2015年7月20日月曜日

「もたない、すてない、ためこまない。身の丈生活」アズマカナコ

分類でいえば、一種の節約本といえるだろう。ただ、節約がつらいかと聞かれたことに対して、
私が節約をするのは、お金をためることが一番の目的ではなくて、自分が価値のあると思うことにお金を使いたいから。だからつらいとか苦しいという感覚はありません(p132)。
といっているが、やはりお金をためることは2番目以降の目的なのかなあとも想像してしまう。しかし、節約も度をすぎると、経済的な合理性の上に成立するものというよりは、一種の思想や宗教、あるいは生き方といったほうがよいだろう。例えば、割り箸ではなくマイ箸を運動を思い出す…

 著者の家には冷蔵庫がなく、常温ではなく冷えたビールが欲しいときには近所からご主人は買ってくるらしい。冷たいものばかりを摂取すると体にはよくないのだという主張には共感できる。が、やはり冷蔵庫があったほうがいいんじゃないか!と思ってしまう。常温でビールを飲むところもあったかとは思うが、個人的には冷やして飲みたい。「節約」という観点だけから言うと、今の時代、近所にコンビニがあるので、冷蔵庫や冷凍庫あるいは食品の在庫をコンビニにアウトソーシングするのも悪くないと思う。


 トイレの工夫に関して、著者の山登りの体験から水洗は便利だけど、山小屋のトイレが合理的だと述べている。排泄物は土に埋めて還元し、土に還りにくい使った紙は分別して燃やす方式とのこと。著者の住居は水洗なので、できることとして上水を使わないように溜め水をつかうとか、化学系の消臭剤や芳香剤を使わないらしい。「環境に対するインパクト」を低減するのが目的であれば、トイレの紙を使うのをやめてウォッシュレットにする選択枝もあるだろう。ただし、これで「紙の消費量が減ったから環境にやさしくなった」と判断できるかは難しい。なぜならそこには電気消費やあるいはその装置をつくったことによるインパクトもあるからで、LCA(ライフサイクルアセスメント)の評価が必要となる。
トイレでの紙使用については、別に紙を使っていないところもあるし(例えばタイの田舎)、トイレの紙は基本的には流さない(=詰まるから)国だってある。著者が自分の住まいの条件を自分で決められるとすれば、汲み取り式にして畑に還元するのかどうはかは興味があるところだ。汲み取りであれば衛生上の課題もあるだろうし。


収納に関しては、正に身の丈生活に根ざしたことをいっている。すなわち、
あらかじめ収納する量を決めて、そこに入る量だけしか持たない(p122)
ということだ。過去の思い出の品だけではなく、持っている服や趣味の品なども、このルールを守っていさえすれば、モノが増える→収納を増やす→さらにモノが増えるという循環を断ち切れるだろう。また、これは住まいにも当てはまることであり、それほど広い家でなければ、無尽蔵にモノを買い、溜め込むことは難しいのだ。
収納量を決めるということは、その上限に迫っているのなら、何かを買うときには、今持っている何かを手放さなければならないことを意味する。モノに対しては通常使わないかもしれないが、"One in, one out policy"ということだろう。私の場合は、このことを心がけるようになってからむやみに安い服を購入することをやめるようになった。

すてないようにするとか、身の丈を考えて生活することに対しては賛成だが、便利さなどとのバランスが重要で、月並みながらやり過ぎない「中庸」が一番なのではないか?


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