表紙にも書いてある通り、労働時間を半減にするキモは「単価を2倍にする」点にある。著者自身はそのライフスタイルで10年以上生きてきたわけだが、現在、長い休みをとるのが難しいサラリーマンすべてに可能な方法が書かれているわけではない。もっとも適しているのがITコンサルで、フリーランスとしての生き方に親和性が高い業種である。従って、現在サラリーマンで、その業務内容がフリーランスとして通用するのでなければ、「半年だけ働く」スタイルに移行するのは難しいであろう。
「まずはサラリーマンで地頭をつける」の項で、「1万時間の法則」が書かれている。これは物事を習熟するのに要する時間で、「石の上にも3年」を裏付けるものらしい。学校をでていきなりフリーランスを目指すよりかは、まずはサラリーマンで修行するのが得策であろう。事実、会社勤めは、長く休めないなどの制約があるが、種々の教育を受けられる(しかもお金をもらいながら)ことや、社会的な身分を保証してくれるメリットもある。会社にいるか、フリーランスになるかの長所短所は本書の別のところでも紹介されている。
タイトルの「半年だけ働く」の目的は何かといえば、著者の「旅とサッカー観戦」の時間(と資金)を捻出するためである。ここで興味深く感じたのは、フリーランスで、かつ旅をすることから、その生活が「ミニマルに生きる」こととつながっている点である(第4章)。捨てるものとして、名誉欲、人間関係、紙の本、手帳があげられており、ハード面の保管や記録に関してはGoogleの利用を推している(私もGoogle派)。
「やめる」ことで「年賀状」がでていたが、これをやめようといっている人は他にもいた(多分「お金じゃ買えない」に書かれていた)。個人的には年賀状をやめることには賛成だが、やめ方はきちんとしたほうがよいと思う。返事をしなければそのままフェードアウトするだろうが、やはり意思表示をしたい。つまり、年賀状書き最後の年には、きちんと「今後の年賀状はやめます」の旨、一筆添えるべきであろう。
「半年だけ働く」ライフスタイルのためには、それなりの実力(=会社をやめても生きていける力)が必要であることは否定できない。では実力のないヒトはとうすればよいのか?実力をつけるか、難しそうであれば、支出を減らして可処分所得を増やす生き方もありだろう。「時間を生み出す」ために他の時間を減らす(あるいは切り捨てる)考え方は後者に近いといえる。
当ブログに訪問いただきありがとうございます。 自分の読んだ本のレビュー(メモ程度ですが)、語学学習の経験、そして猫についてつれづれなるままに書いています。なお、本に関しては、原則、『「タイトル」-著者』の見出しにしています。
2018年7月16日月曜日
2018年5月3日木曜日
「必要十分生活」たっく
ミニマリズム本である。したがって、「いらないもの」(と著者が考えるもの)が列挙されている。
使用頻度が低いものは「いらないもの」の候補であるので、「プリンターはいらない」といっている。写真屋のサービスもあるし、トータルの維持費を考えるとコンビニのコピーやプリントサービスの利用は妥当だろう。コストを除くと「不便さ」をどこまでじゅようできるか次第だろう。
シャンプーやコンディショナーは家族内で統一するのはなんとかなりそうだが、ひげそりジェルもコンディショナーで代用化で、さらに電気シェーバーはも不要と言う意見は普遍的ではない。やっぱり髭が濃ければ電気シェーバーは欠かせないのだ(それは自分のことであるが)。視点をかえて、「ひげ伸び放題でもいいじゃないか」もありかもしれませんが。
持ち物の数量を減らすという点では「靴は3足」といっており、2足の靴を交互に履いて長持ちさせる方法には反対だといっている。その理由のひとつに「飽きがくるから」という。が、そもそもの必要十分生活の基本思想は「飽きてもかまわない」ところにあるのではないか? 1足だと2年でだめになる靴が2足を交互にはけば5年使えるとすれば1足あたり半年寿命が延びるわけだが、それならば2年で履き潰したほうがよいという考えもできるだろう。靴に関しては、その人のこだわりがあるので、こだわる人であればもうちょい保有数が多くてもよいかなあとも思う。(章のひとつで「趣味のものは思う存分家に置く」とあるので、靴が趣味だと無理そうですけど。)
最終的には、トランクひとつにモノが収まる程度を目指し、あえて所有せずにレンタルできるものはレンタルを利用するあたりが、単なる節約生活とは一線を画する点だろう。シンプルな生き方に憧れはあるが、そのためには、それなりにお金が必要なのだ。
こだわりの点を除いてモノが減るということは、いかに「飽き」をやり過ごすかということだろう。こだわりが増えすぎるとモノを減らせなくなるとすれば、必要十分生活はその人の生き方に依存するといえるのではないか?
使用頻度が低いものは「いらないもの」の候補であるので、「プリンターはいらない」といっている。写真屋のサービスもあるし、トータルの維持費を考えるとコンビニのコピーやプリントサービスの利用は妥当だろう。コストを除くと「不便さ」をどこまでじゅようできるか次第だろう。
シャンプーやコンディショナーは家族内で統一するのはなんとかなりそうだが、ひげそりジェルもコンディショナーで代用化で、さらに電気シェーバーはも不要と言う意見は普遍的ではない。やっぱり髭が濃ければ電気シェーバーは欠かせないのだ(それは自分のことであるが)。視点をかえて、「ひげ伸び放題でもいいじゃないか」もありかもしれませんが。
持ち物の数量を減らすという点では「靴は3足」といっており、2足の靴を交互に履いて長持ちさせる方法には反対だといっている。その理由のひとつに「飽きがくるから」という。が、そもそもの必要十分生活の基本思想は「飽きてもかまわない」ところにあるのではないか? 1足だと2年でだめになる靴が2足を交互にはけば5年使えるとすれば1足あたり半年寿命が延びるわけだが、それならば2年で履き潰したほうがよいという考えもできるだろう。靴に関しては、その人のこだわりがあるので、こだわる人であればもうちょい保有数が多くてもよいかなあとも思う。(章のひとつで「趣味のものは思う存分家に置く」とあるので、靴が趣味だと無理そうですけど。)
最終的には、トランクひとつにモノが収まる程度を目指し、あえて所有せずにレンタルできるものはレンタルを利用するあたりが、単なる節約生活とは一線を画する点だろう。シンプルな生き方に憧れはあるが、そのためには、それなりにお金が必要なのだ。
こだわりの点を除いてモノが減るということは、いかに「飽き」をやり過ごすかということだろう。こだわりが増えすぎるとモノを減らせなくなるとすれば、必要十分生活はその人の生き方に依存するといえるのではないか?
