2014年4月13日日曜日

「漂えど沈まず-闇三部作」 開高健 電子全集1

開高の著作で「闇三部作」と呼ばれているのは、輝ける闇、夏の闇、花終る闇の3作である(ただし、「花終る闇」は未完)。図書館に行けば開高の全集もあるので、その本を読んでもよかったのだが、移動中に読むためにはかなりかさばると思い、電子版を購入してキンドルで読んだ。

「輝ける闇」では、ベトナム戦争に従軍記者として取材に行った話で、小説というよりもほぼ実体験を反映しているのであろう。「生と死」について考えさせられた。特に人間の状態を物理的な構造物として記述している点がよくでてくる。
例えば、兵士との会話の際に、
「彼もまた一群の骨に薄い膜をかぶせて内臓が滝のように落下するのをふせいでいる」
とあり、結局はどんなに強靭に鍛えられた肉体であっても、銃弾を受ければ袋が破けるように死に至ることを想像させる。
一部、官能小説的な部分も含まれるが、それもまた生きる意味を考えさせられるものだ。当時のベトナムの問題や状況も含まれるが、より理解するためには、ベトナム戦争の経緯や背景を知っておく必要があるだろう。

主人公は「匂いのなかに本質がある」と言い、小説を書くことについて、
「匂いは消えても使命は消えない」から、「使命を書く」といった兵士に対して、
「使命は時間がたつと解釈が変わってしまうが、匂いは変わらない。だから匂いを書きたい」
と言っている。
「使命」は時間とともに解釈が変わるということは、まさに、歴史を振り返り、過去の戦争をみたときにその解釈が変わりうるからといえるからなのではないか。


「夏の闇」は、前作と同じ主人公であるという設定だが、別の女性との関係を追ったストーリーである。電子版に付随している、あとがきや論評を読むと、それなりの傑作であることが書いてある。しかし、私の読む限りでは「官能小説」にしか思えなかった。「輝ける闇」が外向きであるとすれば、「夏の闇」は内向きであり、これらの2作は雄ネジと雌ネジのように2つで意味がある、といったことが論評には書いてあった。「官能」ではあるが、一方では、「男」と「女」の本質的な違いを描いているといえるかもしれない。結婚については、
孤独に耐えられないために結婚を選ぶのなら、フランス人のいう、オムレツをつくるためには卵を割らねばならない、という諺にあうが、それならば、オムレツをつくったあとでそれが不出来なためにいわれもなく卵をののしってさびしくなるということも同時にあるのではないだろうか。
こういったことを主人公に言わせているが、それは作者自身の経験や考えを反映しているのだろう。なんとなくではわかる気もするが、「卵」が意味するところは深そうである。


未完の作である「花終る闇」を期待して読んだのだが、2作目の筋に対する説明的な点が多く、また、官能小説っぽい展開だった。本電子版に付随の、当時の編集者の意見をみると、この作品(花終る闇)は自分(開高自身)の作品を模倣した「ダメ」な作品であると述べている。



「夏の闇」は評判も高く、英訳でも出版されている(タイトルはDarkness in summer)。そのときの翻訳家(日本人)と、開高とのやり取りの思い出話が付録でついており、英訳の際の苦労が垣間見えて興味深い。日本語で曖昧な部分の意図を聞き出したり確かめたりして訳出したようである。英訳を読んで日本語で書かれたオリジナルとどの程度違っているかを比べるのもおもしろそうだ。

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