2013年2月17日日曜日

「マネジメント信仰が会社を滅ぼす」 深田和範

マネジメント、マニュアル、成果主義、コンプライアンスなどが日本で取り上げられるようになったのは、ここ10年位のことでしょうか。これらのいわゆる欧米的なビジネス手法が取り入れられた後に見られるマイナス点に注目しています。

経営者や管理者は、「監督」であるべきで「審判」であるべきではないと述べています。つまり、「監督」の仕事は試合に勝つための戦術を練り、選手を起用して試合に「勝つ」ことが目的であり、「審判」のように選手を公平に扱うのが仕事ではないと例えています。監督が選手起用の基準を公平に行ったとしても、試合に負けていては意味がありません。その意味で人事考課の基準を細かく決めることに異論を述べています。
これに関係して公平、公明を謳う会社が多いなかで、ある学習塾の管理職登用の方法が紹介されています。そこでは、社長が「顔」を基準に室長に昇格させるかを判断するそうです。これは極端な例かもしれませんが、文書やマニュアル化できない「勘」や「センス」が、経営者には必要であることを示唆していると思います。

「会社(経営者)は正しい」という前提のもとに社員を変えようとするマネジメントは幻想で、他者を容易に変えられれば何も苦労はない、現実は他人を変えるのは難しいのであれば自分が変わるしかないと勧めています。

欧米的なマネジメント導入に対する揺り戻しとも受け止められます。事実、80年代には日本的な管理手法が海外で模倣された歴史があります。
マネジメントが全面的に悪いわけではなく、中庸が大事だとおもいます。

結局は、文句を言ってるのであれば自分でビジネスを立ち上げろという結論ですかね。会社を辞めて独立を促進するための具体的な提案もなされています。

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