2017年1月15日日曜日
「お金持ちはなぜ、靴をピカピカに磨くのか?」 臼井由妃
倹約の方法本である。著者の実践に基づいており、倹約とともにミニマリズムにも通じる点が多い。
モノを減らすことを考えるとき、モノが増えることを考える必要があるだろう。そこに関係する物欲についてこう書いている。
モノの購入基準として、単に安いからという理由ではなく、
倹約を実践のためのスタイルを、「清貧」ではなく「清富」生活と呼んでいる。(同様に節約と倹約を区別している)。そのなかで、
お金持ちに学ぶ「倹約生活」のルールの章で、「運」について言及されている。
運の出し入れに関しては、麻雀の本にも書いてあった気がする。すなわち、「点棒のやり取り」だけではなく、そこに見えない運のやりとりがあるのだと。
人により運がよかったり悪かったりということがあることは間違いない。ただ、運に任せる際には「運の消費」に留意したほうがよいだろう。「運」については最初のほうでも、
「運」を科学的に説明できるのかといわれると全く自信がないのだが、その大切さは、この本に限らず、あちこちで取り上げられている。
モノを減らすことを考えるとき、モノが増えることを考える必要があるだろう。そこに関係する物欲についてこう書いている。
欲しいモノが多くて困るという人は、「欲しい気持ち」に理由があることを知ってください。なぜそれが欲しいのか?本当に欲しいのか?自分に問いかけてみましょう。[p.36]「なぜブランド品が欲しいのか?」の答えは、ブランドの所有が自己の価値を向上させるという認識に基づいている場合もあるのではないか?収入が低いのに高級車を乗り回す心理とも似ているだろう。つまり、所有品の価値を自分の価値とみてしまう心理だ。
モノの購入基準として、単に安いからという理由ではなく、
モノを購入する際には、自分の耐用年数(寿命や求めている使用期間)で選択をしています。[p.46]という基準を示しており、後のほうでも、「だから高くてもよいものを買って長く使う」と述べている。
倹約を実践のためのスタイルを、「清貧」ではなく「清富」生活と呼んでいる。(同様に節約と倹約を区別している)。そのなかで、
買ったほうが安くて美味しいものはつくらない。[p.104]といい、具体的には揚げ物など手間を考えると自宅でつくるよりかは買ったほうがよいと述べている。それぞれのヒトの考え方によるが、無駄なこだわりは捨てたほうがよいということか。
お金持ちに学ぶ「倹約生活」のルールの章で、「運」について言及されている。
ここぞという時に運を使えるように、運のムダづかいは避けることをおすすめします。[p.173]とあり、金持ちはめったにパチンコをせず、そんなところで運を使いたくないからということらしい。
運の出し入れに関しては、麻雀の本にも書いてあった気がする。すなわち、「点棒のやり取り」だけではなく、そこに見えない運のやりとりがあるのだと。
人により運がよかったり悪かったりということがあることは間違いない。ただ、運に任せる際には「運の消費」に留意したほうがよいだろう。「運」については最初のほうでも、
「節約」を始めて最初に気づいたのが、運は隙間がないと導かれないということでした。[p.20]と、「運を呼び込むことの大事さ」にふれている。
「運」を科学的に説明できるのかといわれると全く自信がないのだが、その大切さは、この本に限らず、あちこちで取り上げられている。
2016年11月29日火曜日
「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」坂口 恭平
端的に言うと「ホームレス入門」といえる。ホームレスとは路上生活者なのだろうが、その概念を拡大して路上のみならず河川敷での生活も含まれる。ホームレスとなると、原則的には住所不定をとなりいろいろと不便が多いと聞く。しかし、見方を変えるとこれって「ミニマリスト」の一つの形なのではとも思える。いうなれば「所有」からの解放である。
大都会において「狩猟採集生活」が成立つという見方は新鮮であるが、逆に都市でないと成立しないともいえる。言い方を変えると都市への「寄生」的な生活だ。
ゴミから稼ぐこと(ここではゴミを「都市の幸」と呼んでいるが)の実際のやり方が紹介してあり、まさに「入門書」である。書かれていることの中でも、住む場所についての記述が興味深い。住まいを考えるとそこにはインフラが不可欠であるが、そこで、電気や水道、ガスに「なぜいつもつながっていないといけないのか」という疑問を投げかけている。その答えとして「それは使う分量がわかっていないからではないか」といっている。著者が「多摩川のロビンソンクルーソー」と呼んでいる人の生活から、資本主義とは離れて「自分にはどれくらいのエネルギーが必要なのかを把握し、その分だけを自らの手で手に入れるという考え方」がなされているといっている。
河川敷に住居を構え、そのあたりで畑を作って野菜をつくったり、また生業としてゴミを選別したりして現金を得る生活をホームレス(その前は乞食といったかどうかは不明だが、これは現在では差別的な言葉なのであろう)と呼ぶが、その生活スタイルはむしろ合理的ではないかとの見方ができるだろう。
最後のほうに『森の生活』(ヘンリー・デイビット・ソロー著)と、それと関連して『方丈記』(鴨長明著)のことがでてくる。前者は森の中で2年間の自給自足の記録であり、後者は鎌倉時代に鴨長明が山に方丈庵を建てそこでの記録をつづったものである。でその方丈庵がモバイルハウスであったという点が、著者がとりあげたポイントであろう。つまり、現在の都市型狩猟採集生活と類似点が多いということである。
大都会において「狩猟採集生活」が成立つという見方は新鮮であるが、逆に都市でないと成立しないともいえる。言い方を変えると都市への「寄生」的な生活だ。
ゴミから稼ぐこと(ここではゴミを「都市の幸」と呼んでいるが)の実際のやり方が紹介してあり、まさに「入門書」である。書かれていることの中でも、住む場所についての記述が興味深い。住まいを考えるとそこにはインフラが不可欠であるが、そこで、電気や水道、ガスに「なぜいつもつながっていないといけないのか」という疑問を投げかけている。その答えとして「それは使う分量がわかっていないからではないか」といっている。著者が「多摩川のロビンソンクルーソー」と呼んでいる人の生活から、資本主義とは離れて「自分にはどれくらいのエネルギーが必要なのかを把握し、その分だけを自らの手で手に入れるという考え方」がなされているといっている。
河川敷に住居を構え、そのあたりで畑を作って野菜をつくったり、また生業としてゴミを選別したりして現金を得る生活をホームレス(その前は乞食といったかどうかは不明だが、これは現在では差別的な言葉なのであろう)と呼ぶが、その生活スタイルはむしろ合理的ではないかとの見方ができるだろう。
最後のほうに『森の生活』(ヘンリー・デイビット・ソロー著)と、それと関連して『方丈記』(鴨長明著)のことがでてくる。前者は森の中で2年間の自給自足の記録であり、後者は鎌倉時代に鴨長明が山に方丈庵を建てそこでの記録をつづったものである。でその方丈庵がモバイルハウスであったという点が、著者がとりあげたポイントであろう。つまり、現在の都市型狩猟採集生活と類似点が多いということである。
2016年9月4日日曜日
「フランス人は10着しか服を持たない」ジェニファー・L・スコット
邦訳本で、タイトルがよくできている。ぱっと見で「10着だけ?」と思うのではないだろうか?原題には「10着しか服を持たない」なんて書いてはいない。また、中では「10着(くらい)」と書いてはいるが、実際にはその10着に含まれないものとして、上着類、ドレス類、アンダーシャツなどがきちんと挙げられている。要はクローゼットにパンパンになるくらいの服は必要でなく、着ない服は処分するとか、着れなくなった服も処分し、少なめの服でも着まわせばよいということである。
家の中でさえキチンとした身なりでいることが大事とはいっているが、その点は庶民レベルでは違うのかなと思う。もはや育ちの善し悪しのレベルなのではないか。
アメリカ人の著者がフランスに留学した際に、フランス人の生活に触れて「シックな」ライフスタイルを発見して、それを実現するためのコツを挙げている。「シック」がやたらと出てくるのだが、このフランス語らしい単語も英語となっているようで、上品さや垢抜けしたことを示す名詞や形容詞である(やたら「シック」と出てくるが「chic」でなく「sick」を連想したりするが)。
「何を着るか」という「外見」も重要であるが、本質は、「どう生きるか」であり、品よく生きるためにはどうしたらよいかということが書かれている(それを「シックな」と呼んでいる。)
着るものはある程度コントロールできるものの、その人から漂う「上品さ」は一朝一夕にはつくることができないだろう。いわゆる「育ちがよく」なければ難しいかもしれない。しかし、どうすれば上品になれるかに気をつけておけば多少なりとも品のいい人間に近づけるのではないだろうか?
知り合ったばかりの人に対する質問として「最近なにか面白い本を読みましたか?」が最適だとあり、これは使えるも知れないと思った。もちろん、そうした質問のためには自分が本を読んでおく必要がある。
ミニマリズムに通じる点も多いが、同時に「オシャレ」でいることを目指しているので、質素とも違うのかなあという印象を受けた。フランスは洗練されているかもしれないが、別に日本だって素晴らしいと思うので書かれているすべてを受け入れる必要もないだろう。
家の中でさえキチンとした身なりでいることが大事とはいっているが、その点は庶民レベルでは違うのかなと思う。もはや育ちの善し悪しのレベルなのではないか。
アメリカ人の著者がフランスに留学した際に、フランス人の生活に触れて「シックな」ライフスタイルを発見して、それを実現するためのコツを挙げている。「シック」がやたらと出てくるのだが、このフランス語らしい単語も英語となっているようで、上品さや垢抜けしたことを示す名詞や形容詞である(やたら「シック」と出てくるが「chic」でなく「sick」を連想したりするが)。
「何を着るか」という「外見」も重要であるが、本質は、「どう生きるか」であり、品よく生きるためにはどうしたらよいかということが書かれている(それを「シックな」と呼んでいる。)
着るものはある程度コントロールできるものの、その人から漂う「上品さ」は一朝一夕にはつくることができないだろう。いわゆる「育ちがよく」なければ難しいかもしれない。しかし、どうすれば上品になれるかに気をつけておけば多少なりとも品のいい人間に近づけるのではないだろうか?
