2013年4月29日月曜日

「お金じゃ買えない」 藤原 和博

著者はバブル期をリクルート社で迎え、メニエル病となってから会社(仕事)と私生活の関係を見直した経験から、今で言うところの「ワークライフバランス」の考え方を述べています。その後、東京都で義務教育初の民間人校長として杉並区立中学校の校長に就任し、また、テレビで見かける機会も多いです。

著者がバブル期に美術品蒐集にお金をつぎ込み、また、仕事に没頭して時間を奪われていたそれの反動から、お金で買えない「見えない資産」の重要性を説いています。バブル期を知っている人には懐かしく、知らない人には新鮮かもしれません。著者の半生を知ることができます。


フランスに住んでいた経験から、フランス人の生活信条"Art de vivre" (アール・ド・ヴィーヴル)、すなわち、
国よりも、産業社会よりも、自分自身の人生と人々との関わりを大事にする生き方
を勧めています。しかし、そんな生き方が日本に馴染むのは難しそうにみえます。なぜなら、日本とは文化的歴史的背景が異なるからです。日本のかつての近所との関わりの強かった時代の生き方と、アール・ド・ヴィーヴルとはまた違うんだろうなあと想像します。生き方を考える上では、日本とは違った見方を知ることはとても役立つと思います。


「時間感覚」についての部分で、
「10年先の夢を実現するために、その夢を、今に、1割だけ紛れ込ませる」
と具体的に述べています。
この考えがすばらしいのは、以下の2点です。
 (1)今やっていることを直ちにやめるわけではない.
例えば「明日から作家を目指すので、会社辞めます」といっても、リスクが大きいです。(経済的な拠り所があれば別ですが。)
 (2)今と10年先を結びつけて夢に向かっていくことができる.
将来を夢見ても、そこに具体的につながることが「今」なければ、その夢は、来年も再来年も、永遠に手の届かない「10年先」の夢だからです。


あれもこれも買ったりやったりするmoreをやめて、自分の持ち味を生かすためのcoreを見つけるor作り出そうと述べています。moreをやめるのは「ミニマリズム」に通じるものがあります。
精神的な豊かさと物質的な豊かさについては、最終的には個人の価値観によるでしょう。(私は身軽さを求めたいので、物質的な豊かさにはこだわりたくないです。)

「ワークライフバランス」を考える参考になる本です。

2013年4月28日日曜日

「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」  平田 オリザ

ひきこもりに代表される、コミュニケーションに問題のある若者が増えた背景について教育者の立場から考察しています。著者は劇作家・演出家を出発点として、教育へと携わってきた点がユニークです。

今の就職活動をしている若者は、自立して考え自分の意見を述べる能力を要求されている一方で、「同調圧力」による従来型のコミュニケーション能力、例えば「会議で空気を読んで反対意見は言わない」といった能力を求められており、この「ダブルバインド」が引きこもりやニートの問題の原因のひとつだと述べています。また、コミュニケーション能力が低下したのではなく、全体のコミュニケーション能力が上がってきたからこそ、コミュニケーション能力の低い人が「顕在化」してきているとも見ています。

演劇の観点のみならず、英語や韓国語との比較からも、日本(語)でのコミュニケーションの特徴について考察を加えています。


子供には「対話の基礎体力」が必要だと述べており、それは、
日本では(あるいは相手が日本文化のバックグラウンドをもっていれば)説明しなくてもわかる事柄を、その虚しさに耐えて説明する能力。
異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。
と規定しています。
ここでの「対話」とは、「2つの論理が摺りあわさり、そこから新しい概念を生み出す」もので、どちらの意見が正しいかを導き出すものではないとしています。対話と会話は異なるものです。対話の重要性については以前にこちらの本で紹介しました。

最近の状況は変わってきたかもしれませんが、基本的に小学校では、伝える相手は日本人を想定しており「話さなくてもわかる」前提で教科が組み立てられているのでしょう。学校教育のなかで「対話」についてきちんと取り上げられていたなら、私の人生ももう少しマシなものに変っていたかもしれません(笑)。



