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2015年1月12日月曜日

「ブラジル人の処世術 ジェイチーニョの秘密」武田千香

日本で感じる常識が、海外ではそうでないこともある。その常識はモラルや社会的な規範とも呼べるだろう。ブラジルでも日本の常識に照らし合わせると「?」と感じることがあり、その疑問に対して彼らの世渡り術である「ジェイチーニョ」を理解するのは有効であろう。

「ジェイチーニョ」の定義としては(p16からの引用)
なにかやろうとして、それを阻むような問題や困難が起こったり、それを禁止する法律や制度にぶちあたったりした場合に、多少ルールや法律に抵触しようとも、なにか要領よく特別な方法を編みだして、不可能を可能にしてしまう変則的解決策
としている。それでは、「違法」なのかといえば、違法でも合法でもない「グレーゾーン」の行為であり、秩序を度外視した領域に位置すると述べている。「ズルイやり方」とも呼んでいるが、ある意味「裏技」とも呼べるだろう。
アンケートの結果として、「銀行に勤務する人が急いでいる知り合いに、列の順番が先になるよう便宜を図る」ことに56%が「ジェイチーニョ」に該当すると回答した例を紹介している。日本でも融通を効かせることで起こりうるが、「例外的な」扱いにとどまるため違うのではないかと述べている。

価値基準についてはブラジルでは絶対的ではなく相対的だといっている。つまり、価値基準が人間に基づいているために、人が違えば価値基準も異なる。だからこそ、平気で約束を破るとか、言っていることがころころ変わることはブラジルの価値基準では何らおかしなことではないという考察は腑に落ちるものだ。



ビジネスをするには大変かもしれないが、ある意味「適当さ」や「いい加減さ」を許容することができないと海外で生きていくのは難しいかもしれない。タイであれば「マイペンライ」をどこまで「マイペンライ」で許容できるかに似ている状況だろう。

2014年3月9日日曜日

カーニバル(ブロコ編)

この前書いたカーニバルは、テレビでよく紹介されているエスコーラのカーニバルだったわけだが、街中をパレードするタイプもある。カーニバルのコンテストではなく、ブロコが町中を練り歩くといった感じだ。
ウィキの説明「サンバ(ブラジル)」を以下に引用する。
ただし、近年のカーニバルはあまりにも観光的・商業的になり、またエスコーラが麻薬や賭博など犯罪組織の温床ともなっていることなどから、エスコーラから離れたり、また距離をおくサンバのミュージシャンも多い。そのような昔のサンバを知る人は「昔のサンバはよかった」というのが口癖となっている。またそれらの人々はエスコーラなどの組織を離れて、それより比較的自由なブロコ・カルナヴァレスコ(略称:B.C.ブロコはブロック、つまり塊りの意、カルナヴァレスコはカーニバルが好きな人などと訳す)を結成したり移る人もいる。ブロコはエスコーラのようなコンテストとは無縁なのでサンボードロモではパレードせず、リオ・ブランコ通りなど街中でパレードし、比較的庶民的で地元と密着しているのが特徴的である。
滞在中の都市でもやるということなので、見物に行った。
見ていると、一応はそれぞれのブロコがあるらしく、同じ色のシャツを着ているのでわかる。しかし、ほとんどはただ歩いているだけで、さまざまな仮装が目立った。


こんな感じで群衆のパレードが延々2時間以上。
各ブロコの先頭には、大型スピーカーを山積みにしたトラックがいて、大音響で音楽を流していた。








女装集団は、いろいろ。
ほんとに女装を目指した一群もあれば、こんなふうにわかりやすい感じの一群も。







この一群は風呂上り仮装!
衣装代が安く上がるのが利点?
(左側には女性が)







ここでも、例のキャンペーンが行われており、参加者や観客にコンドームが配布されていた。ただし、それらが「正しく」使われていたかは不明である。「正しくない」使われ方はこんな風だ。


この女の子が膨らませたのかは、わかりませんが、
明らかにコンドーム風船。
右下の母親らしい人は何と言ったのでしょうか…
「正しい」使用法を教える年代はどのくらいか気になります。







