2014年4月29日火曜日

「国際共通語としての英語」 鳥飼 玖美子

言葉はそれが使われている国の文化と完全に切り離して考えることはできないが、英語を国際共通語として位置づけて、できるだけ「文化的負荷を軽くする」のがよいのではないかと述べている。したがって、非ネイティブに対して使用した場合に通じるかが不確実な、しかし英米人にとっては馴染みのある慣用句をあえて学ぶ必要はないし、単語の選択でも多少ネイティブが違和感を覚えたとしても意味が通じればよいだろうといっている。これらの観点は、いままで自分の持っていた国際共通語のモヤモヤしたイメージを具体的に説明するもので、胸のつかえがとれた思いがした。そうはいいながらも、決して文法や読み書きの重要度が低いのではなく、むしろ、文法はきちんと教育することを支持している。


言葉と文化のつながりで、EUの例はなるほどと感じさせられた。知らなかったのだが、EUは政治経済統一の動きがあったが、言語に関しては、公用語が23言語で英語だけが公用語ではないようなのだ。つまり、各国の文化を尊重することは各言語についても同様であるという思想による。


日本の英語教育の学習指導要領について、そのなかで「コミュニケーション」という言葉が再三登場することに対し、「英語のコミュニケーションとは、単に英語を使って会話できることなのか?」と疑問を投げかけている。いわゆる「英会話」だけがコミュニケーションではなく、読み書きでも、黙っていることでも、コミュニケーションであり、それは言語と文化が密接に絡み合って生み出されると述べている。
他の外国語教育研究者の分類を引用し、コミュニケーション能力の4つの要素は次のものだとしている(カッコ内は著者による説明。)
①文法的能力(語彙や発音も含んだ言語全体に関する知識)
②社会言語学的能力(誤解を受けないように社会で適切に言葉を使える能力)
③方略的能力(コミュニケーションがうまくいかない時に聞き返したりするなど対応できる能力)
④談話能力(相手がわかるようにまとまりをもって書いたり話したりできる能力)
この4つの要素をみると、特に②や④は母国語であっても相当に高度な能力であることがわかる。母国語をまともに使えないと、英語でも無理なのは当然であろう。



本書は「どういった目的で英語を学ぶのか(あるいは教育するか)」を考えるためのヒントを与えてくれるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