2014年7月13日日曜日

“猫バカ”な自分を省みる


「猫馬鹿」とはよく言ったもので、その当人たちにしか馬鹿たりうる理由がわからないだろう。そういう自分もいつしか「猫馬鹿」となり、「馬鹿猫」と暮らすことになってもう10年以上となる。(なんだか、「馬鹿」が「バカ」ではなく「ウマシカ」とも読めてしまうので、カタカナ表記で以下続けます。)

我が家のバカ猫もついに体調が悪くなり、猫バカの自分としても心穏やかでない。非猫バカの立場から考えると、「たかが猫」である。しかし、猫バカからみると「されど猫」ではないか。猫なんて所詮人間さまには及ばないし、それほど飼い主のことを考えているとは思えない。犬であればもう少し飼い主に対する忠誠心があるだろうが、猫ではむしろ飼い主が猫の奴隷である。だから、「猫バカ」はあっても「犬バカ」はあまりなじまない。

猫を飼い始めるのは自分の意思ではなかったし、また、「猫は猫、人は人」というポリシーを貫くつもりだったのだが、結局は猫バカと化してしまった自分がいる。「猫の魔力」である。猫は人間を支配するために送り込まれてきた生物だとどこかで聞いたことがある。阿片のように国を滅ぼすほどのパワーはないにしても、「猫地球侵略陰謀説」はありうるかと思う(その説を信じ始めたことがすでに猫バカの兆候だろうw。)

散歩中にであった猫たち。
ノラ猫の中に三毛猫を見つけると、他人(他猫?)とは思えない。
ノラ猫との付き合い方はいろんな意見があるでしょう。

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