知り合ったばかりの人に対する質問として「最近なにか面白い本を読みましたか?」が最適だとあり、これは使えるも知れないと思った。もちろん、そうした質問のためには自分が本を読んでおく必要がある。
ミニマリズムに通じる点も多いが、同時に「オシャレ」でいることを目指しているので、質素とも違うのかなあという印象を受けた。フランスは洗練されているかもしれないが、別に日本だって素晴らしいと思うので書かれているすべてを受け入れる必要もないだろう。
2016年8月7日日曜日
「「しないこと」リストのすすめ」 辻信一
「やることは」はリスト化するが、「やらないこと」をわざわざ決めるておくのは一般的ではないだろう。いわば「しないこと」に意思をもってやらないということだろうか?何かの本に「しない」というのは決定しなかったことではなく「しない」という決定を下したのだと書いていたことを思い出す。
「すること(すべきこと)」が足し算的な発想であるのに対して、「しないこと」は引き算的な考え方であるとし、以下のように述べている。
モノの所有に関しては、モノを買う→置き場がなくなる→スペースを確保するにはお金がいる→そのためには働いて稼がなければいけない、そしてその稼ぐためには生産活動が必要で、
「引き算が生む質の豊かさ」の項で「more is more」と「 less is more」の話がでてくる。大量生産大量消費の前提では「もっともっと」が継続する。一方、後者では、わかりやすい例では、モノを減らせばより多くの空間が得られることだが、モノが少なくても精神的には豊かになれる可能性を言っている。まあ、豊かさや幸福についてはひとまとめに語ることは難しいが。
第4章の未来のためのしないことリストの「3.雑用をゴミ箱に捨てない」では、「雑用」、すなわち「効率化のためには無駄なこと」の価値が論じられている。効率化のなかで言われる「雑用」にこそ意味があるのではないかと。引用すると、
効率化をめざす、雑用をゴミ箱へほうりこむ、そうしたことは結構なことだが、その効率化の先には何があるのかを考え直すことが必要であるかもしれない。いろんなことに「無駄」のレッテルを貼る以前に、日々行っていることのどのくらいのことが「無駄じゃない」と言えるのか?その答えはその人が生きる上で何を大切に思っているかによって千差万別であろう。
「すること(すべきこと)」が足し算的な発想であるのに対して、「しないこと」は引き算的な考え方であるとし、以下のように述べている。
過剰という問題を解決するにはどうすればいいか。そう、答えは引き算にあり。空間であれ時間であれ、整理の基本は、溜めこみすぎたクラッターとしてのモノやコトを、いかに削減するか、だ。[p.99]英語の「クラッター」という概念を引き合いに出している(著者が海外に長く住んでいたことにも関係しているのだろう)。要は家の空間に詰め込みすぎの状態のことだが、概念はまさにものだけではなくコトにもあてはまるだろう。
モノの所有に関しては、モノを買う→置き場がなくなる→スペースを確保するにはお金がいる→そのためには働いて稼がなければいけない、そしてその稼ぐためには生産活動が必要で、
ぼくたちはみんな「生産」という王様の奴隷たちなのだ。[p.105]と述べている。今の時代は生産と消費(しかも大量な)に経済が支えられていると言わざるを得ないだろう。また、生産→消費→拡大再生産の輪に取り込まれた一般人は、そこから抜け出せない奴隷ともいえるだろう。
「引き算が生む質の豊かさ」の項で「more is more」と「 less is more」の話がでてくる。大量生産大量消費の前提では「もっともっと」が継続する。一方、後者では、わかりやすい例では、モノを減らせばより多くの空間が得られることだが、モノが少なくても精神的には豊かになれる可能性を言っている。まあ、豊かさや幸福についてはひとまとめに語ることは難しいが。
第4章の未来のためのしないことリストの「3.雑用をゴミ箱に捨てない」では、「雑用」、すなわち「効率化のためには無駄なこと」の価値が論じられている。効率化のなかで言われる「雑用」にこそ意味があるのではないかと。引用すると、
しかし、人生とは、そもそもこうした雑用の集積のことではなかったのか。雑用には時間がかかる。いかにも非効率的だ。面倒に感じられることも多いだろう。しかし、時間もかからなければ面倒でもないようなものに、そもそもぼくたちはいったいどんな楽しみややりがいが見出せるというのだろう。[p.135]自分を省みると、時間的な効率化に染まってしまった発端は受験勉強時期にあったように思える。(その無駄排除の姿勢も大学進学後にはしばらくなくなったが…)。
効率化をめざす、雑用をゴミ箱へほうりこむ、そうしたことは結構なことだが、その効率化の先には何があるのかを考え直すことが必要であるかもしれない。いろんなことに「無駄」のレッテルを貼る以前に、日々行っていることのどのくらいのことが「無駄じゃない」と言えるのか?その答えはその人が生きる上で何を大切に思っているかによって千差万別であろう。
2016年6月11日土曜日
「1週間で8割捨てる技術」筆子
断捨離ブームから捨てることに注目が集まっている。捨てるための技術の紹介本で、ブログからの出版化をみたものとのことである。
捨てるかの判断で、この本では「反ときめき」が勧められている。すなわち、モノを捨てる判断基準として、「そのモノに触ってときめくかどうかで決める」のではなく、反対に「つかむ、捨てる」をワンツーのアクションでやることをすすめている。事実、捨てるかどうかですごく悩む状況はありがちなので、よい方法かもしれない。ちなみに自分のとる方法のひとつは、捨てる捨てないの判断に迷う場合、「保留」のための箱を用意しておき、そこに入れておく。しばらくそのまま放置しておいて保留の状態で使う機会がないことがわかれば、その時に後で捨てればよいのだ。
捨てることに対する「リバウンド問題」が取り上げられている。すなわち、ダイエットと同様、かたずけても、いつの間にかモノが増えて元どおりになるという現象だ。「食器を捨てる」の章で、食器を増やさない5つのルールがあり、そのなかに「100円ショップには行かない」がある。やはり大事なのはまずは買わないこと、買う場合には何かを捨てることがモノを増やさないコツなのだ。「安いから買う」という発想をまずは捨て去ることが肝要である(残念ながら自分としてもその発想がしみついている面は否定できないが。)前にも書いた気がするが、「一つ買ったら一つ捨てる」(特に洋服の場合)のポリシーがよいだろう。本書でも「ワン・イン・ワン・アウト」として紹介されている。
本来であれば「必要だから買う」という姿勢のはずだったのが、「モノを買うその行為自体」が目的となるがゆえにモノにあふれる生活に困るという結果を招いているのだろう。(「ショッピングセラピー」なんて表現で、言い訳にしているひともいるでしょうが。)捨てることが目的ではなく、モノが少ないシンプルな生活がもたらすものをイメージできれば、片づけ作業もはかどるだろう。
捨てるかの判断で、この本では「反ときめき」が勧められている。すなわち、モノを捨てる判断基準として、「そのモノに触ってときめくかどうかで決める」のではなく、反対に「つかむ、捨てる」をワンツーのアクションでやることをすすめている。事実、捨てるかどうかですごく悩む状況はありがちなので、よい方法かもしれない。ちなみに自分のとる方法のひとつは、捨てる捨てないの判断に迷う場合、「保留」のための箱を用意しておき、そこに入れておく。しばらくそのまま放置しておいて保留の状態で使う機会がないことがわかれば、その時に後で捨てればよいのだ。
捨てることに対する「リバウンド問題」が取り上げられている。すなわち、ダイエットと同様、かたずけても、いつの間にかモノが増えて元どおりになるという現象だ。「食器を捨てる」の章で、食器を増やさない5つのルールがあり、そのなかに「100円ショップには行かない」がある。やはり大事なのはまずは買わないこと、買う場合には何かを捨てることがモノを増やさないコツなのだ。「安いから買う」という発想をまずは捨て去ることが肝要である(残念ながら自分としてもその発想がしみついている面は否定できないが。)前にも書いた気がするが、「一つ買ったら一つ捨てる」(特に洋服の場合)のポリシーがよいだろう。本書でも「ワン・イン・ワン・アウト」として紹介されている。
