大都会において「狩猟採集生活」が成立つという見方は新鮮であるが、逆に都市でないと成立しないともいえる。言い方を変えると都市への「寄生」的な生活だ。
ゴミから稼ぐこと(ここではゴミを「都市の幸」と呼んでいるが)の実際のやり方が紹介してあり、まさに「入門書」である。書かれていることの中でも、住む場所についての記述が興味深い。住まいを考えるとそこにはインフラが不可欠であるが、そこで、電気や水道、ガスに「なぜいつもつながっていないといけないのか」という疑問を投げかけている。その答えとして「それは使う分量がわかっていないからではないか」といっている。著者が「多摩川のロビンソンクルーソー」と呼んでいる人の生活から、資本主義とは離れて「自分にはどれくらいのエネルギーが必要なのかを把握し、その分だけを自らの手で手に入れるという考え方」がなされているといっている。
河川敷に住居を構え、そのあたりで畑を作って野菜をつくったり、また生業としてゴミを選別したりして現金を得る生活をホームレス(その前は乞食といったかどうかは不明だが、これは現在では差別的な言葉なのであろう)と呼ぶが、その生活スタイルはむしろ合理的ではないかとの見方ができるだろう。
最後のほうに『森の生活』(ヘンリー・デイビット・ソロー著)と、それと関連して『方丈記』(鴨長明著)のことがでてくる。前者は森の中で2年間の自給自足の記録であり、後者は鎌倉時代に鴨長明が山に方丈庵を建てそこでの記録をつづったものである。でその方丈庵がモバイルハウスであったという点が、著者がとりあげたポイントであろう。つまり、現在の都市型狩猟採集生活と類似点が多いということである。