「冗長率」についての考察は興味深いです。
冗長率とは、
一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係のない無駄な言葉が含まれているかを数値であらわしたもの。
であり、コミュニケーションとの関連性については、
冗長率を時と場合によって操作している人こそが、コミュニケーション能力が高いとされるのだ。
と言っています。単に冗長率を低くすればよいのではないと言っている点がポイントで、相手の要求によって、ときには冗長率を高くすることが必要である指摘は新鮮です。なぜなら、大抵の場合、「余計なこと」は言わないほうがよいとされるからです。
冗長率の低い高いについては、NHKの夜7時のニュースと夜9時のニュースの例(前者が低く、後者が高い)が挙げられています。


社会的弱者のコンテクストを理解する能力が、これからのリーダーシップに必要であると述べており、さらに、著者は学生に対して、以下のように言っています。
論理的に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人々の気持ちをくみ取れる人間になってもらいたいと願っている。
ここでは、コンテクストの意味として、「その人がどんなつもりでその言葉を使っているかの全体像」と広く定義しています。
コミュニケーションの手段として「言葉」は重要ですが、それはあくまで伝える手段の一つに過ぎません。「相手の気持ちを察し、気を利かせることの重要性」は、この手の本では共通して述べられていますね。


2013年4月27日土曜日

「人は上司になるとバカになる」菊原 智明


この本では「困った上司」に対して、具体的にどう対処したらよいのかを紹介しています。優れている点は、極めて具体的な例に対して、具体的かつ実際的な対処を、項目立てしているところです。

例として、
自分のミスは部下のせい、部下の手柄は自分のものにする上司

の項目では、
具体的な事例のを示した後で、【こんな上司についたなら……】として、
「目の前に、まさに失敗の事例があるんだ。勉強になるなあ」と考える
という対策が示されています。 自分が将来そうならないように、いわゆる「反面教師」として役立てるということです。根本的な解決ではないですが、この考え方は応用のきく手だと思います。

また、「俺の手柄だと吹聴してまわる上司」への対策としては、
上司のさらに上役に「今回は上司に手伝っていただいたことで、大変うまくいきました」、と先回りして報告しておく
といった「作戦」が紹介されています。
このように自分の成果をきちんとアピールするのは大切ですが、ただ、こういう「手柄横取り」の場合には、案外周りは本当は誰の手柄かがわかっている場合が多いのではないでしょうか。「最後に正義が勝つ」とも言われていますし。

他にも困った例が紹介されていますが、会社生活が長ければ対策がわかってくる事例もあります。(例えば「細かすぎる上司」の例など)。
そういう意味では、特に会社生活の短い方々には、実用的で具体的な「困った上司」対応マニュアルではないかと思います。


長年の経験から得られることを、読書が提供してくれるということです。従来であれば、メンターとなる人が職場にいたのでしょうが、世知辛い世の中となった今では本に頼るしかないのでしょうか。

2013年4月21日日曜日

「電通「鬼十則」」 植田 正也


電通の当時(昭和26年)社長であった吉田秀雄が、社員のために書いた10カ条が「鬼十則」です。そして、他のビジネス書や歴史書で言われていることを引用しながら著者の解釈を加えているのが本書です。

その鬼十則とは、

1.仕事は自ら「創る」可き(べき)で、与えられる可きでない。
2.仕事とは、先手先手と「働き掛け」ていくことで、受け身でやるものではない。
3.大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4.「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5.取り組んだら「放すな」殺されても放すな、目的完遂までは。
6.周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは永い間に天地のひらきが出来る。
7.「計画」を持て、長期の計画を持っていれば忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる。
8.「自信」を持て、自信がないから君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらがない。
9.頭は常に「全廻転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10.「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
となっています。


■「3.大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」に関しては、大きな仕事に取り組むことこそが人間的に大きくなれるとしており、さらには、人間として大きくなるために、本を読むこと、人に会うこと、旅に出ることの3つを著者は勧めています。
本を読むことについて、
本を読むことは、人間の脳のビタミン剤である。
そして、
本は知識と情報の宝庫である。読む本の量とスケールで、その人の器が決まってくる。
さらには、
時空を超えて著者に会える。何のアポも了解もなく、勝手に著者に会えるのだ。こんな贅沢は他に類がない。
と述べています。本を読むことでその著者に会えるとすると、読書は人(その本の著者)に会うことと解釈できるでしょう。さらに、読書で経験を広げられるとすると、旅にでることの代わりを読書で部分的には実現できると言えます。(実際の旅の体験には及びはしませんが。)


