2014年11月3日月曜日

「グラスホッパー」 伊坂幸太郎

バッタの生息数が増え、その生育密度が高くなると、大型で遠くまで移動できる種類の個体数が増えるという。しかも凶暴になるらしい。人間も人口密度が高くなると、同じく凶暴になるのではないかということが中でも説明されている。(タイトルが「バッタ」でなく「グラスホッパー」であったのは、語感がよくなかったからか)

妻を殺されてしまった主人公の鈴木による復讐が話の展開の中心である。それに絡んで他の殺し屋である「鯨」や「蝉」の視点からも話が展開される。「鯨」は対象の相手を自殺させることで殺す「殺し屋」であり、一方、「蝉」のほうはナイフ使いの「殺し屋」である。「鯨」は過去の犠牲者の幻覚に悩まされる様が描かれているのに対し、「蝉」のほうは生粋の殺し屋で、女子供でも容赦ない。当初はあまり接点のなかったこれらの話が終盤に向かって一つになっていくところがよく構成されている。


気になった部分(カッコ内はキンドル版の位置)を以下に引用する。
扉があったら、開けるしかないでしょ。開けたら、入ってみないと。人がいたら、話しかけてみるし、皿が出てきたら、食べてみる。機会があったら、やるしかないでしょ(位置No.268)
亡き妻の口癖「やるしかないでしょ」を鈴木が思い出す場面が何度かでてくる。 そのうちのひとつの引用だ。 そういえば「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」はサントリー創業者の鳥井信治郎が残した名言だ。
わたしたちは、「やるしかないと考えるタイプ」と「やめとこうタイプ」に分かれるだろう。これらのタイプが混ざっているから今の人間があるのかもしれない。なぜなら、すべての人が「やるしかない」と思い、みんながみんな無茶なことをすると全滅の危険があるからだ。毒を含む動植物に対して、ヒトすべてが過去に「食べてみるしかない」と考えていたら今のヒトはいないかもしれない。
人間の知恵だとか科学は、人間のためにしか役に立たねえんだよ。分かってんのか?人間がいてくれて良かった、なんて誰も思ってねえよ、人間以外はな(位置No.3260)
「蝉」が死にゆく最中に幻覚との会話で吐いた言葉。この小説では「蝉」は少し教養のない若者として描かれている。その彼がこうしたことを言えるのは教養のない故か、あるいは本質的なことなのか? ある意味、本質をついている。なぜなら、例えば、環境問題が話題に出るときに「環境に悪い」という論理は、あくまでも「ヒトが住むための環境が悪い」ということで、ヒト以外の立場からみると、人間の活動や存在そのものが地球環境に悪いのではないかと思えるからだ。

素直にドキドキさせるエンターテイメント小説の部類であるが、読み方によっては、死生観を考えさせられる小説。

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