2018年5月3日木曜日

「必要十分生活」たっく

 ミニマリズム本である。したがって、「いらないもの」(と著者が考えるもの)が列挙されている。
使用頻度が低いものは「いらないもの」の候補であるので、「プリンターはいらない」といっている。写真屋のサービスもあるし、トータルの維持費を考えるとコンビニのコピーやプリントサービスの利用は妥当だろう。コストを除くと「不便さ」をどこまでじゅようできるか次第だろう。
シャンプーやコンディショナーは家族内で統一するのはなんとかなりそうだが、ひげそりジェルもコンディショナーで代用化で、さらに電気シェーバーはも不要と言う意見は普遍的ではない。やっぱり髭が濃ければ電気シェーバーは欠かせないのだ(それは自分のことであるが)。視点をかえて、「ひげ伸び放題でもいいじゃないか」もありかもしれませんが。

持ち物の数量を減らすという点では「靴は3足」といっており、2足の靴を交互に履いて長持ちさせる方法には反対だといっている。その理由のひとつに「飽きがくるから」という。が、そもそもの必要十分生活の基本思想は「飽きてもかまわない」ところにあるのではないか? 1足だと2年でだめになる靴が2足を交互にはけば5年使えるとすれば1足あたり半年寿命が延びるわけだが、それならば2年で履き潰したほうがよいという考えもできるだろう。靴に関しては、その人のこだわりがあるので、こだわる人であればもうちょい保有数が多くてもよいかなあとも思う。(章のひとつで「趣味のものは思う存分家に置く」とあるので、靴が趣味だと無理そうですけど。)

最終的には、トランクひとつにモノが収まる程度を目指し、あえて所有せずにレンタルできるものはレンタルを利用するあたりが、単なる節約生活とは一線を画する点だろう。シンプルな生き方に憧れはあるが、そのためには、それなりにお金が必要なのだ。

こだわりの点を除いてモノが減るということは、いかに「飽き」をやり過ごすかということだろう。こだわりが増えすぎるとモノを減らせなくなるとすれば、必要十分生活はその人の生き方に依存するといえるのではないか?

0 件のコメント:

コメントを投稿