■「5.取り組んだら「放すな」殺されても放すな、目的完遂までは」については、やるかやらないか、やると決めたら最後までやり遂げろという意味です。途中でやめてしまうとスタートラインに戻ってゼロからやり直すことになるから、強い意志をもって、「殺されても放すな」となっているのでしょう。
見方は変わりますが、「途中までやったことが無駄になるから」やめない(やめられない)状況では少し違います。例えば、「投資とリターン」の場合では、これまでの投資が無駄になるから続けて損失を拡大させるよりも、将来にわたって損失が拡大を避けるために、それまでの投資分をあきらめる考えもあるからです。
目的完遂も重要ですが、状況により目的を「修正」する柔軟性も必要に違いありません。


■「9.頭は常に「全廻転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ」は、「気遣いの重要性」についてです。気遣いについて著者は、
ビジネスマンの一流、二流、三流の差は、気の配り方次第で決まる。三流は一方だけ、二流は四方、一流は八方に気が廻るのだ。
と述べており、この八方が「頭は常に全廻転」のことだと言っています。

気配りとゴマスリの違いについては、以下のように述べています。
気配りには、尊敬の気持ちがある。
ゴマスリには、卑しさの気持ちが出る。
この二つは、似て非なるものだ。
確かに、「ゴマスリ」は打算的なにおいがします。
「サービス」に関係した、外向きの気遣いはもちろんですが、社内においても、部下や上司や同僚に対しても気遣いは必要なのだろうと思います。


■「10.「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる」では、従来の日本的な「和をもって貴しとなす」、のスタイルではダメで、出る杭になる必要があることを述べています。また、そのときには、単に摩擦ではなく「プラスの」摩擦だとしており、それぞれを以下のように説明しています。

プラスの摩擦
・摩擦が、世のため人のためになる
・信念に基づく

マイナスの摩擦
・猪突猛進
・トラブルメーカーが引き起こす
・信念がない

表現は違いますが、「2」と「6」も、この「10」と同じようなことを言っているように感じます。


個人的には、3、6、10が気に入っています。この鬼十則の英訳もあるようですが、日本語のニュアンスがかなりそぎ落とされた感じになっています。


60年以上前に作られた10カ条ですが、現在でも通用するのは驚きです。
しかし、減点主義という日本社会の枠組みのなかで実現するのは簡単なことではないでしょうね。


2013年4月20日土曜日

「野良犬の成功法則」 堀之内 九一郎

もう放送は終了しましたが、以前、「マネーの虎」というリアリティ番組のレギュラーだったリサイクル会社社長の著作です。その番組は、一般人である起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員らが出資の可否を決定するという内容でした。

著者は、事業家の家に生まれるも、それをうまく継承できず、借金をしてさまざまな事業に手を出しますがついにはホームレスにまでなりました。で、そこから総合リサイクルショップを立ち上げた経歴を持ちます。

■商売人というだけあって、お金に関係したことが多く語られています。「お金を借りる必要もないのにあえて借金してつながりを作っておく」、「お金は使って初めて意味をなすものだ」などです。
また、お金を使う時に、「それが投資なのか浪費なのかをちゃんとわかっていることが必要」と押さえている点はさすがだと感じました。浪費だけでは事業の発展性はないからです。


■「欲望」については肯定的な見方をしています。
未来には大きな可能性があるのではなく、欲望や願望があるだけだ
「際限のない欲望」を持つからこそ、人は人生に挑戦できるのだ 
欲望がなくなったときは、人生が終わるとき
だから、もし事業を起こすとしても最初の段階では、目標を社会への貢献とかいった、他から押し付けられたような動機ではなく、自分の望み(欲望)を実現させるためにがんばるのがよい(例えば、車や家を持つ)といっています。