日本では、カーニバルのような「ばか騒ぎ」的な全国規模のイベントがみられない。先行きの不安はあるものの、日本でもこうしたイベントができればと思う。その一方で、こうしたバカ騒ぎができないことが日本人の特性かとも感じるのであった。

2014年3月6日木曜日

「カーニバル」と「キャンペーン」

ブラジルの2-3月といえば、「カーニバル」の時期である。なぜ、「時期」といったのかといえば、それは年によって日が変わるからである。(つい、この前まで知りませんでした。2014年は3月4日ですが、2月28日ごろからイベントは始まったようです。)

カーニバルといえば「リオのカーニバル」が有名だろうが、他の都市でも規模の違いはあるが行われている。私の滞在している都市でもやっているらしく、こちらのツテがあり見に行った。(夜は物騒なのに、開始は午後10時で終了は朝5時ごろの予定ということで本来ならとても一人で行くことが出来ない。)

途中で引き揚げたものの、やはり生で見ることができたのは貴重な体験であった。

リオに比べれば小さいですが、サンボードロモを各エスコーラがちょっとづつ進んで披露します。 

ブラジルのカーニバル概要はwikiのこちらをどうぞ。

山車もあれば、人の行進もありで、ある人は「ディズニーランドのエレクトリカルパレードのようなものだ」といってました。










この時に気になったのが、ある「キャンペーン」である。
事前に購入した入場券でゲートを通過し、歩いていると、透明な90L容ほどのビニール袋から、すれ違う人に何かを渡している一団と遭遇した。何かのキャンペーンらしい。貰ったものを見てみると、3つ連なったコンドームではないか。他の一団にも会い、そこでも同様にもらったのでポケットがいっぱいに(現物の写真は下のほうを参照)。

そういえば、テレビのCMでもそれらしいものをやっていたのを思い出した。ネットで検索すると、この時期は国がキャンペーンをやっている模様。
CMが番組内で紹介されていた動画は↓

さらに、街中を歩いてみると、そのキャンペーン看板や横断幕が交差点で見受けられた。

ここは交差点のすぐ近く(車の中の二人は関係ありません)


ここの交差点にも。
そして、ここの交差点にも。

「自分で予防しましょう。コンドームを使いましょう」
と真ん中に書いてあります。
「use camisinha」が、英語では「use condom」
ですが、英語のuseはポル語ではusarで、-ar動詞で勧誘形だから-eに変化してuseなのです(たぶん)。

こちらは、キャラクターまで描かれています(ゆるキャラ?)

会場で配られていたコンドーム。








カーニバルだから「そういう」機会が増えるので、キャンペーンをしてコンドーム配布までやるということは、HIVの拡大が深刻であることを裏付けているのだろう。キャンペーンの費用も相当額であろうが、予防に費用をかけたほうが、結局は社会的な負担を低減できる。
そういえば、日本でも避妊具の使用について中学から積極的に教育しようとした動きに対して、「寝た子を起こすことになる」と反対されたニュースもあった気がする。

カーニバルで「そういう」機会が増えるのであれば、日本でもカーニバル的なイベントをすれば、人口増加の一助となるかもしれない(日本の人口減少問題がそんなに簡単に解決できるならよいのですがね)。

「文化の違い」といってしまえばそれまでだが、その「違い」がそこでのヒトの生き方にも影響を及ぼしているに違いないと感じた。

2014年3月2日日曜日

英語が使えれば、外国では何とかなるのか?

ブラジルでは、高確率で英語が通じないと感じている。サンパウロの空港国内線のチェックインカウンターでも怪しいものだ(「aisle seat」をお願いしたのだがが通じず、がっかりした)。都市部で外国人が多いところでは「英語が通じてもいいだろう」と思う。都市部がそんな感じなので、今いる地方都市ではさらに英語通じる確率が大幅に下がるのは、当然の道理だろう。

ただ、日本での状況を考えてみるとどうだろうか。東京などの都市部では英語の通じる確率は高いだろう。しかし、地方(あるいは田舎と呼んだ方がよいかも)を考えてみると、片言の英語でさえ通じる確率は、ここブラジルの地方都市と変わらないのではないか。