本来であれば「必要だから買う」という姿勢のはずだったのが、「モノを買うその行為自体」が目的となるがゆえにモノにあふれる生活に困るという結果を招いているのだろう。(「ショッピングセラピー」なんて表現で、言い訳にしているひともいるでしょうが。)捨てることが目的ではなく、モノが少ないシンプルな生活がもたらすものをイメージできれば、片づけ作業もはかどるだろう。
2016年5月8日日曜日
「一生モノの超・自己啓発」鎌田 浩毅
世の中にあふれるビジネス書や自己啓発本は、実のところ役に立つのだろうか?この疑問に対してひとつの答えを提示しているのが本書であろう。
「ビジネス書」が「ドクサ化」しているという指摘は的を得ている。「ドクサ」とは、ギリシャ哲学の用語で、「人間を絶えず惹きつけるものだが、必ずしも幸福にしないもの」らしい。また、これらのドグサ化したビジネス書のなかで謳われていることのマイナスな点は、そのハウツーができない場合、それができない本人に責任がある風に書かれている点だといっている点は新しい。つまり、うまくいかないことを見せつけられることで、本人の「無力感」が増大される可能性があるというのだ(それが出版社の思惑かもしれないが。)
「成功本はムチャをいう」という本でも、「書いてある通りできれば苦労はないよ」といった感じだった。本書でも同様に、「自己啓発本に書いてあることをすべてやろうとすると24時間では足りないのではないか?」と指摘している。
それでどうすればよいのか?という問い対する答えは、端的にいって「いいとこどりしよう」だ。「こうすればよいです」と書いてあることは、本によっても違うし、また、一番重要なことは、誰かの言っている黄金律は、「普遍的にだれにも適用できるわけではない」という点だろう。これは、健康法にも通じる点だ。例えば、「朝は早起きが健康に良い」といわれても、「すべての人に対して」この習慣がベストとは限らないだろう。食事にしても「肉食はよくない」といわれる一方で、「肉は長寿によい」と言われたりする。おそらく、このどちらも嘘ではない。嘘ではないが万人に適応できないだろう。なぜなら、同じ人間でも、それぞれの体質は同じではないからである(個人的には早起きで肉少なめな習慣がほとんどの人によいことだと思うが。)
ストックからフロー型の生き方、つまり、ため込まない生き方を勧めている。これはまさにミニマリズムに通じる点だろう。ため込まないのは物理的なものだけではなく、人間関係について「友達は3人いれば十分」や「SNSを休んでみては」などソフト面でも言及している。(浅い人間関係をひきずるのはやめようと言っている人は「お金じゃ買えない」の藤原和博氏も同様だった気がする。)
面白いと思ったのは「頭で考える」ことのほかに、「体の反応(体からのメッセージ)」に注目している点だ。例えば5月病についても無気力を体からのサインとし、休んでいればそのうちエネルギーがたまって何らかの方向で元気になるから心配ないという意見である。体の感覚の重要性は「無学問のすすめ」でも触れられていた。
自己啓発オタクやビジネス書オタクが読んでみるべき本であろう。著者のオタク経験に裏付けされているので説得力のある内容だ。
「ビジネス書」が「ドクサ化」しているという指摘は的を得ている。「ドクサ」とは、ギリシャ哲学の用語で、「人間を絶えず惹きつけるものだが、必ずしも幸福にしないもの」らしい。また、これらのドグサ化したビジネス書のなかで謳われていることのマイナスな点は、そのハウツーができない場合、それができない本人に責任がある風に書かれている点だといっている点は新しい。つまり、うまくいかないことを見せつけられることで、本人の「無力感」が増大される可能性があるというのだ(それが出版社の思惑かもしれないが。)
「成功本はムチャをいう」という本でも、「書いてある通りできれば苦労はないよ」といった感じだった。本書でも同様に、「自己啓発本に書いてあることをすべてやろうとすると24時間では足りないのではないか?」と指摘している。
それでどうすればよいのか?という問い対する答えは、端的にいって「いいとこどりしよう」だ。「こうすればよいです」と書いてあることは、本によっても違うし、また、一番重要なことは、誰かの言っている黄金律は、「普遍的にだれにも適用できるわけではない」という点だろう。これは、健康法にも通じる点だ。例えば、「朝は早起きが健康に良い」といわれても、「すべての人に対して」この習慣がベストとは限らないだろう。食事にしても「肉食はよくない」といわれる一方で、「肉は長寿によい」と言われたりする。おそらく、このどちらも嘘ではない。嘘ではないが万人に適応できないだろう。なぜなら、同じ人間でも、それぞれの体質は同じではないからである(個人的には早起きで肉少なめな習慣がほとんどの人によいことだと思うが。)
ストックからフロー型の生き方、つまり、ため込まない生き方を勧めている。これはまさにミニマリズムに通じる点だろう。ため込まないのは物理的なものだけではなく、人間関係について「友達は3人いれば十分」や「SNSを休んでみては」などソフト面でも言及している。(浅い人間関係をひきずるのはやめようと言っている人は「お金じゃ買えない」の藤原和博氏も同様だった気がする。)
面白いと思ったのは「頭で考える」ことのほかに、「体の反応(体からのメッセージ)」に注目している点だ。例えば5月病についても無気力を体からのサインとし、休んでいればそのうちエネルギーがたまって何らかの方向で元気になるから心配ないという意見である。体の感覚の重要性は「無学問のすすめ」でも触れられていた。
自己啓発オタクやビジネス書オタクが読んでみるべき本であろう。著者のオタク経験に裏付けされているので説得力のある内容だ。
2016年3月14日月曜日
モノのクラウド化ができるサービスがあるらしい
これまで、ミニマリズムについて何度か書いてきた。その必要性の一つの理由は、居住空間の物理的な制約である。モノが増えれば、その収納スペースを増やすのがひとつの方法だが、通常は(庶民的なレベルでは)限界がある。だから、モノを増やさないようにするのがベストである。その一方で、溢れるモノをレンタル倉庫に預けるという選択肢もある。この選択枝の問題点は、そのコストの他に何を預けたのかわからなくなってしまう点だろう(特に小物の場合)。かといって、それらを1点ずつ写真を撮って管理するというのも手間である。また、箱単位でレンタル倉庫を利用すると、箱単位でしか出し入れできない点が欠点である。
これらの問題点を解決するサービスがあることを知った。日経の記事で紹介されている「サマリーポケット」というサービスである(服もスマホの中 モノのクラウド化で変わる暮らし)。
良い点といえば、箱に雑多に詰め込んで送っても、写真撮影無料で画像データとしてくれる点だろう。また、その画像データをもとに指定したアイテムを取り出して引き出すことができる点も便利だ。宅配で送ってくれる料金が800円なので、これが高いか安いかは?である。保管料はひと箱300円/月であるが、年間では3600円である。単純に考えると、1年以内で3600円で買い直せるものであればこのサービスの利用前によく考えたほうがよいだろう。
いちいち写真撮影するのは相当の手間だが、それでもこのビジネスモデルは儲かるのかどうかも興味のあるところだ。
これらの問題点を解決するサービスがあることを知った。日経の記事で紹介されている「サマリーポケット」というサービスである(服もスマホの中 モノのクラウド化で変わる暮らし)。
良い点といえば、箱に雑多に詰め込んで送っても、写真撮影無料で画像データとしてくれる点だろう。また、その画像データをもとに指定したアイテムを取り出して引き出すことができる点も便利だ。宅配で送ってくれる料金が800円なので、これが高いか安いかは?である。保管料はひと箱300円/月であるが、年間では3600円である。単純に考えると、1年以内で3600円で買い直せるものであればこのサービスの利用前によく考えたほうがよいだろう。
いちいち写真撮影するのは相当の手間だが、それでもこのビジネスモデルは儲かるのかどうかも興味のあるところだ。
2016年1月3日日曜日
「物欲なき世界」菅付雅信