一口に欲望といっても物質的なものだけではなく、精神的な欲望も含まれるでしょう。


■偶然にも、この前のエントリー(「優しくされる技術」)でも「他人からうまい具合に助けられる必要性」がでていましたが、ここでも似たことが述べられています。
人生で成功する人は、「能力のある人」ではなくて、人に「こいつ、助けてやりたいな」と思わせる人
であり、そして、援護者が現れるためには、限界まで力を出し切る、使い切ることが必要だといってます。がむしゃらにがんばれば、手助けする人間が現れるということでしょうね。


■成功の程度の評価については、
成功とは、自分のやったことが、どれくらい人に影響を与えているかで測るもの
と定義しています。この定義では、単なる物質的なことだけが成功ではないと言えるでしょう。最終的には、人それぞれで「成功」の定義は違ってきて当然だと思います。

また、成功の方程式については、
「(知識+技術)×意欲=実績」
だから、意欲が十分であれば実績を大きくできるといっています。ただ、「意欲」の重要性は理解できますが、それは成功に至るための「最低限の要素」なのではないかと私は思います。「意欲」というか、目的に向かうための強固な「意志」といったほうがよいかもしれません。

「過去は変えられないが、過去の意味づけは変える事ができる」と聞いたことがあります。事業の失敗やホームレス生活の人生のどん底の過去は変わりませんが、いまや成功した事業者として過去をみられるからこそ、成功までの道筋のサクセスストーリーとして語られるわけです。

これまでの成功体験がそのまま適用できるとは限らないので、この手の「成功本」の内容は、自分でよく咀嚼してみる必要があるでしょう。「成功方程式」とは、あくまでも過去の「成功」を説明するための「式」であり、将来の成功に向かって適用できる保証はありません。それでも、こうした「成功経験」を語った本から学べることが多いのも事実です。

2013年4月14日日曜日

「なぜあの人とは話が通じないのか?」  中西 雅之

対人コミュニケーションに関して、実用的な問題対処法のコツに加えて心理学的な理論的な基礎が紹介されています。

非言語コミュニケーションの重要性に関しては、声や顔の表情だけではなく、その人の服装など見た目にも注意を向けるべきだと述べています。ビジネスマンの身だしなみが重要で、さらに靴が重要である点を挙げています。アメリカでは女性が男性を見るときには靴をみて値踏みするらしいと述べられています。似たような話を私も聞いたことがあります。営業マンが信用できるかどうかは、その人の靴を見ればわかると。駅構内の上り下りでスーツを着た男性の靴を注視してみると、たまにひどくくたびれた靴を見かけることがあり、人ごとながら心配になります。

また、初対面では最初の5分間でその人の印象が決定づけられ、その第一印象でその人の評価が決まるので注意が必要と言っています。いわゆる「暗黙の性格観」により、例えば「ハキハキしている」という印象を受け手が感じたら、そこから芋づる式に勝手に良いイメージを受け手が作り上げられるそうです。この場合、興味深いことは、その相手がイメージした性格は、実際の性格を反映しているとは限らないという点でしょう。反対に、初対面の印象で神経質さがイメージされてしまうと、そこから「神経質」→「心が狭い」→「人に話を聞かない」→「身勝手」といった、否定的な評価をされる可能性があるということです。
よく言われる、「人間、中身が大切だ」ということは否定しませんが、中身を磨くことに加えて(あるいはそれ以上に)「見た目」を気にするべきでしょう。このことにもっと早く気づいていれば人生変わっていたかもしれませんが(笑)。

日本人とか外国人という大きな違いだけではなく、世代間や男女間で起こるコミュニケーション不全についても分析しています。その理由として「文化の違い」を挙げており、その文化の違いとは、日本と海外といった大きな文化だけではなく、世代間、男女間でも観察される文化の違いであると述べています。

著者のプロフィールを見ると、「英文学科コミュニケーションコース教授」となっているので、日本と英語圏との文化の違いからの視点の分析が丁寧になされているのは納得のいくところです。



