「ナリワイをつくる」を読んで、こちらを読んでみたくなった。「フルサト」の位置づけは、二拠点居住での田舎暮らしに相当する。田舎に移住しなくても、たまにそこに帰れるような場所をもつことがいいんじゃあないかという考えである。
そうはいっても、フルサトで職がないと困る。この点については、「足りないものを作っていく感覚で」仕事をつくればよいといっており、そこではあまり大きなモデルは考えないという。大きく稼ぐために、大きく投資するという考えではなく、必要な最低ラインを先に考えることや、家計モデルとして「収入を増やす」ことだけではなく同時に「支出を減らす」ことを提案している。別の本での3万円ビジネスに紹介されているモデル(一つの仕事が3万円でもそれを10個作れば30万円になる)の考えだ。
ここに書かれているように、大量生産が行われる時代の前は、一人の人間が小さいことを複数やりながら生計を立ててきた。だからそうした時代の仕組みを再び活かすということだろう。
生活をシンプルにすることはミニマリズムにも通じるが、ここでは共著者がPha氏であることからもわかるように、「ぬるく」生きること(例えばできるだけ働きたくないとか)を肯定することで成り立っているやり方だと感じられる。ただ、ぬるく生きるといってもそれなりのパワーが必要だと思われるので、「引きこもり」と「ぬるく生きること」は別物ともいえるだろう。
当ブログに訪問いただきありがとうございます。 自分の読んだ本のレビュー(メモ程度ですが)、語学学習の経験、そして猫についてつれづれなるままに書いています。なお、本に関しては、原則、『「タイトル」-著者』の見出しにしています。
2015年12月19日土曜日
2015年11月30日月曜日
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」佐々木典士
汚部屋からミニマリストへ、これが著者の実現したことであり、そこへ至る経緯と実行の方法がわかる内容となっている。
「どうしてモノが増えすぎてしまうのか」ということと「心理的な要因」の関係性は理解できるものであり、共感できる点もあるが、著者の場合には多少「病的」であるようにも感じた。一種の買い物中毒にも通じるところがあったのではないかと。
「人間の価値をその人が所有するもので判断する(判断しやすい)から、モノにこだわるのだ」という説はそのとおりだろう。「ひとは中身で勝負だから服装はどうでもいい」ということを昔は自分も信じていたものだが、凡人では通用しない理屈であると今は思っている次第だ。
捨てる方法最終リスト55!のなかで、
それと、
追加リストでは
「モノを買うために失う時間」に関して、限定SUICAで長蛇の列ができ結局買えなかった例では、モノが原因で人生の時間がもったいないといっている。時間の価値は認めるが、最終的にはそのひとがそれをどう使うかは、まあ、そのヒトの生き方によるのではないかなあと思う。行列にならんでその時間を使って買う価値があると認めれば並ぶべきだし、その価値がなければ時間の無駄だろう。あるいは、並ばなくても後でオークションなどで購入することもできる。そこでのプレミアが購入するまでに使われた時間の価値ともいえるだろう。余談だが、時給900円の人が行列に並んで待つのと、時給2万円の人が行列に並ぶ場合は単価が異なる。
その人のこだわりにはこだわるべきで、この点は一般化は難しい。「熱く語れるもの」は人それぞれであるからだ。「熱く語れないものは捨てる」は、まさに「熱く語れるのもはとっておく価値がある」ともいえる。
「どうしてモノが増えすぎてしまうのか」ということと「心理的な要因」の関係性は理解できるものであり、共感できる点もあるが、著者の場合には多少「病的」であるようにも感じた。一種の買い物中毒にも通じるところがあったのではないかと。
「人間の価値をその人が所有するもので判断する(判断しやすい)から、モノにこだわるのだ」という説はそのとおりだろう。「ひとは中身で勝負だから服装はどうでもいい」ということを昔は自分も信じていたものだが、凡人では通用しない理屈であると今は思っている次第だ。
捨てる方法最終リスト55!のなかで、
永遠に来ない「いつか」を捨てる(No.20)
熱く語れないモノは捨てる(No.33)
1つ買ったら1つ減らす(No.46)は誰しも共感できるだろう。
それと、
お店があなたの「倉庫」です(31)では、「足りなくなったものは近所のコンビニが使えるじゃないか」という発想で、田舎でなければ使える方法だろう(田舎であれば物理的な収納の制限が少ないので、この考え方はいらないだろうが)。日用品のストックはなくてもOKの考えだが、同じ発想で、冷蔵庫や冷凍庫もコンビニからの調達で不要になるという考えもある(以前のエントリーででてきた。)
追加リストでは
私服を制服化する(02)に関していうと、同じ服を着続けることの合理性は認めるが、実行するのはそれほどやさしくない。なぜなら、同じことに対して「飽きる」からである。服を着ることは単に寒いからだとか、身を守るからとかという実用性だけではない。ある意味、ミニマリストとは「飽き」との戦いかもしれない。
「モノを買うために失う時間」に関して、限定SUICAで長蛇の列ができ結局買えなかった例では、モノが原因で人生の時間がもったいないといっている。時間の価値は認めるが、最終的にはそのひとがそれをどう使うかは、まあ、そのヒトの生き方によるのではないかなあと思う。行列にならんでその時間を使って買う価値があると認めれば並ぶべきだし、その価値がなければ時間の無駄だろう。あるいは、並ばなくても後でオークションなどで購入することもできる。そこでのプレミアが購入するまでに使われた時間の価値ともいえるだろう。余談だが、時給900円の人が行列に並んで待つのと、時給2万円の人が行列に並ぶ場合は単価が異なる。
その人のこだわりにはこだわるべきで、この点は一般化は難しい。「熱く語れるもの」は人それぞれであるからだ。「熱く語れないものは捨てる」は、まさに「熱く語れるのもはとっておく価値がある」ともいえる。
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