいのだ」と、今回の猫が死んでしまった件で認識した。

元々は野良猫であったが、成り行き上、飼う羽目になってしまった飼い猫。その時期の猫との出会い、そして、先月の別れ、ひょっとすると、その出会いは偶然ではなく、また、先月の別れもその役目を終えた故の必然だったのではないかと思ったりする。

そのうち、猫の病状と、どういう経過をたどったのかをまとめたい。しかし、まだ、気持ちの整理がついていないし、あまり思い出したくないこともある。ネコに対して「49日」とかヒトの場合をあてはめたくないが、起きたことを冷静に見つめなおすためには、そのくらいの時間が必要なのかもしれない。

2014年8月18日月曜日

ミニマリズム考

断捨離ブームが続いているかどうかはわからないが、できるだけ持ち物を少なくする生活スタイルを指向することには興味がある。そう考え始めてから、本に関しては「蔵書のミニマリズム作戦」として、かなり溜まってしまった本に関しては買取業者に中古で売っ払ったり、電子化サービスの業者に依頼して電子ファイル化ををすすめてきた。

本を買い続けると、その収納場所が必然的に必要なわけで、それを阻止するには、
   (1)本を買うのをやめる
   (2)買った分だけの本を同時に処分して所有数を増やさない
しかない。

財力にものを言わせて、物理的な制約を取り払えるならば、
   (3)買った本だけ、本の収納場所を増やす
ことも可能であるが、自分も含めた一般人には無理であるし、ミニマリズムではないだろう(でも、(3)ができる状況のヒトはうらうらやましい。)


持ち物を減らすといっても、どこまでがシンプルであるかは人それぞれの考えによるだろう。あまりにも究極の姿を求めると、お坊さんレベルにまでいく可能性もある。それでもまだ、日本の坊さんであれば、結婚したり、カラオケにいったり、酒飲んだりも可能だが、上座部仏教の坊さんの場合にはまさに究極のシンプルライフといえるだろう。

タイの田舎の寺院にて撮影.
僧侶レベルであれば、ほぼ何も持たないミニマリズムの究極形でしょうか.
猫や犬はよく寺院で見ますが、野良が保護されたものらしいです.

ものをどんどん減らすといっても、それでは、ペットはどうなのだろうか?ネコであっても、モノではなくもはや「家族」同然であれば、減らす対象とはならないのかなあ。我が家の飼い猫が逝って3週間余り、ネコとヒトの距離感に関していろいろなことを考えてしまうのであった。

2014年8月10日日曜日

「働かないオジサンになる人、ならない人」楠木新

「働かないオジサン」と言われて、想像するオジサン像は人それぞれかもしれない。ここでは、サラリーマンの職場における「働かないオジサン」の分析と、そうならないためはどうすればよいかを示している。(なお、同じ著者の「人事部は見ている」を以前に紹介した。そちらは「会社の歩き方」とも呼べる内容だった。)

面白いのは、「働かないオジサン」の特徴として、「いい顔で働いていない」ことを指摘している点である。本書で類型化されているタイプでいえば「無気力タイプ」を想像するとわかりやすいだろう。

働かないオジサンを生み出す構造的問題が日本で特有なものだとし、その理由として「新卒一括採用」と「ピラミッド構造」の2点を挙げている。一般的に日本では、まとめて採用し、しかもその際にみんなが「同期」としてスタートすることになる。引き合いに出されていた銀行の例を考えるとわかりやすいだろう(ドラマ「半沢直樹」の感じですね)。また、そのなかではピラミッド構造のためすべての人が、課長や部長や社長になれるわけではなく、そうならなかった人は「働かないオジサン」化する可能性がある。この仕組みはサラリーマンの世界特有というよりは、官僚の世界のほうが顕著であろう。だからこそ、上位のポジションに登れなかった時点で関係省庁や関係団体に「天下る」システムができたのだろう。