この本では理論と実践が幅広く紹介されていますが、以前に紹介した「不都合な相手と話す技術」のほうが実際的な内容でしょうね。

2013年4月13日土曜日

「人に優しくされる技術」 にらさわあきこ

基本的には何でもすべて自分でやり、できるだけ他人に頼らないのが個人的なポリシーなのですが、結果的には、他人の助けでなんとかやってきたことは否定できません。

この本では、人に頼ることについての長所を以下のように述べています。
人に頼ることは悪いことではない。むしろすべてを自分の力でやろうとするよりも、周囲にうまく頼っていくほうがよいことが多い。
自分のできないことを頼る段階の次は、自分のできることをあえて人に頼ることであり、それによって人を育てることもできるし交流もできる。
また、人からやさしくされる、助けられるためには、「天然ぼけであったり、すこし何かが欠けているくらいがよい」として、以下のような例えを使っています。
人は欠けている点を見せられてこそ、他の人が入ってきてくれる。寿司には新米ではなく古米がよいのと似ている。すなわち、古米はひび割れるほどに乾燥しているために、水分を吸収しやすい。そして、酢がまんべんなく米に行き渡って酢飯としておいしくなる。
完璧と思える人間よりも、少し隙があったほうが好感を持たれやすいことは、テレビタレントを観察していても同様のことが言えるでしょう。


やさしくされるためには、他人に優しくする、助けることが必要で、それは一種の投資のようなものだから、どこからか回収できればよいという考えを示しています。
結局は「優しくされる技術」といってはいますが、人に頼り、同時に頼られることで世の中うまくいくということでしょう。
「感情は循環していないと停滞する」「才能は出していかないと枯れる」といった点は、お金についても似たことをが言われていた気がします。



具体的に「優しくされるための10のヒント」が述べられています。
ほとんど、月並みなものと感じられましたが、一つだけ「ナレーション視点で考える」はおもしろいと感じました。優しくされるためには、「相手の気持ちを読み取ること」が大切で、そのためには「自分の視点を超えて、広い視野で客観的に物事を見ること」が有効であり、そのためには通常の一人称スタイルではなく、「ナレーション原稿のような」日記を書くことを勧めています。
-----
例えば、こんな感じでしょうか。
【通常の一人称スタイルの日記】
昨夜は、旧友と久しぶりに飲みに出かけ、昔話で盛り上がった。しかし、旧友は忙しくてやつれているようだった。

【ナレーション風の日記】
旧友と飲みに出かけた。
私「久しぶりだな」
旧友「お前も忙しそうだな」
それから二人は昔の話で盛り上がった。
そのうち、近況の「話題へと移った。
私「なんだかげっそりしるようにみえるけど」
旧友「いやー、いろいろストレスが多いんだよ」
旧友はそういいながら、職場や家庭のごたごたを話してくれた。
-----
世界を客観的あるいは俯瞰的に眺めることで、相手の感情を読みやすくなるのは間違いないでしょう。また、例えば怒りなどのネガティブな感情コントロールの際に自分の感情からも一歩離れてみることが大事なことは、怒る技術で触れました。



もてる人に対する考察で「もてるひとは、そもそももてる人なのだ」と言っています。もてることが天分であることはある面否定できないでしょう。そう考えると、優しくされるあるいは人から可愛がられるのも一種の才能かもしれません。そういえば、努力できるかできないかも「努力する才能」ではないか、といっていたのは五木寛之だったでしょうか。

ちょっとスピリチュアル系ではありますが、人生に「引っ掛かり」を感じた時には何らかのヒントをくれる本です。

2013年4月7日日曜日

「Unspeakably Desirable」 Barbara Morgenroth

テレビキャスターのスキャンダラスな写真が流出したことから、そのキャスターと女性を巡る関係を軸として話が進行します。

この小説は「コメディー」のカテゴリーだった気がするのですが、あまり笑えなかったのは私の語学力の不足が原因でしょう。一応、最後に、サスペンスのオチじみたものがありました。

料理するところの描写が詳しいので、料理好きであればそれらの点を楽しめるでしょう。



このタイトルはおそらくMark Twainの言葉(以下)からの引用だと思われます。
“There is a charm about the forbidden that makes it unspeakably desirable.”
本書で数回は「Unspeakably Desirable」の言葉が会話中で出てきました。

