2016年5月1日日曜日

「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」万城目 学

単に猫がでてくるようなので、これを読んでみた。猫同士が会話するとか、猫が人間の言葉をわかるとかはよくある話だ。しかし、ここでは、マドレーヌ夫人(と呼ばれる)猫が、猫にとっての外国語である犬の言葉を理解する点が、他の猫ストーリーとの違いといえる。
小学生になったばかりの「かのこちゃん」と、その飼い猫となった「マドレーヌ夫人」が話の中心である。そこに、かのこちゃんとその親友の話もからみつつ、マドレーヌ夫人とその夫である玄三郎(かのこちゃんの飼い犬)の物語でもある。

出会いと別れという点、あるいは、読んでいるときに子供のころの感覚を呼び覚まされる点では、以前に「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を読んだ時と似ている(「砂糖菓子の…」は主人公が中学生で、やや年代が異なるが)。

ネタばれとなるが、玄三郎が病気で死んでしまうところは、飼い猫を病で失ってしまった自分としてはちょっと他人事をは思われなかった。「ペットが話すことができたら…」は、ペット持ちのだれしもが持つ願望ではないだろうか?
この小説にはまり込むことができるか否かは、読者の犬や猫に対する経験に基づくところが大きいだろう。

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