モノを買わなくなった傾向はなせ生じたか、ではお金とは何なのかといった疑問に対して、さまざまな著作を元にその理由を考察している。また、同時にその鍵を解くための関係者に対するインタビュー(直接あるいはメールベースの)取材もされている。構成としては、一種のポータルサイト的であり、この本からさらに詳しく知りたければ元の引用の各著作にたどって行くのがよいだろう。「総説」あるいは「レビュー」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
大量生産・大量消費に支えられていた資本主義もそろそろ成熟を迎えているのではないか、という点は誰しも感じる点だろう。本書でも述べられてるように、人間の歴史からみるとここ数十年の経済的発展の傾向が「特異的」という見方は的をえている。お金とモノそして幸福とは何かを考える参考となるだろう。某クルマのCMの「モノより思い出」というコピーは、よくできていると思う。クルマはものであるが、それはあくまでも「思い出」をつくるための手段の一つだからだ。
大量生産・大量消費に支えられていた資本主義もそろそろ成熟を迎えているのではないか、という点は誰しも感じる点だろう。本書でも述べられてるように、人間の歴史からみるとここ数十年の経済的発展の傾向が「特異的」という見方は的をえている。お金とモノそして幸福とは何かを考える参考となるだろう。某クルマのCMの「モノより思い出」というコピーは、よくできていると思う。クルマはものであるが、それはあくまでも「思い出」をつくるための手段の一つだからだ。
2015年12月19日土曜日
「フルサトをつくる」 伊藤洋志×Pha
「ナリワイをつくる」を読んで、こちらを読んでみたくなった。「フルサト」の位置づけは、二拠点居住での田舎暮らしに相当する。田舎に移住しなくても、たまにそこに帰れるような場所をもつことがいいんじゃあないかという考えである。
そうはいっても、フルサトで職がないと困る。この点については、「足りないものを作っていく感覚で」仕事をつくればよいといっており、そこではあまり大きなモデルは考えないという。大きく稼ぐために、大きく投資するという考えではなく、必要な最低ラインを先に考えることや、家計モデルとして「収入を増やす」ことだけではなく同時に「支出を減らす」ことを提案している。別の本での3万円ビジネスに紹介されているモデル(一つの仕事が3万円でもそれを10個作れば30万円になる)の考えだ。
ここに書かれているように、大量生産が行われる時代の前は、一人の人間が小さいことを複数やりながら生計を立ててきた。だからそうした時代の仕組みを再び活かすということだろう。
生活をシンプルにすることはミニマリズムにも通じるが、ここでは共著者がPha氏であることからもわかるように、「ぬるく」生きること(例えばできるだけ働きたくないとか)を肯定することで成り立っているやり方だと感じられる。ただ、ぬるく生きるといってもそれなりのパワーが必要だと思われるので、「引きこもり」と「ぬるく生きること」は別物ともいえるだろう。
そうはいっても、フルサトで職がないと困る。この点については、「足りないものを作っていく感覚で」仕事をつくればよいといっており、そこではあまり大きなモデルは考えないという。大きく稼ぐために、大きく投資するという考えではなく、必要な最低ラインを先に考えることや、家計モデルとして「収入を増やす」ことだけではなく同時に「支出を減らす」ことを提案している。別の本での3万円ビジネスに紹介されているモデル(一つの仕事が3万円でもそれを10個作れば30万円になる)の考えだ。
ここに書かれているように、大量生産が行われる時代の前は、一人の人間が小さいことを複数やりながら生計を立ててきた。だからそうした時代の仕組みを再び活かすということだろう。
生活をシンプルにすることはミニマリズムにも通じるが、ここでは共著者がPha氏であることからもわかるように、「ぬるく」生きること(例えばできるだけ働きたくないとか)を肯定することで成り立っているやり方だと感じられる。ただ、ぬるく生きるといってもそれなりのパワーが必要だと思われるので、「引きこもり」と「ぬるく生きること」は別物ともいえるだろう。
2015年11月30日月曜日
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」佐々木典士
汚部屋からミニマリストへ、これが著者の実現したことであり、そこへ至る経緯と実行の方法がわかる内容となっている。
「どうしてモノが増えすぎてしまうのか」ということと「心理的な要因」の関係性は理解できるものであり、共感できる点もあるが、著者の場合には多少「病的」であるようにも感じた。一種の買い物中毒にも通じるところがあったのではないかと。
「人間の価値をその人が所有するもので判断する(判断しやすい)から、モノにこだわるのだ」という説はそのとおりだろう。「ひとは中身で勝負だから服装はどうでもいい」ということを昔は自分も信じていたものだが、凡人では通用しない理屈であると今は思っている次第だ。
捨てる方法最終リスト55!のなかで、
それと、
追加リストでは
「モノを買うために失う時間」に関して、限定SUICAで長蛇の列ができ結局買えなかった例では、モノが原因で人生の時間がもったいないといっている。時間の価値は認めるが、最終的にはそのひとがそれをどう使うかは、まあ、そのヒトの生き方によるのではないかなあと思う。行列にならんでその時間を使って買う価値があると認めれば並ぶべきだし、その価値がなければ時間の無駄だろう。あるいは、並ばなくても後でオークションなどで購入することもできる。そこでのプレミアが購入するまでに使われた時間の価値ともいえるだろう。余談だが、時給900円の人が行列に並んで待つのと、時給2万円の人が行列に並ぶ場合は単価が異なる。
その人のこだわりにはこだわるべきで、この点は一般化は難しい。「熱く語れるもの」は人それぞれであるからだ。「熱く語れないものは捨てる」は、まさに「熱く語れるのもはとっておく価値がある」ともいえる。
「どうしてモノが増えすぎてしまうのか」ということと「心理的な要因」の関係性は理解できるものであり、共感できる点もあるが、著者の場合には多少「病的」であるようにも感じた。一種の買い物中毒にも通じるところがあったのではないかと。
「人間の価値をその人が所有するもので判断する(判断しやすい)から、モノにこだわるのだ」という説はそのとおりだろう。「ひとは中身で勝負だから服装はどうでもいい」ということを昔は自分も信じていたものだが、凡人では通用しない理屈であると今は思っている次第だ。
捨てる方法最終リスト55!のなかで、
永遠に来ない「いつか」を捨てる(No.20)
熱く語れないモノは捨てる(No.33)
1つ買ったら1つ減らす(No.46)は誰しも共感できるだろう。
それと、
お店があなたの「倉庫」です(31)では、「足りなくなったものは近所のコンビニが使えるじゃないか」という発想で、田舎でなければ使える方法だろう(田舎であれば物理的な収納の制限が少ないので、この考え方はいらないだろうが)。日用品のストックはなくてもOKの考えだが、同じ発想で、冷蔵庫や冷凍庫もコンビニからの調達で不要になるという考えもある(以前のエントリーででてきた。)
追加リストでは
私服を制服化する(02)に関していうと、同じ服を着続けることの合理性は認めるが、実行するのはそれほどやさしくない。なぜなら、同じことに対して「飽きる」からである。服を着ることは単に寒いからだとか、身を守るからとかという実用性だけではない。ある意味、ミニマリストとは「飽き」との戦いかもしれない。
「モノを買うために失う時間」に関して、限定SUICAで長蛇の列ができ結局買えなかった例では、モノが原因で人生の時間がもったいないといっている。時間の価値は認めるが、最終的にはそのひとがそれをどう使うかは、まあ、そのヒトの生き方によるのではないかなあと思う。行列にならんでその時間を使って買う価値があると認めれば並ぶべきだし、その価値がなければ時間の無駄だろう。あるいは、並ばなくても後でオークションなどで購入することもできる。そこでのプレミアが購入するまでに使われた時間の価値ともいえるだろう。余談だが、時給900円の人が行列に並んで待つのと、時給2万円の人が行列に並ぶ場合は単価が異なる。
その人のこだわりにはこだわるべきで、この点は一般化は難しい。「熱く語れるもの」は人それぞれであるからだ。「熱く語れないものは捨てる」は、まさに「熱く語れるのもはとっておく価値がある」ともいえる。
2015年10月3日土曜日
「できれば服にお金と時間を使いたくないひとのための一生使える服選びの法則」大山旬
