2013年11月4日月曜日

「ラテンに学ぶ幸せな生き方」 八木啓代

「日本に住むヒトの生き方は幸せには見えないので、ラテン(アメリカ)に幸せな生き方のコツを見出そう」、というのが本書です。

これを読んで、やっぱりラテンがよいと思ったのは以下の点です。

■特に男性は小さいころから女性をエスコートする作法を仕込まれている

「文化」が変われば可能でしょうが、たぶん、日本では真似できないと思います。特に「ピローポ」(=見ず知らずの女性に向けて投げかけられる甘い言葉)は、小さい頃から馴染まないととても無理でしょう。

■絆のセーフティーネットがある

失業しても、居場所がなくても、とりあえずは親戚や友人の家に転がり込んでなんとかなるので、「ホームレス」にならなくてよいことが一例でしょう。ただ、現在日本のあまりにもホームレスに転落しやすい状況が異常なのかもしれません。おそらく、東南アジアあたりでも、失業してもなんとかなる事情はラテンと同じと思います。


一方で、そうかなあ?と疑問に思った点は以下のとおりです。

■「自分の家族を卑下しない、むしろ褒めまくる」のがラテンの特徴

これは別に「ラテン」に限定されていないと思いました。日本と英語圏の比較を書いた本では、やはり、家族に限らず他人を(お世辞ではなく)よく褒める傾向が日本より強いと述べられています(「ポジティブイングリッシュのすすめ」)。特に、自分の家族を卑下するのは「謙譲」の日本的美意識なのでしょう(世界に出て行っても通用しない・理解されがたいでしょう。)

■ラテンでひきこもりが起こらないのは、子供部屋はあくまで親の管理下にあるから

日本では、子供部屋は子供の占有物となっているために、引きこもりの一因となっているのだ、と言っていますが、それが大きな原因だとは思えません。ある程度、生活の水準が向上してきたからこそ「引きこもり」が可能になったのではないか、と私は考えています。一昔まえであれば、まともな子供部屋をもらえる子供は少なかったのではないでしょうか。
(ただし本書で使われている「ラテン」の定義は「ラテンアメリカ」、そして著者はメキシコにも住んでいることから、「メキシコ」の印象が強いと思われます。)



「アリとキリギリスの話」の別バージョン(ラテン版?)が紹介さていました。日本で馴染みのあるのとは違い興味深いので、以下、引用します。
冬になって食物がなくなると、キリギリスはアリを訪ねます。
「私が汗水流して働いていたときにあなたは何をしていたの?」
アリの意地悪な問いに、キリギリスは答えます。
「私は歌ってみんなを楽しませ、元気づけていたのよ」
それを聞いた、働くことしか知らず、生きる喜びを感じたことのなかったアリは反省し、
「では、これからは踊って暮らしましょう」と、キリギリスを迎え入れて、食物を分けて一緒に踊りながら、楽しく冬を越したのです。
通常の、「地道に将来に備えましょう」という教訓が得られないですね(笑)。で、こうしたキリギリス的に生きようとか、アリみたいに生きてどうするんだ、という見方を著者はしています。

私が思うに、「働きすぎ」が悪いのではなく、「意に反して働きすぎとなる」状況が悪いと思うのです。例えば、ブラックな企業での、時間外賃金未払いでの長時間労働を強いる例があります。しかし、自分で好きで働く(働きすぎる)ことのどこが悪いのか? 議論が進むと「働くこと」や「職業」の定義にまで踏み込まなければならないでしょう。「画家にとっては絵を描くことが労働なのか」とか、「アトリエにこもって延々と絵を描くことが「働きすぎ」といえるのか」、といった点です。

とりあえずは、食べ物に困らず、寝てても凍死する心配のない、暖かい場所に移り住めば、アリに頼らない、キリギリス的生き方を選択できそうですけどね。

ラテンアメリカの中でも、メキシコと音楽に興味のある方にはおすすめです。

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