2016年11月29日火曜日

「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」坂口 恭平

端的に言うと「ホームレス入門」といえる。ホームレスとは路上生活者なのだろうが、その概念を拡大して路上のみならず河川敷での生活も含まれる。ホームレスとなると、原則的には住所不定をとなりいろいろと不便が多いと聞く。しかし、見方を変えるとこれって「ミニマリスト」の一つの形なのではとも思える。いうなれば「所有」からの解放である。
大都会において「狩猟採集生活」が成立つという見方は新鮮であるが、逆に都市でないと成立しないともいえる。言い方を変えると都市への「寄生」的な生活だ。

ゴミから稼ぐこと(ここではゴミを「都市の幸」と呼んでいるが)の実際のやり方が紹介してあり、まさに「入門書」である。書かれていることの中でも、住む場所についての記述が興味深い。住まいを考えるとそこにはインフラが不可欠であるが、そこで、電気や水道、ガスに「なぜいつもつながっていないといけないのか」という疑問を投げかけている。その答えとして「それは使う分量がわかっていないからではないか」といっている。著者が「多摩川のロビンソンクルーソー」と呼んでいる人の生活から、資本主義とは離れて「自分にはどれくらいのエネルギーが必要なのかを把握し、その分だけを自らの手で手に入れるという考え方」がなされているといっている。

河川敷に住居を構え、そのあたりで畑を作って野菜をつくったり、また生業としてゴミを選別したりして現金を得る生活をホームレス(その前は乞食といったかどうかは不明だが、これは現在では差別的な言葉なのであろう)と呼ぶが、その生活スタイルはむしろ合理的ではないかとの見方ができるだろう。

最後のほうに『森の生活』(ヘンリー・デイビット・ソロー著)と、それと関連して『方丈記』(鴨長明著)のことがでてくる。前者は森の中で2年間の自給自足の記録であり、後者は鎌倉時代に鴨長明が山に方丈庵を建てそこでの記録をつづったものである。でその方丈庵がモバイルハウスであったという点が、著者がとりあげたポイントであろう。つまり、現在の都市型狩猟採集生活と類似点が多いということである。

2016年10月30日日曜日

「さよならインターネット- まもなく消えるその「輪郭」について 」家入一真


著者のこれまでのインターネットとのかかわり(過去の部分)と、これからどうなっていくのだろうか(どうなってきているのか)が書かれている。

インターネットの世界でいわれていた「シェア」、「フラット」、「フリー」のうちで「フラット」ではなくなってきた事実の指摘は興味深い。すなわち、ネット上では匿名も可であり、そこではリアルの社会的な地位や年齢、性別も関係なかったはずなのに、いまや実名や肩書が幅を利かせる状況がみられる。このあたりの状況がネットとリアルの境界線がなくなってきていると表現できるだろう。

また、ネット時代となったことでコミュニケーションコストが下がり切ってしまい、その結果どこでもつながるから休めなくなったという。逆にいうと、かつてはコミュニケーションにはそれなりのコストを要していたわけだ。電話だってお金がかかるし、ましてや手紙となるとそれを書くのに要する時間のコストも要したわけだ。サービスのコストが下がればそのユーザーも増えるわけで、その結果、いうなれば「つながり過ぎ」による疲弊という思わぬ影響が生じたというわけだ。ネットであれリアルであれつながりをもつことは大切かも知れないが、反対につながらずにいる(孤独とまでは言わないが)ことも必要なのではないかと思う。

「人の価値をポイントで決める」ということ記述があるが、そのはしりはネットオークションの出品者の評判あたりだろう。全く知らないひととの取引で、ようはその人に対する「信用」をどう評価するかの手掛かりになる。そうした評価の拡大版として、実生活で「あの人は○ポイントで結構高いね」とか「あの人のポイントは低いからダメだ」とか言われる社会がくるのだろうか?

ネットの世界とリアルとの関係性を考える上で参考になる本であろう。