2013年8月20日火曜日

タイでタイ語の必要性を考える

ブログの主旨から外れている気がするが、せっかくタイにいるので、今回もタイネタを。

タイの街を歩いていると、いろんな看板や標識が目にはいる。自分の母国語は日本語なので、日本語が最も目につく(かなり少ない)。次に認識されるのは英語で、その表記を思わず読んでしまう。タイ語表記は、読めそうであれば読もうとする(厳密には中途半端に読んで、自分の知っている単語の情報と組み合わせて理解すると言った方が正しい)。

不完全ではあるにせよ文字を読めるのは便利だが、一方で日常生活の中でおびただしいけ情報に曝されていることを再認識する。日本で町を歩けば広告(日本語か、英語)が目にはいり、それらを読まずにおくことはできない。(よほどボンヤリしていれば別だが)。視覚から文字の情報が脳へ流れこんでくる感じだ。

以前、タイ国境からミャンマーに、ほんの数時間だけ行ったことがある。その時は、あちこちであの丸っこいビルマ語を目にしたものの読めず、なぜか不安な気分になった。その時に、視覚から得られる脳への情報量は少なくなっていたのではないか、と考えると文字の読めないことにもメリットがあるのかもしれない。

ローカルな言語を読めると、そこでの生活は便利だろうが、都会(タイだとバンコクとか)に住めば英語だけでも問題ないだろう(日本でも東京や大阪といった都市であれば、日本語が出来なくても暮らせそうだ)。逆に地方で暮らそうとすれば、現地語の必要性は高くなるだろう。地方に行くほど英語表記が少なくなるのは、日本でもタイでも同じ気がする。

ただ、タイ語の欠点は、原則タイでしか使えないことだと思う。日本語もそうだがローカル性が高すぎる。だから、「汎用性」という点では、英語を除くとスペイン語やポルトガル語や中国語のほうがよいのだろう。一度はタイ語をある程度に極めようとしたが、当面は移住の可能性もないので、再び英語学習に集中するに到った。

「大抵の国では、都市部に住むなら英語で何とかいけるんじゃないか」と思う一方で、「現地語が出来ればやっぱり楽しいだろう」という結論かな。ただ、人生長くても100年ほどなので、語学にどれだけの時間をかけるかを考えておいた方がよいと思います。

タイの田舎で出会ったネコ.
タイ語で話しかけないとダメかも…

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