2013年5月12日日曜日

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」 見城 徹, 藤田 晋

一つの「お題」に対して、見城徹→藤田晋の順に見開き2ページづつで意見を述べるスタイルとなっています。それぞれが「経営者」としてのビジネスに対する見識を述べていますが、意見が逆のこともあります(「切らしえて渡せなかった名刺は速達で送れ」のお題が顕著な例です。)彼らの年齢およびインターネットへのかかわりかたの違いでしょう。
私が気になったものを以下紹介します。


■小さいことにくよくよしろよ
「頼まれ事はちょっとしたことでもきちんとこなすこと」や「借りた恩は、たとえ小さくても返す」といった些細なことが、ビジネスでは重要と述べています。結局、人間がかかわっている限り、義理と人情は大切です。


■「極端」こそわが命
見城氏は、
「極端」であれば振り切れており突き抜けたオリジナリティーがある。だから、明快で新しい。
と述べており、そのためには「圧倒的努力」をするしかないと述べてます。
「圧倒的努力」とは、以下のことと述べています。
人が寝ている時に寝ないってこと。
人が休んでいる時に休まないってこと。
どこから手を付けていいかわからない膨大なものに、手を付け、最後までやり通すこと。
最初の2つは時間的な努力ですが、3つめは以前紹介した電通鬼十則を思い出させます。

■これほどの努力を、人は運という
ビジネスの成功に対して、時として人は「運がよかったせいだ」と評することに対して、それは「運」ではなく、圧倒的努力(上述)があってこその結果なのだ、と述べています。
藤田氏は、
「運がいい」とは「先見性がある」と言い換えられるのではないかと述べ、
その「先見性」の正体を、
実は物事を先送りせず、短期的に何かを犠牲にしてでも、努力してきた結果に過ぎないのではないか
と言っています。
「極端」であること、人から「運がいい」と言われる結果を残すこと、いずれも、「努力」なくしてはありえないと結論付けられるでしょう。


■憂鬱でなければ、仕事じゃない
見城氏は、
楽な仕事など、大した成果は得られない。憂鬱こそが、黄金を生む
そして、悩んで憂鬱となる限界を超えるには
「暗闇の中でジャンプ」するしかない
と述べており、さらに「人生は暗闇の中のジャンプの連続」と表現しています。「迷ったときは、前に出ろ」という彼の信条を別表現したものでしょう。電通鬼十則の「4.「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。」と通じるものがあります。
「やさしい」道と「困難な」道の選択の岐路に立ったとき、「困難な」ほうを選択するのは実際には容易でないと思います。その裏には「圧倒的努力」ができる自信があるからかもしれません。

ただし、ここでの「憂鬱」は「困難さに対する悩み」や「考え抜く苦しみ」の意味合いで使っていると思います。(本当に憂鬱だと、そのうち鬱病になる危険性があります。)


■刺激しなければ、相手の心は掴めない
見城氏は、
難攻不落の相手とコミュニケーションを取る際の基本として、自分ではなく、相手のことを言え
と述べており、藤田氏は、
初めて会った時の自己紹介で、自分ではなく相手のことでハッとさせられる一言を言えるかが重要だ
と述べています。
これらを実行するには、事前に相手のことをよく調べておく必要があります。また付き合いが長くなれば相手のわずかな変化も見逃さないことが重要でしょう。別のお題の「天気の話でコミュニケーションを図るホテルマンは最低である」で、天気の話を持ち出すような安易なコミュニケーションではなく、おざなりでない観察や心遣いに基づいて話しかけなければ相手の心に届かない、という指摘に共通すると思います。
コミュニケーションで相手に興味をもち根本思想を理解する大切さは、以前のエントリーで触れました。「相手をよく理解する(ように努める)」ことは共通しています。



分野の違う二人の経営者が、同じテーマ(お題)に対して書いている点が、単著ものとは違う特色を出しています。

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