結局は、その地へ行けば、その地で通用する言語を使うのが「筋」であり、「英語さえも通じないのはけしからん」と思うのはむしろ大きな勘違いである気がする。

そうはいっても、世界の共通語としての「英語」の力に変わるところはない。ネイティブスピーカーのレベルになるのは無理であるにしても、意思疎通ができる程度に、英語「で」コミュニケーションをとれるだけの英語力は必須であろう(そういう自分の英語力も怪しいものだが…w)。


2014年2月17日月曜日

ポルトガル語が簡単そうな3つの点

「ブラジル」といえば「ポルトガル語」(以下ポル語)だが、英語よりもやっかいである。超初心者の私としてはかなりハードルが高いと感じるのだが、それでも「意外ととっつきやすいじゃん!」と思える3つを以下に挙げてみたい。

【その1】発音の苦労が少ない
 母音がはっきりしているので、ほとんどの場合、カタカナで表記できる。例えば、pode[ポジ]、posso[ポッソ]など。また、アクセントのルールもわかりやすい。

【その2】疑問形でも変化しない
 疑問形にするには文末の語尾を上げればよい。日本語でも英語でも口語では、肯定文で語尾をあげれば疑問形にはなるが、書き言葉でも疑問形がないのは不思議な気がする。文章で疑問文と肯定文を区別するためには、単に「?」を文末に書き加えるだけである。
(ポル語が母国語のヒトは、疑問形を習得するのに苦労するに違いない。)

【その3】主語がなくても大丈夫そう
 主語によって動詞が変化するのは厄介だが、あえて利点を見出すとすれば、主語を省略しても動詞の型で主語がわかる点だろう。
 英語のcanに相当するポル語の場合、
  You canであれば Você pode、
  I can であればEu posso、
 "Can I ?"  は"Eu posso?" だけど"posso?"だけで「自分が可能であるか?」を伝えることができる。また、"pode"だけで"You can"といえるようだ。
飛行機に乗った時、荷物の収納場所を探していたら、おばさんが座席上の荷物を取り出して私に向かって"pode"と言ったのだが、まさに「(あなたが、ここに荷物をいれることが)できる」ということだったのだ。主語を飛ばして使えるのは日本語でも似ていると思う。










アマゾン川沿いのちょっとした観光地にて。日本並みにきれいな車が多いです。しかし、駐車中の日よけに段ボールをフロントガラスに置くというのはどうでしょうか。車がきれいなだけにちょっと違和感があります。「エコ」と言えるかもしれませんがw

2014年2月10日月曜日

日本の裏側から-ゴミ捨て編

前回のエントリーに書いた通り、しばらくのブラジル住まいがスタートした。アパート住まいなので、自分でゴミを出すことになる。日本の超田舎の事情はわからないが、大抵日本では、分別回収にうるさい。可燃、不燃、プラスチック、紙など分類の数も多いし、地域によっては分類がさらに細かかったり、分類が微妙に違っていたりする。また、「指定ゴミ袋」を買ってその袋にいれる決まりの場所もある(以前住んでいたところがそうでした。)

こちらブラジル某北部の町ではどうかというと、予想通り、普通に捨てる家庭ごみは分類はない。また、ゴミ集積場があるわけでなくて、でかいゴミ箱があるわけでもなく、通りに面した路肩にゴミを入れる「カゴ」が設置されているシステムのようだ。地上1m程度の高さにカゴがあるわけだが、統一された規格はないようで、


こんな円筒形型もあれば、


こんな四角いタイプも。
(電柱の陰からネコが顔を出してました。)


地上から高い位置にゴミを置くのは、野犬やネズミなどの動物にやられない工夫であると推測する。カラスはいないので、空中からの攻撃を防ぐ蓋は必須ではないだろう。あとは、雨が降ってゴミが濡れたとしても水分が溜まらないのも理に適っている。ゴミ収集の際の作業員が腰をかがめる必要がないのもよさそうである。ただし、真相はわからない。

“When in Brazil, do as the Brazilians do” 少し戸惑ったが、こちら流に、ビン、カン、ペットボトル、ふつうゴミを分別せず、こちらですでに大量にたまったレジ袋をゴミ袋として、このカゴに捨てるのであった…  (ブラジルといえども、都市部のシステムは違う気がするのだが。)