服を買う上で、大きく分けて2つの戦略があると思う。
一つは安い服を高頻度で買い換えていく方法であり、もうひとつはその逆に高くてもよいものを長く使う方法である。昨今、いくら服が安くなったとはいえ、自分の目指すところは後者である。
そうはいっても、たまに安くて結構長く使えるものもあるし、高くてもあまり長く使えないものもある。ただ、安いものは二度と同じものを入手できない場合が多く、高くて定番的な商品は同じものを買い求めることが可能であることは大きな利点である。
この本には服選びににおける実践的なアドバイスがなされており、「シンプルなデザインを選べ」とか、「サイズを合った服を選べ」とか、店を選ぶ際に店員さんの服装を確認しろ」などである。
おしゃれである以前に清潔感が重要なのは誰もが思うことだろう。そのためには、よれた服はダメで普通の服ならば3年でだいぶくたびれてくると述べている。このあたりまで読んで、この本のタイトルをようやく理解できた。すなわち、
『「一生使える服」選びの法則』ではなく、『「一生選べる服選び」の法則』であったのだ。なので、貧乏人ではなく、そこそこリッチな人が使える法則が紹介されているということだ。
それでも「サイズ感が大切」であることは、ブランドの服でなくても使える原則だと思う。ミニマリズムを目指すならば役立つ情報が含まれている。
一つは安い服を高頻度で買い換えていく方法であり、もうひとつはその逆に高くてもよいものを長く使う方法である。昨今、いくら服が安くなったとはいえ、自分の目指すところは後者である。
そうはいっても、たまに安くて結構長く使えるものもあるし、高くてもあまり長く使えないものもある。ただ、安いものは二度と同じものを入手できない場合が多く、高くて定番的な商品は同じものを買い求めることが可能であることは大きな利点である。
この本には服選びににおける実践的なアドバイスがなされており、「シンプルなデザインを選べ」とか、「サイズを合った服を選べ」とか、店を選ぶ際に店員さんの服装を確認しろ」などである。
おしゃれである以前に清潔感が重要なのは誰もが思うことだろう。そのためには、よれた服はダメで普通の服ならば3年でだいぶくたびれてくると述べている。このあたりまで読んで、この本のタイトルをようやく理解できた。すなわち、
『「一生使える服」選びの法則』ではなく、『「一生選べる服選び」の法則』であったのだ。なので、貧乏人ではなく、そこそこリッチな人が使える法則が紹介されているということだ。
それでも「サイズ感が大切」であることは、ブランドの服でなくても使える原則だと思う。ミニマリズムを目指すならば役立つ情報が含まれている。
2015年7月20日月曜日
「もたない、すてない、ためこまない。身の丈生活」アズマカナコ
分類でいえば、一種の節約本といえるだろう。ただ、節約がつらいかと聞かれたことに対して、
著者の家には冷蔵庫がなく、常温ではなく冷えたビールが欲しいときには近所からご主人は買ってくるらしい。冷たいものばかりを摂取すると体にはよくないのだという主張には共感できる。が、やはり冷蔵庫があったほうがいいんじゃないか!と思ってしまう。常温でビールを飲むところもあったかとは思うが、個人的には冷やして飲みたい。「節約」という観点だけから言うと、今の時代、近所にコンビニがあるので、冷蔵庫や冷凍庫あるいは食品の在庫をコンビニにアウトソーシングするのも悪くないと思う。
トイレの工夫に関して、著者の山登りの体験から水洗は便利だけど、山小屋のトイレが合理的だと述べている。排泄物は土に埋めて還元し、土に還りにくい使った紙は分別して燃やす方式とのこと。著者の住居は水洗なので、できることとして上水を使わないように溜め水をつかうとか、化学系の消臭剤や芳香剤を使わないらしい。「環境に対するインパクト」を低減するのが目的であれば、トイレの紙を使うのをやめてウォッシュレットにする選択枝もあるだろう。ただし、これで「紙の消費量が減ったから環境にやさしくなった」と判断できるかは難しい。なぜならそこには電気消費やあるいはその装置をつくったことによるインパクトもあるからで、LCA(ライフサイクルアセスメント)の評価が必要となる。
トイレでの紙使用については、別に紙を使っていないところもあるし(例えばタイの田舎)、トイレの紙は基本的には流さない(=詰まるから)国だってある。著者が自分の住まいの条件を自分で決められるとすれば、汲み取り式にして畑に還元するのかどうはかは興味があるところだ。汲み取りであれば衛生上の課題もあるだろうし。
収納に関しては、正に身の丈生活に根ざしたことをいっている。すなわち、
収納量を決めるということは、その上限に迫っているのなら、何かを買うときには、今持っている何かを手放さなければならないことを意味する。モノに対しては通常使わないかもしれないが、"One in, one out policy"ということだろう。私の場合は、このことを心がけるようになってからむやみに安い服を購入することをやめるようになった。
すてないようにするとか、身の丈を考えて生活することに対しては賛成だが、便利さなどとのバランスが重要で、月並みながらやり過ぎない「中庸」が一番なのではないか?
私が節約をするのは、お金をためることが一番の目的ではなくて、自分が価値のあると思うことにお金を使いたいから。だからつらいとか苦しいという感覚はありません(p132)。といっているが、やはりお金をためることは2番目以降の目的なのかなあとも想像してしまう。しかし、節約も度をすぎると、経済的な合理性の上に成立するものというよりは、一種の思想や宗教、あるいは生き方といったほうがよいだろう。例えば、割り箸ではなくマイ箸を運動を思い出す…
著者の家には冷蔵庫がなく、常温ではなく冷えたビールが欲しいときには近所からご主人は買ってくるらしい。冷たいものばかりを摂取すると体にはよくないのだという主張には共感できる。が、やはり冷蔵庫があったほうがいいんじゃないか!と思ってしまう。常温でビールを飲むところもあったかとは思うが、個人的には冷やして飲みたい。「節約」という観点だけから言うと、今の時代、近所にコンビニがあるので、冷蔵庫や冷凍庫あるいは食品の在庫をコンビニにアウトソーシングするのも悪くないと思う。
トイレの工夫に関して、著者の山登りの体験から水洗は便利だけど、山小屋のトイレが合理的だと述べている。排泄物は土に埋めて還元し、土に還りにくい使った紙は分別して燃やす方式とのこと。著者の住居は水洗なので、できることとして上水を使わないように溜め水をつかうとか、化学系の消臭剤や芳香剤を使わないらしい。「環境に対するインパクト」を低減するのが目的であれば、トイレの紙を使うのをやめてウォッシュレットにする選択枝もあるだろう。ただし、これで「紙の消費量が減ったから環境にやさしくなった」と判断できるかは難しい。なぜならそこには電気消費やあるいはその装置をつくったことによるインパクトもあるからで、LCA(ライフサイクルアセスメント)の評価が必要となる。
トイレでの紙使用については、別に紙を使っていないところもあるし(例えばタイの田舎)、トイレの紙は基本的には流さない(=詰まるから)国だってある。著者が自分の住まいの条件を自分で決められるとすれば、汲み取り式にして畑に還元するのかどうはかは興味があるところだ。汲み取りであれば衛生上の課題もあるだろうし。
収納に関しては、正に身の丈生活に根ざしたことをいっている。すなわち、
あらかじめ収納する量を決めて、そこに入る量だけしか持たない(p122)ということだ。過去の思い出の品だけではなく、持っている服や趣味の品なども、このルールを守っていさえすれば、モノが増える→収納を増やす→さらにモノが増えるという循環を断ち切れるだろう。また、これは住まいにも当てはまることであり、それほど広い家でなければ、無尽蔵にモノを買い、溜め込むことは難しいのだ。
収納量を決めるということは、その上限に迫っているのなら、何かを買うときには、今持っている何かを手放さなければならないことを意味する。モノに対しては通常使わないかもしれないが、"One in, one out policy"ということだろう。私の場合は、このことを心がけるようになってからむやみに安い服を購入することをやめるようになった。
すてないようにするとか、身の丈を考えて生活することに対しては賛成だが、便利さなどとのバランスが重要で、月並みながらやり過ぎない「中庸」が一番なのではないか?
