2014年1月13日月曜日

「賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ。」村上 龍

村上龍のエッセイシリーズの最新刊である(たぶん「すべての男は消耗品である。」シリーズだと思う)。
若者たちに「今幸福ですか」と問うアンケートの代わりに、「あなたが幸福だと思える暮らしには年収がいくら必要ですか」という問いにすべきだとの意見は、おもしろい。「貧しくても好きなことができれば幸せ」という若者たちに対して、「リアリティーに向き合え」といっているのではないだろうか?さらに、「幸福」を生きる基準とする人や共同体の特徴として「思考放棄」を挙げている。結局はお金がないとまともな生き方をできる可能性は低くなることと、苦しくても思考する重要性を若者たちに伝えたいのではないだろうか。
一方で、本書中では、再三、「若者たちには関心がない」と述べてはいるが、むしろ逆説的な気がする。

世代間のギャップ(著者(1952年生)からみた、若者たち、おそらく20代)に関して、潜在的な違和感というか危機的な意識を持っていることがうかがえる。従業員の解雇に踏み切らなければならなくなった小規模企業の経営者が、資金の調達に苦しんでいる状況でも自身のフェラーリを売ることなく所有している状況に対して、著者が聞いた若手は、ほぼ「しょうがない」という意見だった話を紹介している。著者は、「フェラーリを売り払って小額でも資金に充てるべきだろう」という若者がいるかと予想していたようで、私も、そんな意見を言う人間が一人くらいいたほうが自然だと思う。私は「若者たち」の世代ではないので、「しょうがない」は、世代の違いなのだろう。(なんとなく「ゆとり世代」や「さとり世代」という言葉を連想してしまう。)
また「しょうがない」感が社会全体を被っているために、いったんは表面化することなく変質し沈殿した社会的な怒りが、将来噴出することを危惧している。確かに「しょうがない」でその場をしのげるかもしれないが、それは何ら問題の抜本的な解決になっているとは言えないだろう。


テレビ番組の「カンブリア宮殿」でみてもわかるように、経済的な視点から語られていることも多く、「小説家」の随筆と位置づけるにはちょっと異色でしょうね。

2014年1月12日日曜日

「うっかり一生年収300万円の会社に入ってしまった君へ」平康 慶浩

ざっと線引きすると、サラリーマンで年収300万円のラインが生活苦となるか否かの境界だろう。そうしたエリアのサラリーマン(非正規雇用者を含む)が現状を抜け出すために書かれた本であるが、それ以外のサラリーマンのためのビジネス書としても有用である。

■給与が増えなくなった理由として以下の2点を挙げている。
①人件費がもはや固定費ではなく変動費となりコストとして管理されるようになった。
②転職が普通になった結果、市場原理により給与の相場ができ、転職市場を利用して人材の取替えができるようになった。

■300万円を抜け出すための方法として、会社の状況にあった給与の増やし方が示されている。
「普通の企業」であれば「定期昇給で増やす」、「ブラック『型』企業」であれば「昇進で増やす」、「業績悪化型」であれば「配置転換で増やす」といった具合である。また、ブラック『型』かつ業績悪化型の「二重苦企業」であれば、普通の会社への「転職」をすすめている。


■業種別、職種別に具体的にどうすればよいのかを書いている点が本書の特質すべき点である。(ここでは「専門職」についてざっとまとめる。)
専門職は入れ替え可能であり、その給与水準も転職市場の相場で決まると述べている。(もろに専門職であれば、10年後に食える仕事食えない仕事の「無国籍ジャングル」であろう。)
専門職で給与を上げるヒントは欧米系のファーム(弁護士事務所や会計事務所など)にあるとし、具体的には以下の3つを挙げている。

1.コミュニケーション能力を伸ばす
これにより「太い客」をつかめといっている。言い換えれば「営業能力」ではないだろうか。例えば顧客と仕事以外の付き合いがあるほうが仕事が取りやすいことは自明であろう。

2.希少価値を得る
さらに専門分野に特化する、あるいは語学力を生かすなど。ただ、語学に関しては「英語」が希少価値かどうかは意見の分かれるところでしょう。

3.お客様のところへ行かない
「現場」を離れてマネージャーを目指せといっている。
「マネージャーとしての資質」の定義がかなり面白い。先進的な会社と古い体質の会社の2つの場合の定義をしている。
先進的な会社での資質は一般のビジネス書でいわれるようなことであり、すなわち、引用すると、
・過去を否定せず、新たな発想を提案している
・部下に、ではなく、自分を含めたチームとしての発言をしている
・会議では常に積極的に議題を提案している
で古い体質の会社でのマネージャーの資質を引用すると
・上司の考えに対して異論をはさまない
・部下にサービス残業を命じることができる
・会議で積極的に発言しない
となっている。(毎年の評価で標準以下になっていないことが前提としているが)。
会社の体質で求められる資質が変わる点を指摘しているのは興味深い。上記の例では資質は「変わる」というよりは、もはや「正反対」ともいえる。結局、状況や環境によって求められる資質は変わりうるものであり、特に具体的になればなるほどただ一つの法則として示すのは困難であろう。