2014年2月3日月曜日

日本の裏側から-戸締り編


 仕事の都合により、しばし(数か月間)のブラジル暮らしがスタートした。しかも、都会ではなく北の某地方都市(で田舎)だ。日本人は自分一人ではないので、安心ではある。しかし治安に関して気を付けなければいけないことが多い。昼間はよいが、夜間は徒歩での外出はしないように言われている。また、昼間でも立ち入らないほうがよい居住地域があるようだ。


 文化の違う場所を訪れた時の初めてのころの驚きはそのうち失われ、忘れ去られるのが常である。例えば、タイでバイク3人乗り(場合によっては小さい子を含めて4人乗り)を初めて見たときは、驚いたものだ。いまや、自分が3人乗りをする側となったかもしれない。

 そこで、記憶の消えないうちにあくまでも「主観的な」視点で自分が気になったことを書き留めておきたい(「主観的」とお断りしているのは、例えば目の見えない状態で、ゾウをさわって「ゾウがどういう動物か?」と聞かれたときに、しっぽを触ったか、耳を触ったか、足を触ったかなどによってゾウの描写が異なるがごとく、一個人の乏しい経験をもとにブラジルの正確な様相を伝えることができるわけがないと考えているからです。)


アパートに住んでいるため、今回は、気になった「戸締り編」を。

部屋までに鍵が4つある。外門、建屋入口、2階に入るまえの入口、そして部屋である。鍵が多ければよいというわけではないだろうが、コソ泥を防ぐ意味では有効であろう。

鍵を閉めるときは、鍵穴にさして2回まわす。シリンダーの出る部分が2段階なのだ。なぜ一発で施錠させてくれないのか謎(詳細は以下の写真参照)。実は、この2回まわしを知らなかったために、不完全な施錠のまま外出するところで危なかった。2回転施錠がどのくらい世界標準かを知りたいものである。
左から順に、はじめの状態、鍵一回まわし、鍵二回まわし。赤線で示した部分が一回まわしでは半分しかでていない。一応はロックされますけど…


部屋の内鍵を閉めるときには、外側を開けた同じ鍵を使って内側から閉める。
なぜ、内側からワンタッチでロックできる仕様になっていないのか謎である(ほかの国にも同じシステムがあるのかもしれないが、、、)。メリットは、鍵を持っていないと内鍵ができないので、鍵がないと部屋の中に立てこもりができないという点か?(どんな状況かと突っ込みたくなる)。




近所でネコ発見。犬は多いですが、ネコはそれほどみかけません。このネコは首輪をしていませんでしたが、野良でもなさそうでした。かなり警戒されていましたが。ネコにポルトガル語でどう呼びかけたらいいのやら。

2013年12月1日日曜日

「ジャングルで乾杯!」 林美恵子

副題(-医者も結婚も辞めてアマゾンで暮らす-)とあるように、医者を辞めてアマゾンに移り住んだ点が、よくある海外移住(というか逃避)ものとは異なっています。

当初、アマゾンに来てお金もなく、食べるのにも困り、強盗の気持ちがよくわかったとか。熱帯であれば、食には困らないという思い込みが私にはありましたが、意外でした。あるいは、住んでいたのが都市部だったからなのかもしれません。

「お金があるうちに必要なものを買ってしまえ、食べ物がなくなったらその時に考えよう」という、現地の考えはラテン的と言えるでしょう。一方で、ブラジルの場合にはインフレという要素も大きいと思われます。現金の価値がだんだん目減りするのがわかってれば、今、現物にするのは理にかなっています。

現地の人間関係や現地人の考え方への苦労もつづられています。一言で言うと、「お前のは俺のもの、俺のものは俺のもの」と表現できるのではないでしょうか。

日本の生活がいやになって、抜け出したかったのであれば、ブラジルのアマゾンでなくても、東南アジアあたりでよさそうなところが多くありそうです。自宅で夜に強盗に襲われないように見回りが必要だなんて、それって相当「住みにくい」のではないかと感じました。ま、どこに住むかはその人の勝手ですが。

著者は酒好きのようなので、その地を選んだ理由として「お酒」も重要な要素だったかもしれないです。


もはや絶版です。私は図書館で借りました。
1996年初版です。今であれば、ブログで書かれるような内容でしょうね。この後数冊の本が出版されているようですが、最近の著者の消息は、ちょっとネットで検索した限りでは不明です。アマゾンでご健在であるとよいですが…