2014年8月18日月曜日
ミニマリズム考
断捨離ブームが続いているかどうかはわからないが、できるだけ持ち物を少なくする生活スタイルを指向することには興味がある。そう考え始めてから、本に関しては「蔵書のミニマリズム作戦」として、かなり溜まってしまった本に関しては買取業者に中古で売っ払ったり、電子化サービスの業者に依頼して電子ファイル化ををすすめてきた。
本を買い続けると、その収納場所が必然的に必要なわけで、それを阻止するには、
(1)本を買うのをやめる
(2)買った分だけの本を同時に処分して所有数を増やさない
しかない。
財力にものを言わせて、物理的な制約を取り払えるならば、
(3)買った本だけ、本の収納場所を増やす
ことも可能であるが、自分も含めた一般人には無理であるし、ミニマリズムではないだろう(でも、(3)ができる状況のヒトはうらうらやましい。)
持ち物を減らすといっても、どこまでがシンプルであるかは人それぞれの考えによるだろう。あまりにも究極の姿を求めると、お坊さんレベルにまでいく可能性もある。それでもまだ、日本の坊さんであれば、結婚したり、カラオケにいったり、酒飲んだりも可能だが、上座部仏教の坊さんの場合にはまさに究極のシンプルライフといえるだろう。
ものをどんどん減らすといっても、それでは、ペットはどうなのだろうか?ネコであっても、モノではなくもはや「家族」同然であれば、減らす対象とはならないのかなあ。我が家の飼い猫が逝って3週間余り、ネコとヒトの距離感に関していろいろなことを考えてしまうのであった。
本を買い続けると、その収納場所が必然的に必要なわけで、それを阻止するには、
(1)本を買うのをやめる
(2)買った分だけの本を同時に処分して所有数を増やさない
しかない。
財力にものを言わせて、物理的な制約を取り払えるならば、
(3)買った本だけ、本の収納場所を増やす
ことも可能であるが、自分も含めた一般人には無理であるし、ミニマリズムではないだろう(でも、(3)ができる状況のヒトはうらうらやましい。)
持ち物を減らすといっても、どこまでがシンプルであるかは人それぞれの考えによるだろう。あまりにも究極の姿を求めると、お坊さんレベルにまでいく可能性もある。それでもまだ、日本の坊さんであれば、結婚したり、カラオケにいったり、酒飲んだりも可能だが、上座部仏教の坊さんの場合にはまさに究極のシンプルライフといえるだろう。
タイの田舎の寺院にて撮影.
僧侶レベルであれば、ほぼ何も持たないミニマリズムの究極形でしょうか.
猫や犬はよく寺院で見ますが、野良が保護されたものらしいです.
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2013年11月10日日曜日
「プア充」 島田裕巳
本書のタイトル(プア充)は、「リア充」をもじったものでしょう。「プアでも充実」、高収入ではなくても、充実した生き方ができるためのhow toが述べられています。東洋思想の「少欲知足」(欲を持ちすぎず、現在の状態に満足する)を勧めています。本書の構成は、30歳の主人公がお金だけじゃなくても生きられることに気づく物語となっており、各章にはまとめがつけられています。物語に著者の言いたいことをのせた構成なので、堅苦しくもなく、読みやすかったです。
「人間関係やヒトとのつながりを大切に」といった、月並みなこと(=この手の本ではよく見られること)が挙げられている一方で、「競争とは無縁の安定しているダサい会社を探して就職」し「年収300万円しか稼がないがストレスとは無縁」ほうが幸せではないかと述べています。「プア充」の考え方では、仕事はお金を稼ぐための手段にしかすぎず、「仕事にやりがいを見出すことができなければ人生はつまらないというのは思い込みだ」と言い切っています。「思い込み」かもしれませんが、やはり仕事が楽しければそれは理想だと私は考えます。問題は、生きてくために働いているのに、逆に無理をしすぎて健康を害するとか、あるいは、過度のストレスで早死にするケースがあることだと思います。何事もやりすぎはよくないのではないかと…。
日本国民すべてが「プア充」的に生き、その結果、国の経済力や企業の競争力が低下したらどうしよう、と心配になります。しかし、ヒトがあって国や企業が成り立つので、この心配こそが本末転倒といえるかもしれません。
過去に見られたように、日本経済が劇的に発展する状況は今後期待できません。身の丈にあった生き方を選択するのも悪くはないでしょう。また、日本を飛び出して生活する可能性もアリかと思います。
「人間関係やヒトとのつながりを大切に」といった、月並みなこと(=この手の本ではよく見られること)が挙げられている一方で、「競争とは無縁の安定しているダサい会社を探して就職」し「年収300万円しか稼がないがストレスとは無縁」ほうが幸せではないかと述べています。「プア充」の考え方では、仕事はお金を稼ぐための手段にしかすぎず、「仕事にやりがいを見出すことができなければ人生はつまらないというのは思い込みだ」と言い切っています。「思い込み」かもしれませんが、やはり仕事が楽しければそれは理想だと私は考えます。問題は、生きてくために働いているのに、逆に無理をしすぎて健康を害するとか、あるいは、過度のストレスで早死にするケースがあることだと思います。何事もやりすぎはよくないのではないかと…。
日本国民すべてが「プア充」的に生き、その結果、国の経済力や企業の競争力が低下したらどうしよう、と心配になります。しかし、ヒトがあって国や企業が成り立つので、この心配こそが本末転倒といえるかもしれません。
過去に見られたように、日本経済が劇的に発展する状況は今後期待できません。身の丈にあった生き方を選択するのも悪くはないでしょう。また、日本を飛び出して生活する可能性もアリかと思います。
2013年5月25日土曜日
蔵書のミニマリズム作戦(その2)
以前のエントリーで、蔵書ミニマリズム作戦について述べました。
今回はその経過です。
本を減らす方法として、以下の2つで進めました。
1.中古として処分する(=「BOOK-OFF」へ依頼)
もはや読むこともないだろうという本、そしてたぶんゴミにしかならない本が該当
2.電子化して元の本を処分する(=「BOOKSCAN」へ依頼)
見返す頻度の低い本や、かさばる本が該当
1のブックオフオンラインでは、買取235冊、査定ゼロ円での引き取り66冊となりました。



以前も書いたとおり、送料無料で引き取り依頼ができる点がよいです。しかも、大きな声では言えませんが、たぶん「ゴミ」だろうという本も一応引き取ってくれるもよいです。こちらを利用したおかげで、「資源ごみ回収日」に、収集場所にまで持っていく手間を省けて助かりました(特に引越してからは、資源ごみ回収場所まで100m以上も離れており、かなり不便)。
買取価格が気に入らなければ、そのまま返却してもらうこともできます(だたし送り返してもらう送料負担要)。できるだけ高く売りたいならば実店舗のブックオフに持ち込んだり、他の中古買取業者と比べるのがよいでしょう。
2のブックスキャンで374冊を電子化しました。
プレミアム会員で、9800円で月50冊(ただし350ページ以上は2冊としてカウント)が電子化可。50冊を超えると割安料金が使えないので毎月50冊程度のペースで進みました。
キャンペーンで2回分くらいは送料無料でしたが、通常は送料負担です。ざっと送料を1200円として、一冊220円(=[9800+1200]/50)の費用がかかりました。したがって、電子書籍版が200-300円程度で入手できるなら、ブックスキャンのサービスに頼らなくてもよいでしょう。
ブックスキャンのサービスではPDF化したファイルをさらに各端末で読みやすいようにフォーマットできます。しかし、所詮はPDFなので、特に(画面の小さい携帯田端末で)拡大して読むと読みやすいとはいえません。個人的には、電子書籍ならば端末で、PDFファイルはPCの大画面で見たほうが読みやすいと思います。
蔵書の「物理的な」減量を進めることができたので、あとは、物理的に増やさないことを心がけたいものです。
今回はその経過です。
本を減らす方法として、以下の2つで進めました。
1.中古として処分する(=「BOOK-OFF」へ依頼)
もはや読むこともないだろうという本、そしてたぶんゴミにしかならない本が該当
2.電子化して元の本を処分する(=「BOOKSCAN」へ依頼)
見返す頻度の低い本や、かさばる本が該当
1のブックオフオンラインでは、買取235冊、査定ゼロ円での引き取り66冊となりました。
以前も書いたとおり、送料無料で引き取り依頼ができる点がよいです。しかも、大きな声では言えませんが、たぶん「ゴミ」だろうという本も一応引き取ってくれるもよいです。こちらを利用したおかげで、「資源ごみ回収日」に、収集場所にまで持っていく手間を省けて助かりました(特に引越してからは、資源ごみ回収場所まで100m以上も離れており、かなり不便)。
買取価格が気に入らなければ、そのまま返却してもらうこともできます(だたし送り返してもらう送料負担要)。できるだけ高く売りたいならば実店舗のブックオフに持ち込んだり、他の中古買取業者と比べるのがよいでしょう。