登場人物の名前がこんがらがって、話の展開についていけなくなりました。そのうち時間があれば読み返して、もう少し内容を把握したいです。


「英語ジョークの研究―関連性理論による分析」  東森 勲

英語のジョークの例を挙げて、なぜそれらが「おもしろいのか」を理論的に説明しています。英語だけでなく、日本語のジョークや駄洒落についてもおもしろいと感じられる理由を解析しています。「関連性理論って何?」と、気にはなりますが、「ジョーク参考書」としては比較的新しい本です。値段は安いとは言えませんが、以前本屋に立ち寄った時に目にとまったので購入しました。

英語をそのまま日本語に置き換えてもジョークとして成立するものもありますが、英語でしか成り立ち得ないもの、逆に日本語でしか成り立ちえないもの列挙されています。あとは、そのジョークの文化的背景を知らないとウケナイのはエスニックジョークでしょうか。民族性のステレオタイプに対する認識が同じでないと笑えません。

日本語でなじみがないものといえば、「ノックノックジョーク」でしょうか。
例えば、
Knock, Knock!
Who's there?
Hatch.
Hatch who?
Bless you and please cover your mouth next time.
くしゃみの「archoo」と「Hatch who」の音が似ているからという前提で成り立っています。ジョークというか、なぞなぞに近いです。



メグライアンとトムハンクスが主演の「ユーガットメール」では、トムハンクスとレジの店員の会話のノックノックジョークの場面が出てきますが、未だに「なぜジョークとして成立しているか」がピンときません。

トム knock, knock.
店員 Who's there?
トム Orange.
店員 Orange who?
トムOrange you(Aren't you)going to give us a break by zipping this credit card through the credit card machine?


  ネットで検索すると、Orange who?とAren't youの発音が似ているという解釈が多数派のようですが、他の解釈もあるようです。
なお、日本語字幕は、「orange」については全く触れずにうまくニュアンスを伝えた意訳がなされています。
ジョークを難なく理解できるのは「金メダルレベル」の英語かもしれませんが、そのレベルには近づきたいものです

2013年4月6日土曜日

「認められる力」 太田 肇

本書の副題として「会社で成功する理論と実践」とあるように、会社のなかでビジネスマンとして成功するためのヒントが、「承認」の観点から書かれています。


承認の種類を以下のように分類しています。
「表の承認」
優れた業績を称えるとか、個性を尊重するといった認め方。加点評価に近い。
「裏の承認」
和を乱さず秩序や序列を守っているか、分をわきまえているかどうかを問題にする認め方。減点評価に近い。
表および裏の承認という観点から、人事部がなぜ「無難な」人事採用しかできないのか、また、会社の管理職が思い切ったことができないのか(=リスクをとりにいかないのか)を考察しています。

また、「表の承認」を以下のように分類しています。

「日常の承認」
日常の仕事や生活のなかでの仕事ぶり、態度、個性などをほめられたり認められたりすること。
「キャリアの承認」
出世や名誉など長期的に得られる承認のこと。

日本的な職場でよく見られる、仕事が終わっても周りの空気から帰りにくいという状況は、周囲の目を気にする故の「日常の承認」に関係しているのでしょう。


客室乗務員がモチベーションが高く、なぜ輝いているのか、その理由は「日常の承認」と「キャリアの承認」がともに高いからという考察はその通りだと思います。ただ、客室乗務員がその後にタレント等に転身する可能性があるという点から、キャリアの承認に関しては、「その期待度が高い」というのが適切だと私は感じます。

東京ディズニーランドのアルバイトも「キャリアの承認」は低いでしょうが、「日常の承認」が高いからこそ、モチベーション高く働けているのだと想像します。

世間で言うところの「裏世界」の仕事でお金がすごく稼いでもでも充実感がない理由は、「その仕事が世間から認められないからだ」ということをどこかで読んだ記憶があります。仕事をして、その結果を否定されるよりかは、褒められたいし認められたいのが人間として自然でしょう。また、認める立場であれば、認めたことが相手にはっきりとわかるようにしてあげることが必要だと思います。

専門的な知識を除けば、組織のなかで認められるためには、やはり情緒的な能力(平たく言えば、いかに気が利くか、気をまわせるか)が高い必要があるでしょう(月並みな結論ですが。)本書の後半の【実践編】では、具体的な認められるためのヒントが書かれています。


アマゾンではkindle版しか入手できないようです。