2013年11月23日土曜日

「オーパ!」開高健

作家開高健のアマゾン釣り紀行です。
初めの版が出たのはもう30年ほど前です。地域の図書館の検索システムでみたら、2010年にも新たに出版されていたようなので、この新しい版を借りて読みました。実は「直筆原稿版」とあるように、原稿用紙に書かれたそのものが書籍となっており、推敲の跡をみることもできます。「本」ではありますが、原稿用紙に書かれたものを読むのは、作家の息遣いが感じられます。

アマゾンから帰国の途中でブラジリアに立ち寄り、そこでブラジルの首都移転の歴史や経済状況などについて同行者と会話する場面は、著者の考えを垣間見ることができ興味深いです。ブラジルが莫大な借金をして、何もないところに数年間でブラジリアを作り上げたことについて、「男は借金がないと眠り込んでしまう」とか、「昔から男は自尊心で苦しむようになってるんだよ」という言葉は含蓄があります。

この直筆原稿版と、現行本では、著者の加筆修正による違いがあるらしいので、そこを比べて読むのも面白いかもしれません。

2013年11月4日月曜日

「ハゲとビキニとサンバの国-ブラジル邪推紀行」井上 章一

リオデジャネイロで通算4ヶ月ほど滞在した経験から、ブラジルに対して考えたことが述べられています。著者は、現地大学の日本語学科から招聘されたため、自身が現地で感じた疑問に対して、ブラジルの大学生からの意見を聞くなどして考察をしています。「考察」というよりは、サブタイトルにあるように「邪推」といったほうがよいかもしれませんが、切り口はおもしろいです。

「ハゲが女性にもてることは本当か?」という疑問に関しては、「ブラジルでの有名な歌がありポピュラーだが、その歌詞の内容から判断すると、ハゲだからもてると考えるのは誤りのようだ」と結論しています。(その歌、Nós, os carecas (われらハゲ仲間)はyoutubeで探したところ、これかと思われます→http://www.youtube.com/watch?v=ULknVaXLFcQ

ビキニについては、ビーチで見かけるのは、必ずしもグラビアを飾るような女性ばかりではなく、おばちゃんや、脂肪に食い込んでるほど肥満な女性もみられると述べています。しかもビキニが「フィオレ・デンタル」(=デンタルフロスの意味から、いわゆる「紐ビキニ」のこと)であり、そして「見苦しい」体型であっても許容される背景(帝王切開が一般的なのにその傷は目立たないことや、社会的に低い階層は高級服には手が届かないが紐ビキニなら買えるなど)について考察しています。

女性の尻に対してなぜ、ブラジル人はこだわるのか、奴隷制の名残であるという説が紹介されています。そして、対照的に、日本人がなぜ、女性の襟元に興味を示すのかについても考察されています。日本で魅力的な女性を「ガン見」することは文化的に許容されない、しかし、男性の視線がうなじに向かうのであれば、女性から視線を返されることもなく、そこが視線を集める部位になるというのが著者による考察です。

以前の2つ(「ブラジルの流儀」「ブラジルを知るための56章」)とは、違った視点でブラジルを見た興味深い本です。

2013年10月27日日曜日

「ブラジルを知るための56章」アンジェロ イシ

前回に引き続いて今回もブラジルの概要を知るためにこの本を読みました。第2版では、2009年末までの情報がカバーされています。

前回の「ブラジルの流儀」では、日本人からの視点で語られていたのに対し、こちらでは日系3世でジャーナリストの立場からみたブラジルが語られています。
犯罪率の高さと治安の悪さに関しては同様に述べられているものの、夜間の信号無視が「常識」かどうかは少しニュアンスが異なり、こちらでは「停車中に強盗に襲われるのを避けるため赤信号を無視して走る運転手もいる」とは記述されています。どの程度の深刻さかは、場所によっても変わるのでしょう(いずれにしても物騒ですが…)

以下、面白いと思った章についてです。

第9章 祝日でわかるブラジルの社会
ここで紹介されていた、日本では馴染みのない祝日は以下のものです。
 ゴールキーパーの日 4月26日
 召使の日 4月27日
 姑(舅)の日 4月28日
 UFOの日 6月24日
 学生の日 8月11日
 未婚者の日 8月15日
 銀行員の日 8月28日
それぞれに「由来」があるのでしょうが、詳しくは述べられていません。「UFOの日」は気になります。