さらに人事制度の理解と上司を巻き込むことの重要性にも言及している。
サラリーマン(雇われ人)として生きることを選んだ人には大いに役立つ本である。

繰り返しとなるが「具体的」にどうしたらよいかを業種別職種別に示している点が素晴らしい1冊である。

2014年1月11日土曜日

「翻訳がつくる日本語-ヒロインは「女ことば」を話し続ける」中村桃子

日本語への翻訳の際に、女性が「女ことば」を話すのはなぜか? と問われると、なるほど不思議に感じる。本書でも多く引用されているように、映画や小説の翻訳だけでなく、新聞や雑誌のインタビュー記事にみられる日本語訳も、女性の場合には「女ことば」が使われている(「~だわ」や「~なの」など)。
また、社会的に身分の低い人物や古くは黒人の話す言葉が、翻訳された際に田舎言葉(多くの場合、「擬似」東北弁)となっているのはなぜか?に関しても考察がなされている。

本書は「気楽な読みもの」というよりは、学術的な文献を基にした「少し平易な総説」といえるだろう。したがって、やわらかい文章ではないが、各考察の裏づけは確かなものであり、論理的である。

「男ことば」については、新おとこ言葉の、縮めた「す」への考察は興味深い。例えば「こんなことしたんですか」を、「こんなことしたんすか」という言葉である。この言い方をよく使う有名人としてキムタクが挙げられている。この新語の登場について、「丁寧で敬意を表現する」と同時に「気軽で親しい男らしさ」を表現できるため、若い男性から広まっているのではないかと述べている。


翻訳にみられる「女ことば」は、日常生活ではほぼ使われていない日本語である。そこで、気になったのがタレントのマルシアの話し方である。「~でございますわ」とか、極端な女ことばを使っているのは、天然なのか、あるいは非ネイティブらしさを出すためなのか?(日系3世なので、「非ネイティブ」とも言いにくいですが。)本書では、女ことばを使う人物は高飛車な印象を与えると分析しており、マンガなどの例を挙げている。したがって、マルシアの場合にも、極端な女ことばの使用は、あえて「高飛車」なキャラとするための戦略なのかもしれない。
言葉使いが、ある意味、その言葉を使っている人間を定義すると考えると、タレントに限らず普段から話し方に注意を向ける必要があるだろう。

2014年1月5日日曜日

2013年に読んだ本-勝手にセレクション-

本来は年末に「2013年」を振り返るべきだったのだろうが、(予想通り)怠惰な年末を過ごしてしまった。遅まきながら昨年読んだ本を振り返りたい。


■小説ベスト3
夏への扉
タイムマシン系のむしろ古典的なSFですが、「ネコ」がストーリーに絡んでいるのがたまらない。逆に言えば、非ネコ好きにはあまり面白くないかも。英語の原作を読んでみたくなる。

「新版 福翁自伝」
福沢諭吉の半生をおもしろく知ることができる。お金がなければ、ないなりの生き方をすればよいのではと思える。ただし、解説にあるように、話の流れのオリジナリティーは「フランクリン自伝」のほうにあり、そちらの本も面白い。
*「小説」に分類するのに多少の違和感がありますが、一種の物語ということで入れました。

Crescent Bound
内容としては、軽いティーンエイジャー魔法もの。私のレベルでも割と読みやすい英単語や熟語が使われている。


■コミュニケーション関連ベスト3
「IT時代の実務日本語スタイルブック」
特に仕事ではメールを打つ機会が増えてきた時代には、実用的な作文能力は必須であり、実用文書を書く際に役立つ。

「パブリックスピーキング―人を動かすコミュニケーション術」
人前で話す際の「技術」を、実用的に指南してくれる本である。プレゼンの際に「シナリオ」を重視している点で、他のプレゼン技術本とは異なる。難点は通常の本よりも少し高めなことぐらいか。

「不都合な相手と話す技術」
話が通じない相手だからこそ「対話」が必要だという点を、外交問題の観点とあわせて論じているのはわかりやすい。