2のブックスキャンで374冊を電子化しました。
プレミアム会員で、9800円で月50冊(ただし350ページ以上は2冊としてカウント)が電子化可。50冊を超えると割安料金が使えないので毎月50冊程度のペースで進みました。
キャンペーンで2回分くらいは送料無料でしたが、通常は送料負担です。ざっと送料を1200円として、一冊220円(=[9800+1200]/50)の費用がかかりました。したがって、電子書籍版が200-300円程度で入手できるなら、ブックスキャンのサービスに頼らなくてもよいでしょう。
ブックスキャンのサービスではPDF化したファイルをさらに各端末で読みやすいようにフォーマットできます。しかし、所詮はPDFなので、特に(画面の小さい携帯田端末で)拡大して読むと読みやすいとはいえません。個人的には、電子書籍ならば端末で、PDFファイルはPCの大画面で見たほうが読みやすいと思います。
蔵書の「物理的な」減量を進めることができたので、あとは、物理的に増やさないことを心がけたいものです。
2013年1月6日日曜日
「新版 福翁自伝」 福沢諭吉
以前のエントリーで紹介したように、福沢諭吉の生き方に興味をもち、この本を読んだ。
いまや一万円札にも載っている諭吉さんだが、彼のお金に対する考えかたは興味深い。
「私の流儀にすれば金が無ければ使わない、あっても無駄に使わない、多く使うも、少なく使う も、いっさい世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、・・・」[p314]。
100年以上も前の話であるにもかかわらず、この考え方は現代においても通用するのではないか。事業をはじめるために借金する場合なら分かるが、個人の生活レベルであれば自分の賄える範囲で消費をする姿勢に賛成である。
彼の生きた時代は江戸末期から明治の日本が西洋の文化を受け入れた時代であった。そして、当初は知識を入れるためにオランダ語が必要な外国語であったが、その後に英語が必要とされて導入に苦労した経緯も記述されている。ネット時代の現代に彼が生きていたならば、一体何倍の仕事をこなすことが可能であったであろうか。
諭吉の考え方を知ることができるとともに、彼の歴史を知る自伝としてもよくできた小説のごとく面白い内容である(「自伝」なので、すべてが客観的に語られているかは疑問ですが)。ただし、解説でも述べられているように、この自伝の構成のもと本であると思われるのが、ベンジャミンフランクリンの自伝である。読んでみると時代がさらに遡りますが、確かに全体のtasteはフランクリン自伝を模倣している感がある。版が重なっているため、読みにくさは否めませんが、フランクリン自伝も読み物として面白いです。
「福翁自伝」には、何種類か出版されているが、この新版が読みやすく、おすすめ。
2012年12月30日日曜日
蔵書のミニマリズム作戦
これまで、本を読むことはよいことだと固く信じてきた。知らないことを経験できたり、知識を広げたりすることに読書が役立ってきたのは間違いないだろう。しかし、インターネットの普及によりその状況は一変した。一番感じている違いは辞書や辞典によって何かを調べることが圧倒的に少なくなったという事実である。わからないことがあれば、すぐに検索エンジンで調べられるし、また、その範囲には国境がない。さらに、掲示板やお助けサイトの世話になれば、知らないひとから親切に教えてもらうことさえも可能である。
辞書、辞典類が紙である必要が全くなくなり、やたらと分厚く重たいという物理的なデメリットからこれらの辞書類は開放された。
では、一般の書籍はどうか? やはり本も電子化への流れはとまらないであろう。その理由として、日本でみるとKindleの発売が大きいと思う。なぜならば、「書籍」を販売してきたアマゾンが、印刷物ではない本を発売し始めたからである。
個人的には「紙」の本への愛着はあるものの、ついに紙ベースの本を極力やめるようにすることにした。理由は以下のとおりである。
1.物理的なスペースが確保しがたい.
単に住まいが狭いという理由による
2.長期保存による劣化の可能性がある.
再生紙を利用している本が黄ばんできている
3.検索のしやすさ
電子ファイルであれば、さまざまな検索条件で必要な本を探せる
本を持っていることと、本の内容や知識を吸収して生かしているかとは必ずしも一致しない。また、本の装丁やデザインという点を除くと、本を読む理由はその中身にある。だから、中身さえあればよく、また、別に本をずらりと並べて飾ることは必要ないのではないかと思えてきた。
この点に関してはranさんのブログで三国志の一場面が引用されており、興味深い。
http://english-q.com/article/tadokist/4374/
そこでは「図書室」なのに本がなく、本の中身はすでに読んだので、別に本が存在している必要がないという場面が紹介されている。
そう言われると、自分の場合でも本を買った時点で満足し、その中身を吸収できたかわからない場合もあった気がする。(ただし、専門書など、ときどき必要なことを見たい本では、買って持っておくことにも意味がある。)
そこで、所蔵本を、電子化するか、そのままとっておくか、廃棄するかの3つにわけることにした。電子化はいわゆる自炊による自分でやることも選べたが、手間や初期投資、そして、自炊のための道具をそろえると結局部屋の収納スペースが必要であると思われたので、自炊代行の「ブックスキャン」にお願いした。
ブックスキャンでは、大量にスキャン(月に50冊)を依頼するのであれば、価格と納期の点からプレミアム会員がお勧めである。私の場合には200~300冊を見込んでいるので、プレミアム会員で毎月50冊ずつを電子化している。
また、廃棄(不要)本は、リサイクルショップに運ぶのも大変なので、「ブックオフオンライン」に依頼した。

ブックオフオンラインでは、集荷を依頼すれば着払いでの発送が可能なので、特に引き取り価格にこだわらないのであれば便利である。なお、査定額が気に入らない場合には、売らずに手元に戻すことも可能である。
しかし、やはり長年の習慣なのか、ブラリと本屋によっていろんな本を手に取り、たまには買いたくなる。まあ、買った分だけを手放すようにするしかないか。
辞書、辞典類が紙である必要が全くなくなり、やたらと分厚く重たいという物理的なデメリットからこれらの辞書類は開放された。
では、一般の書籍はどうか? やはり本も電子化への流れはとまらないであろう。その理由として、日本でみるとKindleの発売が大きいと思う。なぜならば、「書籍」を販売してきたアマゾンが、印刷物ではない本を発売し始めたからである。
個人的には「紙」の本への愛着はあるものの、ついに紙ベースの本を極力やめるようにすることにした。理由は以下のとおりである。
1.物理的なスペースが確保しがたい.
単に住まいが狭いという理由による
2.長期保存による劣化の可能性がある.
再生紙を利用している本が黄ばんできている
3.検索のしやすさ
電子ファイルであれば、さまざまな検索条件で必要な本を探せる
本を持っていることと、本の内容や知識を吸収して生かしているかとは必ずしも一致しない。また、本の装丁やデザインという点を除くと、本を読む理由はその中身にある。だから、中身さえあればよく、また、別に本をずらりと並べて飾ることは必要ないのではないかと思えてきた。
この点に関してはranさんのブログで三国志の一場面が引用されており、興味深い。
http://english-q.com/article/tadokist/4374/
そこでは「図書室」なのに本がなく、本の中身はすでに読んだので、別に本が存在している必要がないという場面が紹介されている。
そう言われると、自分の場合でも本を買った時点で満足し、その中身を吸収できたかわからない場合もあった気がする。(ただし、専門書など、ときどき必要なことを見たい本では、買って持っておくことにも意味がある。)
そこで、所蔵本を、電子化するか、そのままとっておくか、廃棄するかの3つにわけることにした。電子化はいわゆる自炊による自分でやることも選べたが、手間や初期投資、そして、自炊のための道具をそろえると結局部屋の収納スペースが必要であると思われたので、自炊代行の「ブックスキャン」にお願いした。
ブックスキャンでは、大量にスキャン(月に50冊)を依頼するのであれば、価格と納期の点からプレミアム会員がお勧めである。私の場合には200~300冊を見込んでいるので、プレミアム会員で毎月50冊ずつを電子化している。
また、廃棄(不要)本は、リサイクルショップに運ぶのも大変なので、「ブックオフオンライン」に依頼した。

ブックオフオンラインでは、集荷を依頼すれば着払いでの発送が可能なので、特に引き取り価格にこだわらないのであれば便利である。なお、査定額が気に入らない場合には、売らずに手元に戻すことも可能である。
しかし、やはり長年の習慣なのか、ブラリと本屋によっていろんな本を手に取り、たまには買いたくなる。まあ、買った分だけを手放すようにするしかないか。
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