第15章 カーニバルに関する「定説」
「カーニバルではいつも人が大勢死ぬ?」や、「多くの貧民はカーニバルの衣装のために1年間の貯金を費やしてしまう?」という定説の誤りが指摘されています。前者の定説については、誤りであることが「ブラジルの流儀」でも書かれています。


第16章 何でもジョークにできる国民性
かなり下品なジョーク(「ピアーダ」と呼ばれる)でも受け入れられる文化であることが述べられています(日本に住むブラジル人もそう言ってました。)具体的には、かなり辛辣なジョークであっても、笑い飛ばせる文化のようです。
「17章」にいくつかの例があり、その一つは、以下です。
カミカゼ(特攻隊)のインストラクターが弟子たちを前にこぼす言葉。
「デモンストレーションは”一度しかやるつもりはない”から皆よーくみておけ!」
おそらく、このピアーダに対してブラジルでは大爆笑なのでしょうが、特に日本ではどうなんでしょうか。他に、いわゆるエスニックジョークに近いものもあるらしいですが、それらがどの程度許容されるかは、その国の文化に依存しているのでしょう。福島原発事故に関して、フランス(だったか?)の風刺画が物議を醸し出しましたが、ブラジルが日本の立場だったならば、ブラジルではジョークとして笑い飛ばされていたのでしょう。


第44章 「ジェイチーニョ」という哲学
 「ブラジル流の問題解決法」で、裏金を使ったり、コネを使ったり、裏から手を回して物事を何とかする文化があるみたいです。だから、いろんな面倒くさいことや役所の手続きをする代理人である「デスパッシャンテ」という職業が成り立っていると述べられています(「ブラジルの流儀」でも触れられていました。まさに「流儀」と呼べそうです。)
おそらく、ブラジルでビジネスをしたり暮らしたりする場合には、必然的に直面するのでしょう。「郷に入れば郷に従え」です。


各章の最後には文献が紹介されているので、興味のあることに関してさらに深く知ろうとする時にはよい道しるべとなるでしょう。

2013年10月19日土曜日

「ブラジルの流儀」 和田昌親(編著)

ブラジルについて、ざっとしたことを知りたかったので、この本を読みました。出版が2011年なので、比較的最近の事情をカバーしているのがよいです。
第1章の社会・生活の話から始まり、第5章の政治・外交の話と章立てされており、各章は、「なぜ○○なのか」という2~3ページの短い部分で構成されています。したがって、まとまっていない細切れの時間でも読み進めていくことができます。第4章に「サッカー・スポーツの話」があるのは、ブラジルらしいと思います。


読んで、ブラジルとタイで似ている点に気づきました。

「貧しくても楽天的」
これを「ラテン的」と呼ぶひともいるでしょう。余談ですが、日本の将来も経済的にみると明るくないので「ラテンで行こう」と、日本人の生き方を変える提案をしていたのは、森永卓郎氏だった気がします。ブラジルの場合は、生きている間を楽しむ生き方であるのに対して、タイでは、「来世」や「生まれ変わり後の人生」に賭ける点が違っているでしょう。「だからタイ人(特に庶民層)みんな必死でお寺にお参りしている」といっている人もいます。

「トイレの紙は流さず別のゴミ箱に捨てる」
紙を一緒に流さずに別に捨てる方式の水洗トイレ地域は、世界的にみればかなりある気がします。中級以下のタイのローカルなホテルでは、トイレが洋式だけど、トイレ内にそこそこの大きさのゴミ箱があると、紙をそこに捨てるのか、流してよいのか躊躇します。


大きく違う点は、犯罪率の高さでしょうか。「夜間に赤信号を無視する(交差点では停止しない)」のが常識とは驚きました。赤信号であろうと停車すると襲われる恐れがあるのが理由のようです。都市部だけだと思いたいですが、日本では想像できないです。

ある国について語る場合、あくまでもその一面、ひとつの切り口でしか語れないので、本書の内容を鵜呑みにするのはなく、複数のソースから情報を得るのがよいでしょう。