2013年2月9日土曜日

「「日本人英語」のすすめ」 グレン・サリバン

英語と米語、さらにはインドでの英語の違いから、英語と一口にいっても、「どこで」英語を使おうとするかに依存しており、「英語」に完全なスタンダードが存在するわけではなく、もはや地域によって異なる「ローカルな言語」だと著者は考えています。その意味から、「ローカルな言語」としての「日本人英語」も許容される可能性を述べています。

英米人にとっては大きな違いを生む、冠詞や単数複数の使い分けが重要であることを踏まえたうえで、日本人の英語であっても(特に会話の状況では)恐れることはないと述べています。特に現地で長く生活をする場合には、theやa(an)がなくても、完全に間違いであれば、相手が聞き返してくれる、または、変な表情をするから、その情報をもとに修正して慣れていけばよいのだと実用的な助言をしています。

発音については、カタカナ発音であっても悪いわけではなく、むしろ、イギリスでかつて標準発音と決められた"received pronunciation"に近いと指摘しており、カタカナ英語に対しては否定的な立場ではありません。(真偽のほどはわかりませんが)。


日本の広告やショッピングバックにみられる「変な」英語に関して、冠詞や前置詞が文法上適切に使用されていないことに対する考察が興味深いです。すなわち、それらの変な英語が「意図的に」冠詞や前置詞を誤用あるいは省略していたとすれば、そのことで、その文の意味の解釈が広がり、「日本人英語」の特徴がでるのだと述べています。
いくつか例が挙げられていますが、そのひとつは、
 When I looked out through the window, the wind started to talk me.
後半部分はtoを補うのが一つの「正解」ですが、
 When I looked out the window, the wind started to talk to me.
こうするとイメージが限定されてしまいます。
"to"がなければ、"talk to", " talk with", " talk thorough", " talk about"が可能であるのに、です。(「日本人英語の解放表現性」とここでは呼んでいます。)

元の文を作った日本人は意図していないでしょうから、特に「書き言葉」においては、冠詞や前置詞の用法に最新の注意を払うべきであると受け止めることもできます。単数と複数の違い、あるいは冠詞の有無でニュアンスが大きく異なることがあるからです。
情緒的な表現においては、日本語的なあいまいさは便利ですが、論文などの厳格な定義が必要とされる場合には、英語が適しているともいえます。

個人的には、冠詞の使い方に決まりはあるにしても、結局は、実際の使用するなかでの「しっくり感」(おそらくはコロケーション)で判断されるのではないかと思っています。よく、冠詞があるべきところにないと、「おさまりが悪い」と感じられるようですが、そのレベルに到達するにはかなりの慣れが必要でしょう。



残念ながら絶版です。初版は20年前ですからやむを得ないでしょうかね。ローカル英語としての日本人英語の分析に関して読む価値ありです。

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