日本的雇用の慣習の特徴として「メンバーシップ契約」を指摘している。会社と従業員は所詮「契約関係」でつながっているが、日本では被雇用者間でも、あたかもクラブのメンバーのごとく相互に協力することが前提となっている。これは「契約」とは文面化されてはいないが、入社面接では「みんなとうまくやっていけること」が前提となっている点を考えると理解できる。だから、定時になってもみんなが帰る時間でないと帰らないとか、飲み会には参加するとかいう傾向を招くのだろう(今の20代の世代では変わっているかもしれませんが、私の世代ではそうでした)。

これらの考察で、少し残念な点は日本以外の雇用状況との比較が十分でないと感じられる点である。もしも著者が外資系あるいは海外企業での経験があれば、さらなる考察ができたのではないかと思う。


40歳で遭遇する、組織で働くことの意味に悩む状態を「こころの定年」と呼び、人生の定年(死ぬとき)、就業規則上の定年と分けていることは興味深い。この「こころの定年」に正面から向き合っていない状態が働かないオジサンを生み出していると考察している。

最終章では「働かないオジサンにならないための7カ条」が示されている。第4条の「師匠を探せ」、第5条の「お金との関わり方を変える」は、他の本でもよく言われることだ。つまり、よいメンターを見つけろとか、仕事に直接関係しない飲み会では経費を使わずに身銭を切ろとかいうことである。


想定される読者は若いサラリーマンでしょうか。働かないオジサンへの対処法も記述してあるので、実用性はあるでしょう。
現在の20代が、働かないオジサンとなるかもしれない年代までサラリーマンとして勤めているかは疑問ですが、今、見られるそうしたオッサンを反面教師として学ぶ点もあると思います。

2014年8月3日日曜日

「A French Girl in New York」 Anna Adams

キンドルでペーパバックを読んでいるが、基本的には通勤の電車の中でだけだ。帰りはぐったりしていることがあるので、その場合は読まない(というか、読めない。なぜなら、必要な集中力が減退しているので。)
それでも少しずつは進んでいるわけで、ようやく、この軽い小説を読み終えた。英語ネイティブであれば、主人公と同年代のティーンエージャー向けだろう。

あらすじ:
両親もわからず、ほとんど召使同様の待遇で育ての親に育てられていた少女Maudeが、ふとしたきっかけでニューヨークの音楽プロデューサーに才能を見出される。フランスからニューヨークに連れ出されるための手続きや条件で難航したものの、ついにフランスの田舎からニューヨークに行くことができた。そこで、身近な人間の裏切りなどがあったものの最終的にはデビューを果たす。ただし、ニューヨークに行くのは期限付きであり、半年後には元のフランスの田舎の育ての親の家族の下に戻らなければならなかった。メジャーデビューを果たしたにもかかわらず、フランスの育ての親から離れる条件は、半年後にはフランスに戻り、さらに召使同様の生活を強いるという契約だったのだ。しかし、その契約自体がおかしいことが証明され、Maudeは再びニューヨークに戻ることができた。(めでたしめでたし)。

と、あらすじを書いてみたが、全然おもしろそうでない(w)。そうではなく、ストーリーの展開のなかには、男女間の心理的な描写や、なぜ、Maudeが孤児になり、どういった経緯で育ての親に預けられることになったのか、また、新たな家族とのつながりが明るみになるところも織り込まれており、小説として楽しめると思う。ただし、ノンネイティブ(少なくとも私のレベル)にとっては、Kindle上で随時単語チェックはかかせなかった。




‐‐‐単語、表現メモ‐‐‐
([ ]内のNoはキンドルでのページ)
■squeeze someone's arm
人の腕をぎゅっと一瞬力をこめて握る《友情・感情・共感・同情などの気持ちをこめた友好的接触動作》[出典:しぐさの英語表現辞典]

"Dad said you knew all the classical composers?" asked Jazmine, squeezing her arm excitedly.[No.1017]

MaudeがNYで世話になることになった家族の一員であるJazmineが、Maudeがクラシックに造詣の深いことを聞いていたことをMaudeに確認する場面です。実は、最初はこの文の意味がつかみにくかったのですが、その理由が見直してわかりました。文法上はherがMaudeでなくてJazmineであることも可能だからです。しかし、自分の腕をぎゅっと握ることはほぼないと考えられれば、すんなりと意味がわかります。
簡単な単語でも組み合わせ等によって別の意味を持つ場合もあるので侮れないです。