2015年11月30日月曜日

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」佐々木典士

汚部屋からミニマリストへ、これが著者の実現したことであり、そこへ至る経緯と実行の方法がわかる内容となっている。
「どうしてモノが増えすぎてしまうのか」ということと「心理的な要因」の関係性は理解できるものであり、共感できる点もあるが、著者の場合には多少「病的」であるようにも感じた。一種の買い物中毒にも通じるところがあったのではないかと。
「人間の価値をその人が所有するもので判断する(判断しやすい)から、モノにこだわるのだ」という説はそのとおりだろう。「ひとは中身で勝負だから服装はどうでもいい」ということを昔は自分も信じていたものだが、凡人では通用しない理屈であると今は思っている次第だ。

捨てる方法最終リスト55!のなかで、
永遠に来ない「いつか」を捨てる(No.20)
熱く語れないモノは捨てる(No.33)
1つ買ったら1つ減らす(No.46)
は誰しも共感できるだろう。

それと、
お店があなたの「倉庫」です(31)
では、「足りなくなったものは近所のコンビニが使えるじゃないか」という発想で、田舎でなければ使える方法だろう(田舎であれば物理的な収納の制限が少ないので、この考え方はいらないだろうが)。日用品のストックはなくてもOKの考えだが、同じ発想で、冷蔵庫や冷凍庫もコンビニからの調達で不要になるという考えもある(以前のエントリーででてきた。)

追加リストでは
私服を制服化する(02)
に関していうと、同じ服を着続けることの合理性は認めるが、実行するのはそれほどやさしくない。なぜなら、同じことに対して「飽きる」からである。服を着ることは単に寒いからだとか、身を守るからとかという実用性だけではない。ある意味、ミニマリストとは「飽き」との戦いかもしれない。


 「モノを買うために失う時間」に関して、限定SUICAで長蛇の列ができ結局買えなかった例では、モノが原因で人生の時間がもったいないといっている。時間の価値は認めるが、最終的にはそのひとがそれをどう使うかは、まあ、そのヒトの生き方によるのではないかなあと思う。行列にならんでその時間を使って買う価値があると認めれば並ぶべきだし、その価値がなければ時間の無駄だろう。あるいは、並ばなくても後でオークションなどで購入することもできる。そこでのプレミアが購入するまでに使われた時間の価値ともいえるだろう。余談だが、時給900円の人が行列に並んで待つのと、時給2万円の人が行列に並ぶ場合は単価が異なる。
その人のこだわりにはこだわるべきで、この点は一般化は難しい。「熱く語れるもの」は人それぞれであるからだ。「熱く語れないものは捨てる」は、まさに「熱く語れるのもはとっておく価値がある」ともいえる。




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