2013年3月16日土曜日

「「上から目線」の時代」 冷泉 彰彦

「上から目線」の分類を本書に基づいてやると以下の3つに分けられます。

1. 価値観の違いが起因する場合
「野良猫に餌を与えるのは是か非か」の例を挙げて説明してます。その価値観の対立のうえで、「どちらが上か」の論争では、「下」とみなされたほうからは「上から目線だ」と言われるのは避けられないとしています。

2. 日本語のスタイルに起因する場合
日本語の会話では「上下関係」の発生が避けられず、その感じている上下関係にずれが生じたときに「違和感」としての「上から目線」を感じるのだと述べています。
(日本人同士で英語を使っている状況から日本語にスイッチしたとき、相手との関係性が定まらないとどういう言葉遣いが適当かわからずに困った経験があります。「上か下か、対等か」を定めた上で会話を進める日本語の難しさやわずらわしさを感じた瞬間でした。)
英語の会話ではどうか? 英語では上下関係の規定が弱いので「上から目線」は問題にならないと述べています(アメリカの、「反エリート感情」と「上から目線」について例示されていますが、これは価値観対立からの上下関係による「1」に分類されるものでしょう。)

3. 日本語と価値観の違いの混合型
日本での「上から目線」の言葉がメジャーになった背景のひとつに「会話のテンプレート」が消滅したことを指摘しています。すなわち、社会の情勢が大きく変化したために価値観や生き方が多様化したために、従来の会話のテンプレート(パターン)では「上から目線」になる危険性が増しているという指摘です。例として披露宴の席での会話を挙げています。結婚して子供を作ってお幸せにという会話は以前であれば問題なかったでしょう。しかし、今では初婚でない場合もあるし、結婚後に目指すところも多様化しているので、下手をすると「大きなお世話」あるいは「上から目線」を感じさせることになるということです。


「1」のように、価値観の対立で「上から目線」を説明するのは少し無理な気がします。価値観を巡る論争でその対立がエスカレートする過程で「上から目線」の感覚があるのは通常だと思えるからです。やはり「2」のように、日本語(や文化)に特有の現象とみるのが腑に落ちます。

「上から目線」と非難されないようにするには、対等性を忘れず、場合によっては一歩下がった立場をとることを著者は薦めています。



この本の本筋ではありませんが、日本語と英語の違いを再認識させられました。
日本語と英語を比較すると、やはり日本語のほうが複雑に感じられます。話す場合はもちろんですが、仕事でメールを書くときは、言葉を選ぶのにいつも苦労しています。違う見方をすると、日本語のほうがニュアンスの違いの「幅」が英語の場合よりも広いといえるでしょう。ただし、その分だけ解釈の幅も広がってしまうので、「正確な情報のやり取り」のツールとしては日本語よりも英語のほうが優れている気はします。


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