2013年3月30日土曜日

「生きるチカラ」 植島 啓司


正しく生きるとはどういう状態なのか?
最高の人生とはあるのだろうか?
人生で降りかかる災いの意味するところとは?

こうした疑問に対する「一種の」答えがこの本の中に見出せるでしょう。


この本のユニークな点は、著者は宗教人類学者で、大学教授を歴任してきた経歴とは対照的に、基本的には人生に対して享楽的に向き合った立場で意見を述べている点でしょう。別に、貯金がなくても気にせず、賭け事好きで、女性も好きという生き方をしているようです(たぶん、他の著作を読めばもっとわかるのでしょうが)。


人生における選択に対して次のように述べています。
すべての選択には、それ自身、間違いが含まれている。つまり、正解と不正解があるわけではないのだ。
数学や物理などの試験の設問に対する選択では「正解」があるのでしょうが(笑)。興味深いことに著者は、選択した結果として挫折や失敗を味わった場合でもそうした「過ち」を経て人生が始まる、と述べています。私の場合、過ちから人生が始まると考えられるほど「割り切れる」人間ではありません。ただ、人生における選択で正解や不正解を判断するのはほぼ不可能だと思います。人生のパートナー選びはベストだったのか、この仕事を選んでよかったのか、日本に住み続ける選択は正解なのかなどに対する選択に、ただひとつの答えはないでしょう。選択した本人の人生が終わるときに、なんらかの解答が得られるかもしれないですが。

人生で遭遇する不確かなもの、理不尽なものにどう対処したらよいのか、については、なるべく多くのトラブルを経験しておけば、その痛みは緩和されると述べています。つまり、人生で始めてのことはダメージが大きいが、少なくとも一度は経験しておけばダメージが小さくなるという考えです。例としては離婚や失業の例を挙げています。離婚1回目はダメージが大きいけれども、2回、3回(あるいはそれ以上?)と複数回であれば痛みは小さくなるということでしょう(幸か不幸か、離婚経験なしの私にとっては未知の領域です。)

「運をぐるぐる回す」ことで、自分の不運な状態から抜け出そうとしたり、あるいは、恵まれない人に寄付することで「運を回す」必要性も述べています。運が自分のところに偏り過ぎないようにすることも必要なようです。「情けは人の為ならず」にも近いですが、「金を回す」のほうがイメージが近いかもしれません。
運の受け渡しといえば、麻雀で、「一時期の点棒のやり取りよりも、その局での運の受け渡しが最終的な勝ち負けにつながるのだ」、といったことを聞いたことがあります。昔は運なんて信じていませんでしたが、科学では説明できない「運」のようなものが存在しているに違いないと最近では感じることがあります。

お金持ちはなぜ不幸になりがちなのかについてや、「放蕩」についての考察もなされています。

今後、生きていくうえで、どんな苦境が待っているかわかりませんし、その不確かさが不安を生むことは否めません。かといって、将来がすべてわかっていたならば、その人生はどんなに味気ないものとなるでしょう。将来の不確かなことを何とか力ずくで何とかしようとするのではなく、不確かなことに対してオープンな気持ちでいることが重要だと思います。

将来が不安だから手に職をつけようとしたり、貯金しようとしたりするわけだし、試験の結果がひどいと不安なので試験に備えて勉強するなど、将来に対する不安があるからこそよい側面もあると思います。もちろん、ラテン的に生きることを否定するものではありません。


「人生山あり谷あり」を考える上で大いに参考になる本です。

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